バベル以前の構築へ向けて
詩はバベルに散り
行伝に編み
国内(くぬち)和霊(にぎたま)
結ひさしてつらぬきとほる
滝の白糸
Poetry ,which had broke up at the Tower of Babel,
Apostles who have been lead by Holy Spirit, have make it join again,
And told this island country where a gentle soul ruled.
Now it becomes a waterfall like white thread among the green mountain,
Pouring again his virtue all over the world.
二十代の頃散律でかう詠んだことがあります。
人間の傲慢が神の怒りに触れて人の言葉を相互に通ぜぬ物にした旧約バベルの一件。
しかし新約使徒行伝の中では無学な使途等が、聖霊の述べしめるままに各国語にて教へを
伝へはじめる件りがあります。言葉に於て区々なりとも先づは霊に於て一つならしめんといふ神意でせうか。それ以後の世界伝道を一過程として、究極の到達は世界の言語を一つ
に融合すること、それを実現する必要不可欠な物として日本語の言霊といふ物があるのではないかといふ信念です。それを最終的に保証するのが、構成字音に並べ替へのみにより
人事自然の万象を尽くし得るいろは歌の融通自在な特性に証立てむと一路励んで来た次第
です。この点からしてもかなづかひの破壊はウイルスの侵入も同じで断じて現況を生き延びさせてはならぬ。いろはの構成字は一音たりとも削ることも加へることも出来ぬ性質のものです。この点ザンビアさん根石さんとも見解をことにして居るやうですが、翻訳的思考の罠を脱却せうとする目標は同じです。
中国が有人大気圏外飛行を成功させた同時期に日本は観測衛星の打ち上げに失敗。しかも
ごく基本的なミスで千億の金を藻屑にしてしまふ現状をみると、己の先祖に負ふ伝統的思考基盤を踏み付けて扱ふ物にいつまでもよい目を向け続けるほど幸運の女神は甘くないと
つくづく思ひます。
支配者アメリカの意志を色濃くのこしています
新嘗祭が勤労感謝の日に名義替へしたところにいみじくもあらはれて居ますよ。これ明かに近い時期にある感謝祭を意識し或はこれに阿つた命名ですね。
veletaには風見、風信器、槍旗、(つりの)浮き って意味がありますがウキを採用し たのは私だけです。理由はうたの目次に書いたとおりです。
面白いとらへ方ですね。ロルカは自己演出過剰気味の人であつたやうで、その演出の罠に
自ら嵌つて非業の最期を迎へた一因があるかにも思へますので吹流し、風見よりもその
最後を思ひ合はせるとふさはしいのかも。
文藝文学の究極の課題は言語に内在する規則性を発見しかつ是を十分に駆使して、言語の存在し続けて来た意味有甲斐を跡付けることに尽きると思ひます。言語を踏み台にして己を成就せしめる業ではなく、己を言語にとつての手掛りとしてその全き形姿と潜在する設計理念を見あらはし、言語そのものを成就せしめる業です。
只今の所の文学は踏み台にするが専らで、かなころがしの毒害を悟る所なく、チエルノブイリノ農産物さながらの作物を営々収穫れて居るやうですが。
私は管野道明「字源」の収載字一万を部首毎に駆使網羅する形で214篇の短文にしたことがあります。原稿用紙で百五十枚程要しました。国語辞典ならば片仮名語を最低限絞つて十万乃至十五万字
を千五百枚程二段組全集本1冊に圧縮して、言葉そのものに語らしめる言葉の自叙伝が出来ぬかと
模索して居る所ですが、漢字の部首に相当する共通項を見つけ出すに難渋して居る次第です。ここでは辞書とはさながらその文集或いは物語の注釈と化する訳です。
これが出来れば私の仕事も一応の完結を得るし、後々に裨益あらむとは考へてをります
先ごろの審議会で、漢字熟語を混ぜ書きで教へることはやめ、振り仮名を使用することになつたとか、制限漢字と表音式かなづかいといふ二大原則の中いはば外堀が埋まつた格好でして、表音式かなづかいといふ内堀の中で、いかなる狼藉が働かれてしまつたものか国民が心づくは遠からぬ
こととおもひます。格助詞はへをの綴りが保存されてある故に一見いかにもそれらしく今日までをながらへて来たに過ぎぬものです。これを放置しては日本語が正しく日出づる国の言葉として、国際社会間に市場価値を獲得出来ぬでせう。人は言葉をやさしいからわかりやすいから学ぶのではなく、それが言葉だから学ぶのです。
文藝とは言語そのものを成就せしめる業
文藝文学の究極の課題は言語に内在する規則性を発見しかつ是を十分に駆使して、言語の存在し続けて来た意味有甲斐を跡付けることに尽きると思ひます。言語を踏み台にして己を成就せしめる業ではなく、己を言語にとつての手掛りとしてその全き形姿と潜在する設計理念を見あらはし、言語そのものを成就せしめる業です。
只今の所の文学は踏み台にするが専らで、かなころがしの毒害を悟る所なく、チエルノブイリノ農産物さながらの作物を営々収穫れて居るやうですが。
私は管野道明「字源」の収載字一万を部首毎に駆使網羅する形で214篇の短文にしたことがあります。原稿用紙で百五十枚程要しました。国語辞典ならば片仮名語を最低限絞つて十万乃至十五万字を千五百枚程二段組全集本1冊に圧縮して、言葉そのものに語らしめる言葉の自叙伝が出来ぬかと模索して居る所ですが、漢字の部首に相当する共通項を見つけ出すに難渋して居る次第です。ここでは辞書とはさながらその文集或いは物語の注釈と化する訳です。
これが出来れば私の仕事も一応の完結を得るし、後々に裨益あらむとは考へてをります。
『国語政策』 Step mother's tongueを唾棄すべし
国語の現状、到底之を母国語mother's tongueとはいひ得ぬ。step mother's tongueであるといふが私の認識です。あいうえおの母音段に沿ひ経緯隙無く整合せられてあるものを言語の使用音標の羅列報告としては扱へぬ。官僚組織は一旦決定したことについて過ちを過ちと認めたがらぬ悪癖がある物です。和を以て貴と為す国民性が悪く作用して、stepmother's tongueの専横を押し留め得ずに居ますが、かかること官僚組織全体の知恵判断力を曇らせ、国を過たせる元になるのみですから、今のところ蟻の一穴を穿つに専念して、折に触れ自作に英訳添へて置くわけです。
足を切り靴に嵌め込む
愚かな業
気取られぬ間に
智慧冷え居て
航ふ涅槃へ
寄せ上る巫女
あしをきりくつにはめこむおろかなわさけとられぬまにちゑひえゐて
いたむうそゆめもやふねはんへよせのほるみこ
As it was foolish way
Cutting our foot to fit glass shoes,
Wisdom of bureaucracy was more and more cooling down.
While we could not be aware their fault.
They were still bounding on such false painful dream
As if it were only way to lead us to Nirvana
In which they played as a medium to confuse our mother's tongue.
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