2006/3/10

『砂糖大国キューバの形成』  お勧めの1冊

「副題―製糖所の発達と社会・経済・文化」マヌエル・モレノ フラヒナル著、エルコ、 1994年。紹介記事には、「17、18世紀世界貿易の主要商品である砂糖を産したキューバ製糖業の発達を、奴隷制との関連で総合的に研究。キューバをはじめとするイベロアメリカ(中南米)の産業、社会、文化を理解するうえで必読の文献」とある。確かに、重複や史料の断片化など難点はあるものの大変勉強になる本ではあるが、著者の反米イデオロギーに結論が影響されていないか疑問。

この本のなかで認識を新たにしたものの1つに黒人奴隷の流入が奴隷貿易禁止後(1820年)もますます密貿易により盛んに行なわれたということ。断片的資料をまとめると、それまで精々年3,000人程度が、1815年以降年間10,000人程に増大しp277。1845年の一時的減少を経て、1855年以降急激に年間30,000人程度に急増したとのこと、なおこの最終時点では中国からの移民(苦力)が同時に増えていますp301。最終的には密貿易の拠点が北米のNYにあったので、これが南北戦争開戦(1861-5)により閉鎖されることで終結したとのこと。推定としてこの間(1821〜1860)に36万人程度が輸入!されたようp287 ここら辺のことはキューバ大使館のHPの記載と比較してみると面白い。(キューバ大使館のHPによれば、1862年における人口構成は以下のとおり。白人クリオーリョ60万人、スペイン人11万6千人、白人外国人1万1千人、中国人3万4千人、ユカタン人834、黒人59万4千人)

いずれにせよ、キューバにおける黒人奴隷流入は砂糖産業と一体化していた。  飢餓の時は黒人奴隷を救うと同時に、彼らの苦痛の源でもあった砂糖。サルサ歌手セリア・クルズが『アスーガ』と叫ぶのも砂糖がそういったアンビバレントな存在であったことと無縁ではないでしょう。 

ある本で1砂糖工場の奴隷名簿から年齢分布を作成した史料が掲載されていたが、これなどは如何に奴隷の生活が過酷なであったかを示す例。年齢分布は三角形を2個重ねた形になっている。即ち農園で生まれた奴隷の子は成人に達する前に死んだということだろう。『奴隷は養うより買った方が楽』という同時代人の証言もある。
なお年間黒人奴隷の消耗率は砂糖工場では10%とされています。因に鉄道工事では線路1km当たり13人p323。著者は『砂糖と鉄道は黒人奴隷の血から出来上がった』と述べていますが納得出来る。また著者は『奴隷制度は低い生産性や産業革新の阻害に働き、砂糖産業近代化の足枷となったと』結論づけています。

1最後に1つ疑問に思ったこととして、著者は合衆国の南北戦争開戦によりNYに拠点を持つ奴隷密貿易組織が瓦解し、奴隷密貿易が終了したかのような説明でしたが果たしてそうか? 普通に考えると密貿易商人はまた(元々はブラジルとかからNYに来た)拠点を代えて活動した考えるのが自然では? 著者の反米イデオロギーに結論が影響されていないか疑問。

なお著者は労働力市場を3期にわけ、1792-1820年:合法、 1821-50年:非合法1850-60年:密貿易最高期(苦力移民)としそれ以降についての奴隷市場の記載はない。 1868-78年は最初の独立戦争の時期にあたる(最終的独立は1902年)1860年以降の記載がないのは私には意味深に思える。社会主義国の歴史家の限界と感じるのは穿ち過ぎか?
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2006/3/10

『キューバ経済史』  お勧めの1冊

「副題―新大陸発見から植民地主義克服まで」フリオ・レ・リベレンド著、エルコ、2003年。紹介記事には『西欧史観とは異なる俯瞰図が描かれている』とのことでしたが、特にそのようには感じない。その代わりに強い反米感情は感じました。実際この本はキューバ国史教育のために、ハバナ大学人文学部教授によって書かれたものでプロパガンダの意味合いもあるかもしれない。この本が書かれたのは70年代半ば、著者は社会主義国家の輝かしい未来についても述べていますが、p213 その後の社会・共産主義世界の自壊などは予想も出来無かったのでしょう。もっとも、かのE トッドは同じ頃にソ連の崩壊を予測したわけですが…

この本の中に、キューバが他の植民地に比べ都市部に黒人が多かったという記載がありましたが、何故そうなのかの記載はありませんでした。p167-8 その後『砂糖大国キューバの形成』を読んで上の記載は正確には <他の植民地に比べ農村部に白人が多い> ということかと考えています。

キューバはサトウキビ・プランテーションとしての最適地であったにも関わらず18世紀中頃まで奴隷制プランテーションというのは殆ど開発されていなかった。これは宗主国の強力な植民地政策により貿易がスペインに制限され他の西欧諸国・大陸植民地とのキューバ独自の自由貿易が禁止されていたことによる。それに対しジャマイカやハイチ、それに当時重商主義的英仏領の小アンティール諸島では大規模な奴隷制プランテーションが開発されていた。つまりそれらの地域では黒人人口比率は非常に高かったがスペイン人自作農による農業国キューバでは白人が多かった。

