2006/3/15

『死者と生きる中世』  お勧めの1冊

「副題―ヨーロッパ封建社会における生死観の変遷」パトリック・ギアリ著、白水社 1999年。 紹介記事には『中世西欧社会において、死者とは生者にとってどんな意味をもっていたのか。死者と生者の間での贈与交換、聖遺物礼拝、聖人伝研究を通し、封建社会における死生観の変遷を考察する』とある。

著者は、様々な文書や伝承の解析のみならず、考古学的調査や図像史料なども踏まえ、実証的に研究を進める。 これは彼が大学院までの教育をアメリカの実証的環境のなかで受けたことによるものだと思う。 分子生物学の世界でもアメリカとヨーロッパの研究スタイルの違いをこれまでよく感じてきたので、史学にもやはりあるか、という印象。例えばこの様な記載がある。

クルト・ベーナー(1960年代)は「聖ウルフラム伝」の記載で、ラートボート公が洗礼を受けようとした際、司教から「洗礼を受けなかった祖先たちは地獄に落ちる」と聞いて、「先祖なしでは仕方がない」と言って洗礼を取りやめたという有名な伝承を元に「キリスト教がもたらした大きな変革とは、死者と生者の連帯を切断したことである」と述べた。

しかしこの著者は、さまざまな考古学的調査から彼の解釈に疑問を呈し、ラートボート公の件はより政治的なものであったとの解釈を試みている。 その考古学的事実として彼は、しばしば布教以前の一族の墓の上に礼拝堂が建てられたことを挙げている。 即ち、彼は「洗礼を受けた後でも布教前の先祖たち墓に対する姿勢が断ち切れることなく連続していることを示している」と解釈した。p42-44 確かに当時の洗礼はクローヴィスを例にあるように個人の洗礼というよりは一族全体の洗礼との意味があったと聞くのでこの考えは説得力がある。 

また5章の「聖人を辱める儀式」では、

『辱めの儀式が修道士らの一種のストライキであり、社会に混乱を引き起こし、修道院に敵対する者を調停のテーブルに着かせる為に機能した』と結論するとともに、この儀式が聖人に援助を<強要>する為のものであったこと。 p110-120

また、この儀式が11〜12世紀において共同体に密接な関係をもつ守護聖人を仲介として超自然的なものとの直接交流を劇的に行ったもので、同様な儀式は象徴体系を異にしながらも農民によっても行われた、と述べている。 しかし、やがて13世紀において教会のヒエラルキーが確立するにつれ、この儀式は教会によって禁止され、衰退していったとのこと。  

また135-161ページにかけて「ショルジュの紛争」に関しての記載があるが、かなり興味深い。 これは11世紀末、プロバンス地方の公権力の空白に伴って引き起こされた、修道院と封建騎士それに司祭、伯を巻き込んだ長期にわたる紛争。 当時のグレゴリウス改革というものが単に宗教上のものにとどまらず、社会構造そのものの変革を伴ったものだということが、おぼろげなりにも理解出来た。 

最後章には聖遺物の「略奪」や「捏造」という行為を解析することにより、西欧中世社会における、独特な社会関係を生き生きと描きだす。因みに三博士の聖遺物はドイツ皇帝フリードリヒ・バルバロッサによって12世紀、ミラノからケルンに移葬…と言えば聞こえが良いですが実際は略奪されています。 (もっとも著者はこの話が捏造であると結論しています)

意外なことに中世世界では「略奪された」とする方が、聖遺物の信憑性が高まり、しかも「譲与」ではなく「略奪」という行為により従属関係が成立しない利点(!)が期待されたと解析しています。 例えばよい例はあのコンクの聖遺物。 また「商品化された聖遺物」というのは非常に興味深い。今の感覚だと理解出来ないが、結局誰も損はしなかったようだ。 教皇ですらローマの権威の拡張にこれを利用した可能性があるとか。
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2006/3/15

『中世の秋』  お勧めの1冊

文字通り歴史書の古典。著者はホイジンガ。多数の出版社から訳本が出されているので特に記載しない。この本はブルゴーニュー公国の興亡を縦糸に、宮廷・騎士・聖職者の生活を横糸に織られた中世錦絵。 庶民の生活は描かれていないが、これは後のアナール派の登場を待たねばならないということか? 登場人物の中にはあの、ジャンヌ・ダルクと少なからぬ縁を持つ者も出てくる。 

この本は出だしがいい。歴史は普通現在から過去に眺めるのだが彼は反対に過去から歴史的現在を眺めようとする。彼は云う、

『アナクロニズムを避けることは歴史科学の眼目だ。アナクロニズムを避ける為には、その時代の人々と同一視点に立つことが必要である』

『人が歴史を正しく理解するために知らねばならぬのは、当に幻想なのだ。何故なら、根本に於いて、政治的行動やその他、もろもろのものを支配するのは幻想であって、理性でも、採算のとれる利潤でもないからだ』

…しかし先の『同時代人の見た中世ヨーロッパ』の例でも判るようにURL↓、過去の人の「幻想の世界」を理解することは極めて困難である。それは当時の歴史書が極めて限られ得たエリート、特に聖職者の手によるということだけでなく、しばしば歴史書が捏造されたことにもよる。 
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/20060314/archive

また、それを書いた著者が過去の事柄について述べる場合にはさらに複雑さを増すことは『経済幻想』のフス革命の項で述べた通りURL↓。 これらをどの様に克服出来るというのだろうか? それに対する答えをホイジンガは出していない。
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/20060308/archive
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2006/3/15

『中世の夢』&『明恵、夢を生きる』  お勧めの1冊

『中世の夢』ル・ゴフ著。名古屋大学出版会 1992年 紹介記事には『夢、フィクション・サイエンス、森、荒野、野人、そしてインド洋−−ヨーロッパ中世において、人間社会の現実と不可分な関係の中で成立した、これら夢や幻想の世界を、文学・人類学との出会いのもと、アナール学派の巨匠が雄大なスケールで論じ、歴史に失われた半身を回復する』とある。

人が「夢」を書き留めるときにはその解釈が同時になされる。何故なら夢そのものを文字化することは困難だから。 したがって夢の解析はその人の「心理・心性」の解析に繋がる。

中世キリスト教会は最初「夢」に関心を持ち、やがて戸惑い、そして最後にはそれを排除するようになったようだ。しかし「夢」が我々すべてにとって非常に身近なものである以上それは決して成功しなかった。

この本は5編の独立した論文からなり、そのなかでも私のもっとも興味をひく対象が第三論文である「キリスト教と夢」。 訳者の池上氏によってもその重要性が特に指摘されている。 この論文では精神分析の先駆をなすような夢理論や夢への態度が、既に中世初期において準備されていたとのこと。

ル・ゴフによればラテン教父によって夢は3分類された。(人の)夢、(神の)啓示そして(悪魔の)幻覚。 しかし中世キリスト教会はこれらを扱いかねたよう。その結果排除する道をとったのではないでしょうか? …やがて近代に入り、排除された「夢」の解釈は新たに心理学者により再興された。それが「夢分析」であろう。

ところで、非キリスト教世界で「夢」解釈がどの様に扱われたかについては是非、河合隼雄著の『明恵、夢を生きる』講談社、1995年。を参考にして貰いたい。 この本には平安から鎌倉に時代が移る激動の中を生きた名僧・明恵(1173-1232)が、生涯にわたって自分の夢を記録しつづけた『夢記』を手がかりに我々は中世日本における夢分析を知る事ができる。
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