2006/2/28

『中世ヨーロッパ文化史』  お勧めの1冊

Ch. ドーソン著、創文社。 序章に『歴史は事実を苦労して集めることではなく、現代社会の運命に直接係わっている』とした点には非常な共感を覚えるが、全体を通しての「西欧文化至上主義」あるいは、もっと有り体に云えば「キリスト教文化至上主義」が鼻につく。

序章の中で、西欧が『唯一カロリング朝を例外として、文化の指導力と政治的権力が独立していたことが(二元主義)、西方文化の自由と動的活力を生みだす主要な要因であり、キリスト教文化がその文化の原動力であり、自由な精神活動の源泉だ』との見解を展開されています。p13  確かに西欧における「聖と俗」の二元主義というのは私も重要なポイントだと思うが、それはあくまでもイスラム国家やビザンチン国家との比較においてであり、またその過程も近世に至るまでに、徐々に行なわれたのではないか? ましていわんや『キリスト教文化が自由な精神活動の源泉だ』とするのは疑問を持つ。 カソリック信者である彼の歴史学者としての限界を表わしているか?

3章で著者は西欧の修道制が古代文明の衰退から12世紀の大学の発生までほとんど唯一の文化組織であるとし、チベットや中国の修道制の例を並記しながらもこれらは『世界史の動向には殆ど影響を与えなかった』p43  と断言している一方で、『…ローマ帝国の教育機関は、蛮族の侵入によって壊滅するか、ラテン世界の衰えつつあった都市文化とともに衰微し、消滅してしまった。古典文化の伝統や古典作家の著作、つまり「ラテンの古典作品」が保存されていたのはもっぱら教会においてであり、特に修道士たちによってであった・・・』p44 と書き、この章の最後に至るまで一切アラブ世界における古典文化の保存とロマネスク期における逆輸入については記載がない。しかし、これは明らかにアンフェアー。

例えば10世紀のアブドウル.ラフマン3世(在位929〜961)のとき、コルドバの王室図書館の蔵書数は40〜60万冊と推定されている。 それに比べ、西欧中世最大の図書館をもつフルダ修道院ですら蔵書数はわずか1000冊。 一般的な修道院ではせいぜい200〜300冊。 果たして数百冊程度の蔵書しかない修道院が古典文化の保存の主役となりえたか? その数千倍の蔵書をもつアラブ世界こそ古典文化の保存に貢献したと考えるのが普通でしょう。 もし現代のイスラム世界が先進諸国に属していたならこれらのことは当然最重要視されているはず。 「歴史学」も現代に生きている我々という主体を通してしか成立しえないということを示す1冊

勿論、このように批判はしても、彼の著書は「反面教師的に」お勧めの1冊。
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2006/2/28

『ヨーロッパの知的覚醒』  お勧めの1冊

フィリップ・ヴォルフ著、白水社。ロマネスクの3人の思想家、アルクイン、ジェルベールそしてアベラールに焦点を絞り、その足取りを辿りことで西欧精神文化の礎が築かれたと云う時代に迫る。

「アルクインの章」では、カロリング・ルネッサンスがシャルルマーニュによる修道院等の創立による古典文化の再生にあるとはよくこれまでも議論されていたことですが、筆者はこの本のなかでより具体的にそれを描いて見せてくれます。例えばベネディクト戒律は修道士に年間1500時間の読書を規定したそうですが、これから著者は年間に修道士が読むであろう本の数を50冊(平均300ページ)と計算しています。p56 当時、各修道院は保有していた書籍は最大で(フルダ修道院)1000冊、平均200-300冊であったと言われています。p66 そこで、この需要に応ずるため写本の収集、大量複写が重要な責務となったそうです。 

しかし文字を書くという行為は、それまで特異な才能を有する者にしかできない、しかも手間のかかることであったことを、書体等の実例を挙げて著者は説明します。 その為この時期、アルクインはカロリング体に代表される新しい書体を開発していくことでこの問題を容易化しようとしたようです。p59 その他、アルクインは句読点を打ち、誤訳等を防ぐ改善化の普及も指導したとか。