その後、英国との戦争でハバナがイギリスにより占領されるや沢山の黒人奴隷がジャマイカ等から輸入された。占領期間はわずか11ヶ月らしいが一度堰が切られるとこの流れを止めることは出来なかった。これには18世紀の西欧における砂糖の消費量の爆発的増大と宗主国スペインの国力の衰え、さらに当時最大の砂糖生産国であったハイチが革命により消失したことで、文字通りの砂糖バブルとなったことが背景にある。

しかしながら、既に産業革命を経た西欧の視点からすれば奴隷制度は生産性が非常に低い。それで前記の国のようには大量の黒人奴隷が導入されることは無かった。 そうこうする内に19世紀の奴隷解放の時代になるわけで、これに伴い安い労働力が中国やインドなどから入ってきたので職を奪われた黒人は都市部に流れたということなのか? それでキューバ全体でみれば黒人は多くないということなのかもしれない。

砂糖はキューバにブルジョア階級を育てた。時として経済的にキューバは本国スペインすらも出し抜いた。例えば鉄道、1837年に最初の鉄道が敷設され20年後にはキューバ全土が鉄道で連結された。(新橋・横浜間の日本の最初の鉄道が1872年)あるいは通信、1860年にはハバナ市は島内主要都市と通信設備で繋がった。 当時亡くなったあるブルジョアは当時の世界で1、2を争う遺産を残したとか、p139  文字通り砂糖がキューバを金満・先進国にしたわけですが、その中で国民意識を芽生えさせた。p149-150 しかし反面、砂糖はキューバに精神的退廃をもたらしたとも云う。p155 

<黒人のダンスと音楽>
さらにキューバで砂糖バブルが起こっていた最中、1つの戦争が起こっていた(AD1790-1804)。 それは10分の1税を要求するカトリック教会とブルジョアの戦い。p114 この過程はトッド風に云えば、宗教というイデオロギーから国民国家という近代イデオロギーへの転換と云えるでしょう。

一方でキューバの白人支配者はハイチ革命に象徴される黒人奴隷の反乱にも怯えていた。彼らは奴隷の宗教を抹殺してはならないと考えていた。何故なら『奴隷の精神を支配する宗教を保持しておく事が安全だ』p118と考えていたから。 しかし上に述べたように、カトリック教会との対立関係からその宗教は正統なカソリック信仰とするわけにはいかない、その代わりに彼らが選んだのは奴隷自身のアフリカの宗教だった。 そのような背景の中で当時砂糖工場集落の中では太鼓の乱打、ダンス。そしてカトリックの聖人とイフェの地の精霊が混淆する新しい信仰が興隆した。

これまで、黒人のダンスと音楽が白人支配に対する<抵抗>の象徴であったとする幾つかの文献『ニグロ、ダンス、抵抗』を紹介しましたが、此処では逆に支配者がカトリック教会との争いの中で黒人のダンスと音楽を巧く利用したと理解しました。どちらが正しいかは素人の私には判りませんが両義的な一面があったとしても不思議ではないでしょう。
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2006/3/10

『フランスロマネスクを巡る旅』  お勧めの1冊

中村好文 & 木俣元一著。新潮社、2004年。 ブルゴーニュから南仏、そしてピレネーの麓まで。 美しい写真集であるとともに、著者の一人が建築家であるため、史家や美術愛好家とは異なるユニークな視点も好ましい。 

例えば著者が針金で聖堂の模型を作成したものが本の中で登場する。 写真などで見ても現場にいかなければ判らない事がかなりあるものだが、これはそういう点で役にたった。

著者はかつてサン・セルナン聖堂に、今はオーギュスタン美術館に納められている『獅子座と牝羊座の女』について解説しているが、その中でこの彫刻の中の女が、片足裸足であることに対し『何を意味しているのか判らない』p126と述べられていましたが、西欧史家、池上俊一氏(東大)の著書『歴史としての身体』柏書房の中では、

『裸足には象徴的意味があった。図像ではキリストや聖なる人物は、しばしば裸足で描かれる。ところが片足のみ裸足なのは、悪徳・堕落の印であり、12世紀初頭、南フランスやスペインで彫られたレリーフに片足裸足の女が彫られているのがその例である』p107 と述べられています。

この記載が『獅子座と牝羊座の女』についても当てはまるならば、この彫像は聖像としてではなく、金貸しやユダヤ人、イスラム教徒など、当時の悪の象徴、堕落の象徴として描かれたものではないか?

さらに著者は『半円筒ヴォールト工法はイスラム世界からきた』 p106 と述べられていますが、ローマ時代のアーチの延長と考えてもいいのではないでしょうか? 建築家に対して畏れ多いことですが、そんなことも感じた。

なお、この中で著者は、フランスでは1100年に人口が620万から、1200年には900万人に増加したとの説があることを紹介している。p154 この時代も21世紀同様右肩上がり、発展の時代。
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