2006/3/2

『ブラック・デイアスポラ』  お勧めの1冊

ロナルド・シーガル著、明石書店、1999年初版。著者は南アフリカ出身の白人。しかしユダヤ人である出生がこの本を書き上げさせたのだろう。 彼は『網羅的だと言い張るつもりはない』とも『他の人々の学問的成果に依拠し…』とも述べていますがなかなかの名著。 

また彼はこうも云う 『何度も思ったことだが、情報の波がもう一波押し寄せたら、この本を海にまで押し流して元も子もなくなることだろう』p19 このようなことが云える著者は信頼出来ると思う。

私はサルサの流行を「移民・デイアスポラ」というキーワードで読み解くと色々理解出来ると気がついて以来、これら関連書籍を読むようになった。 此処でレゲエやカリプソを詳細に見ていくと、それらがジャマイカやトリニダードの政治・経済と深く関わっていることが非常によく判る。 比較するにサルサはより『移民』の音楽の側面が強い。つまり出身国と受け入れ国(アメリカ)の双方のファクターが複雑に絡みあう。つまりレゲエの方がより土着性が強い。ところがサルサ以上にいまレゲエが世界で流行しているのは何故だろう? おそらくそれはレゲエのもつ、あるいはボブ・マリーという稀代の強力なメッセンジャーの存在だろう。

なおこの本の中で著者は、合衆国南部やサン・ドマング(現ハイチ)で 『何故、人種差別主義が奴隷制の維持に必要な範囲を越えて、また奴隷制を維持する上での利益に反してまで極端に走ったのか』p121 という問いに対し、南部の支配層であったアングロ・サクソンのプロテスタント的道徳心とは相容れないような奴隷制度に対する「罪の意識」と一方のフランス人の場合は「プライド」を挙げている。 しかし、私としては説得力がない。むしろE・トッドが『新ヨーロッパ大全』で議論した、ヨーロッパの伝統的家族制度で説明する方が私としてはより説得力がある。(『新ヨーロッパ大全』については以前このコーナーで既に紹介しています)即ち、アングロ・サクソンとカリブ地帯にプランターとして移住した、主にフランス南西部の人々が携えていた家族制度にこの疑問に答えるヒントがありそうです。

トッドは『新ヨーロッパ大全』の中で宗教改革以後の西欧社会宗教地図を作成する p206
(1)直系家族+聖職者権威への異議申し立てに有利な条件=正統プロテスタンティズム(北部ドイツ、北部スイス、南フランス、スエーデン)
(2)絶対核家族+聖職者権威への異議申し立てに有利な条件=アルミニウス派的プロテスタンティズム(ホラント、イングランド)
(3)直系家族+聖職者権威への異議申し立てに不利な条件=カトリシズムの維持(アイルランド、ラインラント、イベリア半島北部沿岸、フランス中央山塊、アルプス高地)
(4)平等主義核家族+聖職者権威への異議申し立てに有利な条件=カトリシズムの維持(北部イタリア、パリ盆地)
(5)平等主義核家族+聖職者権威への異議申し立てに不利な条件=カトリック支配の維持(中央並びに南部スペイン、南部イタリア)p155-6

アングロ・サクソンは(2)でフランス西南部は(1)(2)(3)の境界域、つまり絶対核家族&直系家族出身者。一方、比較的人種差別が厳しくなかったのが(5)の中央並びに南部スペイン地区の平等主義核家族出身者。 また非常に重要なことだが、フランス革命やハイチ革命の原動力になったのは(4)のパリ盆地=イル・ド・フランスの平等主義核家族出身者。単純な結論は慎まなければならないでしょうが、絶対核家族&直系家族 vs 平等主義核家族制度の事実は示唆的

その他の点として、著者は、『…ムスリムはハウサ人のみならずヨルバ人の中にも多数の改宗者がいた。ムスリムには、宗教の勉学(=高識字率)とともに政治闘争の強い伝統があった。バイヤの多くの奴隷主が読み書きを知らなかったのに対し、到着したばかりの奴隷の多くは読み書きができ、他の奴隷達を感化したのであった…』p281 と述べてイスラーム文化の中南米への伝達についてのべている。 しかしこれまでラテンアメリカ文化のイスラームの影響についての言及は聞いた事が無い。これは今後の課題。

最後に1つだけ注意を要することがある。それはアフリカから黒人奴隷を新世界に拉致したのは決して白人達だけではない。 彼らをアフリカの地で追い立て、拉致した者達もアフリカ人自身であることは忘れてはならない。
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2006/3/2

『中世の生活文化誌』  お勧めの1冊

副題;カロリング期の生活世界(対象は8世紀なかばから9世紀)、ピエール・リシェ著;東洋館出版社、1992年初版。この本の中で『パリのサン・ジェルマン・デ・プレ修道院は30,000ヘクタール以上…大規模な修道院は3,000から8,000マンス(1マンスは平均して12ヘクタールの広さ)。二流の教会は1,000から2,000マンス、小規模な修道院でも、300から400マンスの土地を所有していた』p81と述べられている。

さらに『…サン・ジェルマン修道院の領地における人口密度は1平方キロあたり34-39人と推定し…イゼール川からブーロネ丘陵にかけては1平方キロあたり34人、より北の地方では20人、リル周辺では9-12人、モーゼル川流域では4人であったと推測されている。p57-58 これらからこの時代、サン・ジェルマン・デ・プレ修道院の所有する領民の数はほぼ1万人という計算になる↓