カロリング・ルネッサンスがたとえ独創性に欠け、真に哲学的、科学的思想を有していなかったとしても、これは西欧における確かな1歩であることには間違いなかったということ。 そして、この荒野に撒かれた麦の1粒がやがて次の実り多き時代を約束するものであったことを著者は書き記しています。

「ジェルベールの章」では、カロリング時代のコルドバには40万冊の蔵書をもつ図書館があったそうですが。p141 当時西欧世界で各修道院が保有していた書籍の数は平均200-300冊。 最大でも1000冊(フルダ修道院)。やがてこのイスラーム世界からこの「知の集成」が怒涛の様に西欧世界にもたらされるわけです。 彼ジェルベール、後の教皇シルベステル2世は遠くイベリア半島にイスラームの英知を求め「零」をはじめとする新しい学問を西欧世界にもたらしたとか。 一方パリでは「批判と推論」を書いたアベラールがサント・ジュヌヴィエーヴの丘に集まった学生達に直接講義することによって後の大学と呼ばれるものの原型を築いた。

彼等は『教義』に囚われず自らの理性を信じ真理を探究した知の巨人達である。大学は今だなく、教育は聖堂の片隅で、あるいは野外で議論を重ねることで培われた。 この最初のミレニアムの始まる頃、人々は西欧精神文化の礎が築かれたと云う。
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2006/2/27

「脳の中の幽霊」  お勧めの1冊

ラマチャンドラン著、角川書店、初版1999年。著者は当時UC サンディエゴ大学、脳認知センター所長で同時にソーク研究所の兼任教授。 ただし本そのものは一般人を対象にしているので比較的読みやすい。

<何故、人は失った腕に痛みや痒みを覚えるのか?> との問いに対し著者は『我々の身体感そのものが全くの幻であり、脳が便宜上一時的に構築したものだ』という驚くべき仮説を語る。p94 例えば簡単な実験で我々は自分の鼻が数十センチ伸びたような錯覚を容易に得ることができる。もしこれがその体感だけで終わるなら普通の娯楽TV番組の体験物と大差ないだろう。しかし著者はそこから脳の機能に関する興味深い考察を展開し、彼の仮説を検証しようとする。

この本の中に右頭頂葉に損傷をもつ人たちの例が書いてある。p174-184 彼等は自分自身の左半身が完全に麻痺しているという事実を無視するか、否認するらしい。 試しに医師が拍手をして下さいと云うと、右手だけでその真似事をして「音が聞こえる」と返答するそうである。これは禅の有名な公案そのものではないか!?

彼は脳各部の機能分担と、フィードバック機能を用いてこの事例を見事に推理してみせる。その謎解きは科学であると同時に哲学であり、また推理小説でもある。もっとも、上等な研究と云うものは往々にして推理小説的ではあるが…

<感想>これらの否認や自己欺瞞は程度の差こそあれ正常な人の日常生活の中にも見え隠れするのではないか。
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2006/2/26

『背教者ユリアヌス』  お勧めの1冊

辻 邦生著、中央公論社出版。 学生の時とかなり大人になってから2回読んだのですが、2回目は最初程の感動はありませんでした。今となっては、劇画風というか単純過ぎるというか。勿論作品自体は変っていないわけですから、私自身の変化のありようであるわけですが…

しかし、何故この作品に若い私がひかれたのかは十分理解出来ました。本の内容はほとんど記憶に無かったのですが、唯一ユリアヌスと司教との対決のシーンが記憶に残っていました。それが第9章の『ルテティアの丘で』であることが判りました。 静かな会話の中に激しい火花を交す両者の姿がとりわけ印象に残っていました。 

