2009/10/20

『上海租界興亡史』 5  お勧めの1冊

12章のうち、10章までを読了した。 著者はイギリス人である。 著者の日本に対する評価、特にこの第二上海事変に対する評価はかなり反日的である。 日本人翻訳者もその著者の意向に添う形で評価を下している、それが先の記述になったのだろう。
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歴史家が自分の立場を失わずに客観的に事件を検証するのは難しい、特に現代史の場合は不可能に近い。 これはそのよい例なのかもしれない。 著者の無意識(?)の反日姿勢には問題あると思うが最後まで読んでみたい。

事件はモーリス・ティンクラーが警備員として勤める工場に対する中国人の反英ストの最中で起こった。 中国人スト参加者が工場の発電所に殺到するのを見た主人公は拳銃を取り出し、阻止に動いた。 それを傍観していた日本軍守備隊は彼が拳銃を取り出した時点で彼ともみ合いになり、挙げ句の果てに彼は日本軍司令官に拳銃を向けた。 最後には彼は武装解除されたが、その過程で日本軍人に連打され日本の病院に運び込まれたが内蔵出血で息を引き取った。それが事件の顛末である。 

著者はそれ以外の労働争議事件についても「日本軍が仕組んだ」とする様々な中国人労働者の反英活動を描く。時には『日本の悪辣な』 p254といった表現がでる。また当時の英国領事の証言である 『まず間違いなく日本当局者上層部から(反英活動の)指令が出されている』 p256との証言を出すが、証拠はない。

それらは歴史史家に求められる中立性を維持しているようには感じられない。史家自身が偏見や思い込みを持っていると感じられる。 

最後に著者自身が記載している様々な証言をあげる。 

『(ティンクラーが武装解除されるまで)日本人は大変な忍耐力を見せていました。しかし武装解除してからは凶暴性以外のなにものも発揮しませんでした』 p260

『イギリス外交官は日本側に対しティンクラーの振る舞いが「かなりの挑発」となっていたこと、そしてアメリカ側に対しては彼が「完全に自制心を失っていたことを」認めた』 p263

さらに、このニュースを聞いた(ティンクラーをよく知るイギリス外務省)の職員が、

『もし、ジャップどもが、あいつが発砲したというなら、いかにもあいつのやりそうなことだと思う』 p264  とも述べていた。

これらの証言は主人公が謀殺されたというようなものではないだろう。 双方の暴力的な衝突の中で起こった事故とすべきだと思う。

<治外法権について>
(上海租界外の地、長江を遡った地)南昌での主人公、モーリス・ティンクラーの中国人警官(華捕)に対する狼藉に対し、地元の警察が、手が出せなかったことからも、 p212

また、以下の表現からも当時のロシア人を除く外国人は(ロシア人は革命で無国籍となり難民として租界に入ってきた)租界外でも特別な地位を確保していたようだ。

自分たちの治外法権上の「地位」を利用し  p236

これは現在沖縄で海兵隊員が犯罪を犯しても、地位協定によりアメリカ憲兵隊に一義的には逮捕権があることと同じだろう。つまり、沖縄は現代版租界と云うことが出来る。

ミスタイプ?
『1937年、8月14日の「暗黒の土曜日」には中国軍軍用機が日本軍軍艦に爆撃攻撃をしかけようとして無様な試みをして、南京路に密集した避難民に爆弾を落とした結果千人以上が死んだ』 p244

『南京路は7月14日には「遺体安置所」になっていた』 p247

前後の文章から、どちらかがミスタイプだと思われる。多分後者だろう。
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