戦災の昭和・震災の平成と後世或いは銘記することになるのであらうか。
これに先立つ二代を一言に蔽へば革新の明治・静穏の大正とならう。
平成の世にはいはば大正文化を総合止揚した文雅の形を期待してゐたのであるが、パンドラの函の中で悶え呼ぶ幸福の姿は未だ捉へられてゐないやうだ。
一つの御宇に二度の大震災などおそらく空前のことであらうし絶後ならむことを願ひたい。
先の阪神淡路の震災の際も僕はいろは字数歌の形で五十一首に詠み各方面に寄贈しある程度の働き掛けを試みたが、無きに等しい扱ひをうけて今日まで推移した。物好きの有志は稀にとつて置いてあるか知れぬし、国会図書館には国民の義務として寄贈してある。
その一
生き埋めの聲を勵まし
朝夕慣れぬる大屋根割り
力揃へて救ひ出せども
罪獲む世に居ん
いきうめのこゑをはけましあさゆふなれぬるおほやね
わりちからそろへてすくひたせともつみえむよにゐん
に見るごとく彼は局地直下型でありへしつぶれた家を掘り返せば生死問はず人はほぼそこに居た。しかし此は巨大な津波を伴ひ未だ犠牲者全体の六割弱より収容しきれぬ上に発電所原子炉の取り返しの付かぬ大事故を出来して最低でも向う数年はその害と呪縛とから逃れ得ぬ仕儀になつて居る。
最悪の天災にご存知のごとく最悪の人災が絡まり付いた国難といふべき時期ではある。
以下の七十七首で僕の伝へたいことは阪神淡路の際詠んだおほなゐと同じく国語字母が明確な設計理念の裏打ちする五十音経緯図からなり、いろは歌の証明するごとく一音かけても全体が意味をなさぬ有機連鎖体であるといふにある。
敗戦後のドサクサに紛れた拙速な改悪捏造を断乎として国家責任を以て葬り去り国語を正常化せよと。明治政府の決定以降日本国憲法正文まで用ゐられた仮名遣を字音に到るまで踏まへていろはの骨法で詠んである。
戦災の昭和には復活復興があつた。では震災の平成に於ける復活復興と何か。
それはインフラの復旧・生産の回復・放射能に蝕まれた地域の除染住民の帰郷と共に右に述べた日本語の本面目の回復再発見又それへの帰郷である。
現代なる歴史上任意の一地点が過去現在に亘つて優越し得るなどいふ汚染された考へは除去すべきである。
僕自体のことをいへば当時田舎にあつて他所の震災としてやや文明批評式に詠んでしまつた上世の無関心に嫌気して久しく製作を放棄してゐたことが、都知事石原氏ではないが天罰蒙つたかと因果の応報にうちのめされてゐる。今は他所にあつて出て来た田舎も巻き込まれた大震災大津波を詠む破目になつたのである。言語は最深の現象であるならばいかに無きに等しい扱ひをうけたとはいへ詠んでしまつたものは既に在るものであり文責は永久に消えぬ。仍て蒙れる天罰の贖ひとして詠むのである。
七十七首としたは今上聖寿に因む。これを正編とし百か日までには更に詠みかさねるところあるであらう。やがて行はれむ行幸啓殊に懇ろなられむことを冀ひつつ
震災四十九日といへる日の深更に誌す。

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