キリスト者に対しユリアヌスは「彼等は自分の内心だけにとどまろうとしている」とし。 また彼等を“悪い人間ではない”としながらも「強情で、粗野で、偏狭であることを誇ろうとしている」 と批判して、「地上の事柄に関心を持たないとは、ローマ(秩序=法)を愛そうとはしないことだ」と批判しています。 さらに、『彼等が愛しているのは神だ、と君(司教アプロン)は言うだろう。 ・・・しかし私に言わせればガリラヤの連中(キリスト教徒)の愛しているのは神じゃない。自分なのだ。 自分だけなのだ。 自分が救われたいのだ。・・・』p613 とも述べさせています。 彼にとって何よりも重要なものは、ローマに象徴される『法=秩序』でした。 『秩序があってはじめて各人は真実に自由でありうる。何故ならローマの秩序は人間を真に人間たらしめる城砦のごときものだから・・・』 そして彼はこの考えを『秩序論』として書き残したとされていますp460。 

また別の箇所でユリアヌスにこうも言わせています。『・・・ローマは広大で、永遠な存在だ。しかしそのようなローマでさえ、いきなりローマ帝国があるのではない。 そこにはガリアの民もおり、ダキア(ルーマニア付近)の民もおり、シリアの住民たちもいる。 そしてそのガリア1つとってみても、また無数の人々がいるのだ。 …ディアよ、(ユリアヌスを慕う女競技士)ローマとは何処か別にある大きな1つの顔ではなく、この無数の個々の人間の中に現われてくる現実の姿に他ならない、私がローマ帝国に秩序を捧げようとするとき、それはこうした民の一人一人の生活に結びつくことを意味するのだ。』p559-60 

そして何よりも昔の記憶が鮮やかに蘇ったのは以下の文章。 ここでユリアヌスは異端論争でキリスト界が激しい抗争を繰り返すのを批判するとともに、彼の生き方を述べているくだりがあります。 ちょっと長くなりますが少しこの部分を抜粋します。

『しかし教義の正当性は何によって判定するのだ』
『真実でございます』
『両派とも真実を主張したら』
『真実は1つでございます』
『しかし両派ともそう言い立てるだろう。そうすればどうする? やはり相手を殺すことになるのか?』
『私はそうは考えませんが、そう考えている者もおりましょう』
『では、教義が1つになるまで殺りくは続かなければならないのか?』
『真理の為で、ございます』・・・・・
『・・・アプロン(司教)、私は少なくともこの点に関しては貴方とはっきり意見が違う。 私は正義とはあらゆる強制を含まぬものと思っている。正義とは自由に他ならない。少なくともただ自由の中にだけ存在するのだ。だからバッカスの司祭たちが夏の夜陰に紛れて歩くように、人間に多くの危険をもたらすのだ。しかしその危険を通してしか、人間がそれに達しえないとしたら、私はやはりこの道を選ぶしかないだろう。
『・・・百年たっても人間は愚かであるかもしれない。五百年たっても人間は自発的に正義を実現しようとしないかもしれない。千年の後にもなお絶望が支配しているかもしれない。・・・あと千年たっても駄目なら三千年待つのだ。それでも駄目なら、なお千年待つのだ。そして結局人間の歴史の終わりにそれが実現されないと判っても、人間が正義の観念を守り抜いたということだけは、少なくとも事実としてそこにあるのだ。・・・・』p491-2

ユリアヌスから二千年。 なお正義は実現されていませんが、それならば、さらに千年、あるいはもっと、さらに、さらに進んでいくしかないのではないでしょうか。たとえそれが果たしえぬ目標だとしても。
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2006/2/25

『稲作文化の世界観』  お勧めの1冊

平凡社、1998年初版。著者の嶋田義仁氏は日本神話を構成する三大神話群、即ち高天原神話、日向神話、出雲神話を大きく恋愛神話と兄弟闘争神話に大別し、さらに前者を、「死」-「密室籠り」-「生」。 後者を「水の勝利」-「密室籠り」-「地の勝利」にわけ構造分析する。p174 

