2006/3/12

『New York、周縁が織りなす都市文化』  お勧めの1冊

三省堂2001年初版 の中で著者の後藤雄介氏は、プエルトリコ本土とNYの分ち難い関係を取り上げ、プエルトリカンのアイデンティティーとしてフローレンスの提唱する『どれでもないわけではない=Not neither』という言説を紹介する。p89  しかし、人種や民族で予め分断する(と私が考える)アメリカ階層社会にあってその主張がどれほどの説得力を持ち得るのか多少疑問を感じる.

実はこの「Not neither」1998年の住民投票で自由連合に留まるか、連邦州に昇格するかの投票で <どれでもない> に最大票(50%)が集まった事に象徴的に表れているとする。 「どれでもない」は事実上現状維持派で州昇格派は46%、辛うじて現状維持となったわけ。因みに独立派は2%。 実は昔、このニュースを聞き非常に奇異に感じた記憶があるのですが今では何となく判ります。

さらにこの本によれば、1920年代のスパニシュ・ハーレムはユダヤ人街。それが1930年代の大恐慌後にプエルトリコからの移民が押し寄せた。p22 当時、この地区の家賃はかなり高かったが、彼らはそれを軽減する為、本来一世帯用の住居に数世帯がシェアーして住んだが、この事はこの地区の住環境を急速に悪化させスラム化させたとのこと。

なお2000年国勢調査ではプエルトリコでは黒人8%で白人80.5%となっていますが、「La Vida」では1965年において白人75%、混血と黒人25%。

国勢調査では混血に相当すると考えられるtwo or more racesが4.2%で、これを加えるとプエルトリコで混血と黒人は12.2%。 これを白人に組み入れないのには理由があって、アメリカでは有名な『One drop rule』があり、少しでも黒人の血が混じると白人とは見なされないという法律が昔あり、今でもその習慣が根強く残っているからこの場合混血に入れるのが妥当。 両者共に信頼出来るとすると。混血・黒人の25%→12.2%の半減はなにを意味するのか? 

出生率は黒人の方が大抵倍近く大きいのでとても不思議なこと。 もしかすると黒人・混血がプエルトリコからエクソダス(この場合はディアスポラが適当か?)していることなのか? これは今後の課題。 因にディアスポラという言葉は文化人類学や社会病理学の分野でよく使われ元々はギリシャ語。分散・離散を意味する。

(追伸)
これについてある人がその後『意識の変化』というのを指摘した。国勢調査は自己申告制であるため、どのような定義で人種を申告したのかは不明。60年代は公民権運動や黒人運動の盛んな時期、自らの<アフロ性>を認めやすい傾向にあった可能性がある。逆に云えば2000年の段階ではそれが後退したのか?
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2006/3/12

『中世とは何か』  お勧めの1冊

J.ル=ゴフ (著) 藤原書店、2005年。紹介記事には『商業・都市・大学・芸術の発生、時間観念の数量化、ユダヤ人の排斥など、現代に続く「ヨーロッパ世界」「西洋文明」は、「中世」に初めて誕生した。従来の時代区分と中世観を根底から覆し、「西洋史」の核心に迫る』とある。

しかし私がこの本に興味を持ったのは、このフランスの著名な中世史家が<9-11後の時代>(←政治的プロパガンダとは思うが)にどのような発言をするかを知りたかったから。彼は云う。

『北アフリカをも含んでいた西ローマをヨーロッパになるように条件づけていたものなど、もともと何もなかった。西洋の組織化は敵として認識される世界と対立する自らの存在を自覚し、1つのキリスト教世界、いやキリスト教そのものであろうと欲することによってはじめて可能になった』p112 としながらも

『中世の初めにヨーロッパがキリスト教の中心でなかったと同様に、現在もキリスト教の中心はヨーロッパにはない(今はラテンアメリカ!)』 p294 とし、先日話題になった欧州憲法の中にイタリアやポーランドが強く求めた「神に対する言及」はすべきではないと述べられていました。 中世史家ですが現代に言葉を発する人。 

また、原史料と云う言葉が魅力的だ、としながらも<当惑>させられるとも述べています。何故なら、歴史は『自然に生み出されるもの』だとの印象を与えるから。p48 またギンスブルグの言葉を引用し、原史料としての地位を与えるのは歴史家自身であるとし、歴史家の質問が歴史を基礎づけているとも述べられています。

史家が頼りとする文献史料が 『本当のことより嘘をつくために書かれること多い』p49 また『歴史的事実というのは歴史家によって作られる』p70 としながらも、『唯一つの歴史的事実があるとは思わないものの、歴史家は真正な歴史を構築すべき』p290 とし。それが 『ノスタルジーとしてではなく未来に飛翔するため』p289 だとし、常に『過去と現代を往復すべき』だと述べます。実に同感。またこの時代の十字軍について、

『若者人口の過剰がキリスト教世界の安定を危険にさらしていました』p251 とし、十字軍に参加した者達が 『10世紀と11世紀の経済と人口の飛躍的発展から生じた「負け組」達』p118 とズバリ指摘します。 

これは今日同じような急激な人口過剰に悩む中東のサウジアラビア、パキスタン、イラク、アフリカ諸国から多くの自爆テロ犯が出ていることを私に連想させます。 勿論彼はこのようなことは一切述べていません。
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2006/3/12

『村上龍対談集;存在の耐えがたきサルサ 』  お勧めの1冊

文藝春秋、2001年。紹介には『日本社会、文学、映画、自作などをテーマに、柄谷行人、坂本龍一、庵野秀明、河合隼雄……十四人の気鋭と語り合う刺激的な対談集』とある。題名は何かのパクリでしょうがなかなか面白い。中上健次との対談でこんな事が出ていました。

村上 『レゲエは何かを変えたよね』
中上 『もちろん変えた』
村上 『サルサは何も変えてないものね』
中上 『変えてない、ただ存在するだけで』p37

レゲエとサルサを経験すると、なんだかよく判る気がする。勿論音楽的に両者はかなり違う。レゲエのあの裏でリズムを取る感じは独特で、何処までも続くような、まるで心臓の鼓動のようなリズム。 それに対しサルサは一時の享楽に身を委ね狂ったように踊り続け、やがて疲れて深い眠りにつく奴隷達のリズムとでもいうのでしょうか?

アングロサクソン支配下のジャマイカの黒人奴隷とスペイン支配下のキューバやプエルトリコの血筋を引くリズムという言い方が適切なのか判らないが、この違いは宗主国の違いの影響なのでないかと思っている。
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