30,000 x1/100 x 〜36 = 10,800

別の章の記載によれば、マンス(manse)はプロバンス語の農家 (mas) と同様、家屋(mansio)から由来し、1マンスとは1家族の生活を支えうる土地ということらしい。p122。 とすると、サン・ジェルマン・デ・プレ修道院は30,000ヘクタール=2500マンス(2500家族)を所有し、1家族数は10000/2500で4人。これは別の史料『サン・マルタン・デ・プリ修道院の土地台帳』から、1家族の子供の数は2.5人ということなので、1家族の子供の数が2.5人(=〜4.5人/家族)となり、つじつまがあう。

あちこちの独立した史料の断片を組み合わせていくと意外と面白い事実が見えてくる。私はよくこのことを『史料の縦糸・横糸』に例えることがある。 1つ1つの史料に余りにこだわり過ぎるとミスリードすることがあるが、整合性に注意を払うと全体像が見えてくることもある。 また無意識や、意図的な史料の誤摩化しもこうやって暴かれこともあるようだ。 以前同じようなことを『修道院と農民』』という本でも経験したがそれについてはまたいずれ。

さて、この本のあとがきに訳者である岩村清太氏が、『著者は現に具体化しつつある(1991年時点)欧州共同体の原型ないし範型は、まさにカロリング帝国とその延長にあると考えている。つまり本書は今日のヨーロッパの統合という視点にたち、カロリング帝国における地理的統一はもちろん、民族、経済、文化、思想における統一を描こうとしている』p423 と述べている。著者の考えが妥当かどうかには極めて疑問であるが、重要なことは、現代ヨーロッパの歴史学者において、そのような考えを持つ人達が、かなりいると云うことだろう。その後のEUはかなり拡大し、今後トルコにも広がるかもしれない中で最近この流れに対する反動をあることを思うと納得がいく。
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2006/3/2

享受し、またそれに苦しむ  お勧めの1冊

『スペインとイスラム;あるヨーロッパ中世』サンチェス・アルボルノス著、八千代出版。著者は歴史学者として、政治家として多難なスペイン内戦期(1936-39)に2度の亡命を経験した人物。書かれたのは1928-30年にかけてで、今から70年以上前。

意外にも、最後の『中世とアメリカの事業』が一番読んで面白い。著者はレコンキスタからアメリカの植民地政策が同じ「心性」のもとに行なわれた歴史的事業、そしてスペインにとってその後の歴史を決定する「悲劇」の事業だと考えている。これは他の多くのスペイン史、ラテン・アメリカ史の研究者に共通する認識。

現代の視点からみると色々批判の矢面に立ちそうな内容であるが、歴史学とは常に現代を見る鏡であるということを示し、その意味で価値のある本。 下記の一文がそれに対して紹介する文に最適かもしれない。

『…私の作品も、将来修正を余儀なくされることだろう。すべての歴史の専門書は、その修正を享受し、またそれに苦しむものである。 歴史が永遠の生成と死ー新たな生を与える死ーの学問である以上、それに似せて、それにかたどられて生まれた実りも、同様の輪郭を持っているのである…』p103-4
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2006/3/2

『埋められた鏡:副題、スペイン系アメリカの文化と歴史』  お勧めの1冊

カルロス・フェンテス著、中央公論社。1995年初版 ここでの「鏡」とはメキシコ革命で反乱を起こした民衆が押し入った富豪の家の中で、はじめて自分の姿を「鏡」で見て、『自分自身とは誰なのか』を問うシーンに象徴される。 著者は、『…我々はインディオ、黒人、ヨーロッパ人だが、何よりも混血の、メスティーソである』と言う。p416  またこうも述べる『…エンチラーダはハンバーガーと共存出来ると考えているからである。文化は他者との接触によってのみ栄え、孤立すれば滅びる』p414 

メキシコ人である著者は国連や外務省にも勤めた人物。彼はラテン・アメリカ世界の歴史を、まずローマのイベリア半島支配から紐解く。彼は、スペイン系アメリカの文化と歴史は、遠くローマのイベリア半島の支配の、そしてさらにはレコンキスタの流れの延長にあることを力説する。 レコンキスタが何よりも軍事的な出来事であるとしながらも、スペインと後のスペイン系アメリカの輪郭を形作ったとし、その中には元々政教分離という建前があるにも関わらず軍隊には多くの僧侶が混じり後に新世界の征服を大きく決定づけた戦闘的な宗教軍の雛形が見いだされたと。p66 この指摘はサンチェス・アルボルノスが70年前に『スペインとイスラム;あるヨーロッパ中世』で述べた通り。

著者によれば、スペイン語の単語の1/4はアラビア語を語源としているとか。p57  しばしば我々は「スペインはヨーロッパだ」と思い込んでいるが800年もの間、イスラームの支配を受けたイベリア半島の歴史を再度認識する必要がありそう。

図らずもこの本の最後にも『アメリカ合衆国のヒスパニック』という章がとってある。以前、この欄で紹介したようにフランスの西欧中・近世史家である E・トッドが『移民の運命』という本を書き、アメリカの政治学者で『文明の衝突』の著者、S・ハンチントンが『分断されるアメリカ』という本を書いているが両者とも20世紀の、さらに21世紀の最大の課題の1つがこの移民の問題であることを指摘している。 今回の著者が最後の章に『アメリカ合衆国のヒスパニック』という項を設けたのも同じ理由からでしょう。しかし前2者とその答えは微妙に異なるよう。
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