そしてヨーロッパ神話が畑作(冬作)なのに対し日本は水耕作(夏作)が基本であることに注目し独自の構造分析を進める。これらは特に面白い視点だと思うし、其処から展開される推論にはある程度納得させられる。p216〜

確かに畑作と牧畜を組み合わせた西欧・地中海世界と水耕稲作中心の日本の異なる点は見逃してはならないでしょう。 著者がこのような視点をもてたのは、少年期を農村に過ごし、田植え期には一面が水に覆われ、秋の収穫期には稲穂に覆われた山梨県の甲府盆地に育ったことが無縁ではないとか。p183

この事に関して、縄文時代の遺跡から発見された稲は東南アジアの焼畑で現在栽培されている熱帯ジャポニカが多いというゲノム研究からの知見は、この構造解析が温帯ジャポニカ米が導入された弥生時代以降にしか適用できないことを意味するかもしれません。

なお「籾殻」がしばしば人の胞衣(胎盤)に擬せられるという点は p205〜 以前、宇美八幡神社についての書き込みで、 上宮に神功皇后が後の応神天皇を出産した時の胎盤が奉納されていることについて、私は 『原始的信仰を隠蔽する為にその上方に新宮を設けた』 と解釈したのですが、これが元々は米を脱穀した後の「籾殻」の奉納が起源だとすれば、天皇制イデオロギー導入にあたって「籾殻」が応神天皇の「胞衣」となったとしても不思議ではない。つまり「隠蔽」ではなく「転換」かもしれない。(前回の書き込み参照)
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2006/2/25

『記紀神話伝承の研究』の参考資料  お勧めの1冊

福岡県、糟屋郡にある宇美神社は応神天皇生誕の地として有名ですがそれ以外にも、元々は樹木信仰と泉信仰の地であったと考えられます。神功皇后が朝鮮からの帰り此処で応神天皇を生んだということで「生み」即ち「宇美」という神社の縁起になったという言い伝えはその後の天皇制イデオロギーによる脚色でしょう。

さて、この神社近くの山の麓に上宮があり、それからほぼ直線的に応神、神功を奉る本殿、さらにその延長線上の丘陵地帯に頓宮と呼ばれる場所があります。この頓宮についてはあまり詳しい説明もないのですが隔年に「稚児行列」なるものが頓宮から行われるということでそれなりの意味があるのでしょう。 さて、不思議だと思ったのはこの上宮と本殿の間をほぼ直角に横切る形で宇美川が流れていることです。 距離感と高度差を入れて空間的に表せば下記の様になります。 なお宇美川と本殿は歩いて2分弱、100メートルくらいしかありません。

上宮                頓宮
  ----川--本殿----------------

本来参道は神様の「通り道」なわけですからそれを遮る形で川が流れるのは都合の悪いことでは?と思ってしまいます。 勿論昔は川の位置が現在とは異なっていたという可能性は否定できません。 しかし上の図でも判るように宇美川の両側には小高い丘陵があるのでそれほど水路に自由度があるとも思えません。 普段はチョロチョロ流れる程度なので気にしませんでしたが今回のように川幅10メートルを超すような濁流が流れるとその不自然さが気になります。上宮と本殿の間は今では鉄筋コンクリートの参道橋が架けられていますが、昔は橋自体無かったよう。 そうなるとますます不自然。 それで妄想(汗)を逞しくして、天皇性イデオロギーによる脚色が行われる前の原始信仰の形態が「樹木信仰」と「泉信仰」だとしても、さらに別の信仰、即ち古代人の畏怖する別の対象があったのではないか? そしてその正体とは、まさに今眼下に荒れ狂う宇美川ではないか? 因みに上宮(皇后が出産した時の胎盤が奉納されているみたい)はその原始的信仰を隠蔽する為にその上方に新宮を設けたと考えられるのでは? この視点でいつか調べてみたいですね。 因みに、この神社が奉るのは応神天皇と神功皇后の他にもう一人、玉依姫命。 以下のHPの説明によれば、URL↓ 玉依姫命は、龍神(水神)の娘であったり、水の神を祀る巫女だったりするとのこと。また、玉依姫命が祀られる神社がある場所は、だいたいが水に縁のあるところでまさにぴったり。取り敢えず此処辺から探りを入れるかと思った次第
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2006/2/25

『記紀神話伝承の研究』  お勧めの1冊

泉谷康夫著、吉川弘文館、出版は2003年だが1964から2001年にかけての論文集。現在通説となっている。応神(15代)以前の天皇は創作説、これは井上光貞氏による記紀に表われる天皇の和名の解析結果によるものらしい。簡単に纏めれば、

応神(15)から継体(26)までは素朴な実名(応神=ホムタ、継体=オオト)を伝えたと思われる和名が並んでいるが、それ以前の天皇(景行12〜14+神功皇后)の和名には舒明(34)、皇極(35)などの和名である、皇極=アメトヨタカライカシヒタラシヒメ、舒明=オキナガタラシヒヒロヌカ、のタラシヒ(コ)やタラシヒメの名前を分解・組み合わせたような名前が見られる。 さらに前にさかのぼると、孝霊(7)〜開化(9)では持統(41)〜元正(44)でみられるヤマトネコという言葉を組み合わせた和名がつく。 つまり、

<歴代の天皇(第2〜44代)の和名は記紀作成時を片方の起点にして継体を中心に鏡像のような「対称構造」> 図示すれば以下のような構造をしていて、如何にも不自然だということ。 

記紀作成時

ABC… XYZ (継体)zyx…cba

しかも中央部に素朴な実名ぽい名前が並ぶ。 これは記紀の成立年代(時間的に幅がある)を考慮すると意味深なところがある。 つまり、それぞれの時代にその時代の天皇の名前を組み合わせて段々昔の天皇を創作して付け足した可能性があるということらしい。 p156  ←原著は井上光貞著の『日本国家の起源』より

今まで天皇の名前は神武(1)とかの漢名でしか知らなかったので、ちょっとこれには『目から鱗』。 しかし、一方で「創作」の根拠として果たしてそれだけで大丈夫か?! とも思う。 多分その他にも色々あるのでしょうがそれについての解説はありませんでした。 私としてはやはり考古学的傍証が欲しいですね。 

またそれとは別に、注目した記載の1つとして、
『・・応神から武烈に至る間、大和朝廷では穀霊信仰が行われており・・』p26 『・・記紀神話には穀霊信仰の反映が多く見られるが、穀霊神は一般に嬰児形をとる・・』p16
というのがあります。これは先日単なる思いつきで考えたのですが、<穀霊神 →籾殻=胞衣(胎盤)→嬰児=応神生誕>の流れ「意外に当っているかも?」と感じました♪ 
これについては次回に。
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2006/2/25

『征服の修辞学』  お勧めの1冊

副題は、ヨーロッパとカリブ海先住民、1492-1797年。ウンベルシタス458 法政大学出版局 1995年初版。ここで副題にある1492年は云うまでもないがコロンブスによるアメリカ先住民との最初の接触。後の1797年は何だろう?と読み進めていくとこの年が最初にカニバリズム(食人行為)という言葉の初出例の年らしい。p19 この言葉はその後ヨーロッパのカリブ侵略、先住民族の殲滅とさらには黒人奴隷による植民地化を正当化するキーワードになる。

この本は推理小説を読むような感じがある。コロンブスの日誌や書簡より生まれる言説、例えばカニバル→カルブが生まれた背景を探るとか。あるいは短い航海の間にコロンブスが「オリエント言説」から「ヘロドトスの野蛮の言説」に転換する過程の推理も流石。p44  著者は云う、

『・・植民地権力の言説行為に逆らってテクストを読む・・』p62

これはまさにギンスブルグの『歴史を逆なでによむ』と同じ試みでありそれが歴史を研究する人に求められるものの1つなのだろう。つまり<記録が如何に色眼鏡を通した記録であったとしても、その中に何がしかの真実を探ることが出来る>ということでしょう。なお著者によれば、この本に影響を与えたものの1つがあのサイードの「オリエンタリズム」らしい、(序文pXX)

征服の修辞学』の表紙には1600年頃に描かれたと考えられる「アメリカ」と題された版画が載せられている。此処でアメリゴ・ヴェスプッチと出会うアメリカは裸体の女性として表現され、遠景には食人(カニヴァル)の饗宴が描かれている。このイメージの指し示すものは明らかである。即ち、カリブとは征服されるべき野蛮な地。そして先住民は殲滅すべき対象。

『16世紀初頭までには、・・・西インド諸島に先住する食人種が犬のように獲物を漁り、手足を引き裂いて食べるという「経験によって実証された事実」の裏付けができていた。そうした肉食動物だからこそ、ヨーロッパで最も残忍な猟犬の犠牲とせしめることが、まさに因果応報と考えられたのである』p137

以下に述べることはこの本の中に書かれているわけではありませんが、辞書を紐解くと以下に挙げるような言葉が散見されます。おそらくこれらも上に挙げた植民地言説の影響でしょう。

Cariban=Caribbean=カリブ人
carnivalism=食人(は勿論ですが)
carnival=カーニヴァル
carnivora=食肉動物
caribe=ピラニア
carnalism=肉欲(現世)主義
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2006/2/25

『移民の運命』  お勧めの1冊

この中でトッドは、家族構造が宗教的・イデオロギー的信条(普遍主義と差異主義)を決定すると述べ、『先験的な形而上学的確信』とまで云っている。p30、p57-8 そしてその例にローマ人カエザルがガリア人を観察した際の『ガリア戦記』を挙げる。p59

彼は家族構造の分類に、(1)父・子関係が権威主義的か自由主義的か(2)兄弟関係が平等か不平等かで大きく4つに分類し、(さらに女性の地位を巡る別の要素も付け加えることもある)それぞれの民族を当てはめる。日本人の場合、父権が強くかつ長男に権力が集まることから直系家族と分類され、ドイツも同類とされる。

しかし、何故このような家族構造がそれぞれの民族で生まれたのかについての説明はない。また、今日先進諸国で急速に進む少子化はこのような分類法が最早有効ではないこと。さらに論を進めれば、少子化自体が別の社会的要因で決定されるわけだから、結局家族構造も別の社会的要因で決定されることになるのではないか?

<トッドは仏政府の影の政策立案者か?>
彼は、多文化主義を批判し移民は同化すべき、と考えているよう。p523 さらに移民を巡る最良の方法としては「国境がほんの少し開いている」ことを挙げる。何故なら同化は連続した動きで時間がかかること。また、最後に入ったものが少し前に入ったものを社会の中心部に押し込んで行くから。P357 その意味では彼はまさに仏政府の政策立案者だと云う事が出来る。例えば最近のモスリム子女に対する『スカーフ問題』で仏政府が頑にエスニック性を公共的な場から排除しようとするのもそれ表れなのかもしれない。
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2006/2/25

『新ヨーロッパ大全』  お勧めの1冊

この本を読むと「目から鱗」。ただキリスト教関係の知識がない者としては十分理解は難しい。後で間違いが見つかれば訂正します。

トッドは、ヨーロッパの宗教改革以後の西欧キリスト教地図を以下のように作成するp206 まず「父子関係はポジティブに神の権威のレベルを決定し、兄弟関係はネガティブに神の権威への異議申し立てのレベルを決定する」とし、さらにそれに「聖職者権威への異議申し立てに有利・不利な条件」として識字化とローマ間での地理的距離を変数として加え、

(1)直系家族+聖職者権威への異議申し立てに有利な条件=正統プロテスタンティズム(北部ドイツ、北部スイス、南フランス、スエーデン)
(2)絶対核家族+聖職者権威への異議申し立てに有利な条件=アルミニウス派的プロテスタンティズム(ホラント、イングランド)
(3)直系家族+聖職者権威への異議申し立てに不利な条件=カトリシズムの維持(アイルランド、ラインラント、イベリア半島北部沿岸、フランス中央山塊、アルプス高地)
(4)平等主義核家族+聖職者権威への異議申し立てに有利な条件=カトリシズムの維持(北部イタリア、パリ盆地)
(5)平等主義核家族+聖職者権威への異議申し立てに不利な条件=カトリック支配の維持(中央並びに南部スペイン、南部イタリア)p155-6

ここで自由と平等の価値観がカトリックに有利に働くのは以下の理由による。『トリエント宗教会議は救霊予定説を退け、形而上的機会平等と自由意志の理論を強化する』p132 なお、新教カルビン派の思想に特徴的なのがこの救霊予定説。そこでは人は天国に行く者と地獄に行く者が誕生以前から決まっているとする。確かにそういう意味ではカルビン派が実行動において敵対する者を冷酷に断罪するのはよく判る。

中世末期や近世に、如何に地域ごとの識字化率や文化水準を決めるかという点で彼は、18世紀末の婚姻台帳に<自分>で署名出来た地域の分布図p269と15世紀末に一台以上の印刷機が稼働していた分布図を比較するp137 そして『識字化のテイクオフは当該地域の歴史が古いということに求められない』p172とする。そのよい例として、1500年頃は文化的周縁部に位置していたスカンジナビアとスコットランドが急速に識字化を進め1900年頃には文化的に中央に位置したことを指摘するp172 スエーデンやスコットランドでは支配的な直系家族が文化的効率を挙げた一方、識字化が長期的には上昇傾向を示しながらも振動運動を見せるイングランドについては、典型的な絶対核家族は不確定性を示すとするp80。つまり『絶対核家族は文化的後退を許容するのに対し、直系家族はそれを禁じる』p179 これは生活感覚としてもよく判ります。

また「文化的水準」と「工業的水準」が乖離しているとの点に間して彼は、1858-62年において大ブリテンが世界の鉄の53%、繊維の49%を生産しているにも関わらず同時期文字を読める住民はブリテンよりドイツやスエーデン、スイスで多いこと、しかしながらこの地域では工業的水準は立ち後れていた事実があることを指摘する。 そしてそこから経済発展の自律性を主張する史的唯物論が生まれたとするp189。

また「脱キリスト教化の年代的推移」を見る方法としては(カソリック世界では)ミサの出席頻度が考えられるが実際には史料として存在しない。そこで彼は、代わりに「新たに聖職者となる者の数」を用いる。そこで観察される事実は、この数は直線的に減少傾向にあるのではなく、最初のカトリックの危機(18世紀末)を乗り越えた地域では20世紀後半までは少なくとも減少していないこと。特に19世紀は増加すらしているp214 

此処であのヴォウヴェルの研究が引用されていました。ヴォウヴェルは南仏プロヴァンスにおける膨大な数の遺言状の解析に於いて、その中に現れる<ミサの依頼の相対的頻度>を指標として使っている。 両者の数字からの解析は「脱キリスト教化の年代的推移」に関して一致しているp210。

此処までの纏めとして彼は、西欧における脱キリスト教化は地域ごとに多様であり、また時代的変化も大きく異なることを明らかにした。そしてそのような <<脱宗教化は形而上学的空虚を生み出し、それに代わるものとして民族のイデオロギーと階級のイデオロギーが生まれた>> とするp252。 これについては上巻最後の第III部「宗教の死、イデオロギーの誕生」に続く。

<感想>
様々な資料・史料を駆使して議論を進められると一読者としては彼の結論に納得せざるを得ない。しかしこちらは所詮素人、そこに挙げられる数字を評価する能力がない。やはり此処はピアレビューが出来る同分野の研究者によるトッド批判が必要。 ただ個人的印象としては数字の恣意的操作が無いのか?何となく気になるところ。

*勿論、このように批判はしても、彼の著書は文句無しにお勧めの1冊です
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