2006/3/16

『動物裁判』  お勧めの1冊

副題;西欧中世・正義のコスモス。 講談社現代新書、池上俊一著。 紹介記事には『法廷に立つブタ、破門されるミミズ、モグラの安全通行権、ネズミに退去命令…。13世紀から18世紀にかけてヨーロッパに広くみられた動物裁判とは何だったのか? 自然への感受性の変化、法の正義の誕生などに言及しつつ、革命的転換点となった中世に迫る「新しい歴史学」の旅』とある。

以前から画家ボッシュの描く「得体の知れないもの達」が何であるのかは気になっていた。彼独特の表現で描いた悪魔の手先たちと素直に解釈していいものなのか? それとも悪魔とも人とも異なる、マージナルな世界の住民とは解釈できないだろうか? そんな思いがずっとあった。それがこの本に向かわせた理由。

法廷に立つ豚、破門されるミミズ、極め付きは豚に衣装を着せ絞首台に引き上げたり、火刑にしたりしたという。 こんな奇行が突然13世紀からヨーロッパ中に広くみられた。 とても正気の沙汰とは思えないが、池上氏はこれらがパロディーで行われたわけではないとの立場をとる。だとすればこれらの事実は何を意味するのか? 

中世末、ヨーロッパの森は切り開かれ、それまで農民や山の民が密かに温存していた古代異教の風習にキリスト教社会が直面したときに起こった事件なのか? そしてこれと果たして、ボッシュの描く奇怪な者たちに関連があるのか? 様々なマージナルなもの動物裁判とボスの描く奇妙な者たちの関係は結局不明のままに終わった。 著者は述べる、

『13世紀には、すでに森の魔性は人間的尺度と理性的・合理的観点の導入によって剥ぎ取られ…もし魔性を語らねばならない時は、それはもはや、森という自然の「空間」にではなく、個々の「人格」―悪魔のそそのかしをうけた人間や動物であれ、妖精であれ、…に内蔵するものとされる』 p190

ボッシュが活躍した15世紀末から16世紀初頭というのは新大陸も発見され、大航海時代に伴い、外の世界の様々な奇怪なものについての情報が(それが眉唾であれ)入ってきた時代。そんな中でボスや彼の同時代人が魔的な、マージナルな存在者を強く意識していたということはありそうな気がする。 しかもそれは中世的な世界にも、近世的な世界の中にも適当な場所を見いだせない中途半端なままだとしたら? そのような禍々しい世界をボッシュはあのように表現したのではないだろうか?

それにしても池上氏はマージナルな存在から魅力ある主題をよく見つけて研究されているという印象を受ける。しかし、その様な研究は一体何の為の研究なのだろう? 

以前から私は、『歴史を学ぶのは今此処にいる我々を知ることなのだと』考えている。 だとすれば、このような奇妙な対象を学ぶことの意味は何処にあるのか? このような研究にどのような価値が在るのか? そんな問いを著者にぶつけたい想いがある。
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2006/3/16

『西欧精神の探求:革新の12世紀』  お勧めの1冊

堀米庸三編、日本放送出版、2001年。その中におさめられる木村尚三郎氏の「西欧農耕民の心」によると、西欧中世には一人で年間平均3頭の豚を食べていたとか。p41 それが事実ならば、それから計算される豚肉の消費量は12世紀当時1日平均1キロとなるとか。この数字はかなり大きい、それでそれをさらに細かく検討してみた。 

多くの写本が示すように、11月に豚に森の木の実を食べさせ、12月に屠殺して春蒔きものからの収穫の時期を考えると多分備蓄の穀物が底をつくのは数ヶ月。もしこの間に主にこれらの豚肉が消費されたとすると。 年平均1日1キロはこの期間2キロ近くになるのではないか? これは消費期間が端境期の数カ月に集中したと仮定して、私が勝手に算定したもの。 これは塩漬けの肉なので健康面で大きな影響を及ぼすのではないか?  しかしながら、今までこの様な肉食習慣(高脂肪、高タンパク、高塩食品)が西欧中世の人の健康や心理に影響を与えたとの議論は全く聞いた事が無い。

そうこうする内に、この計算には問題があるのではないかと思いはじめた。それは年平均1キロということは豚3頭で単純計算して360キロということになる。いくら何でも骨、皮までは食べないだろうから、これから計算される豚の体重は150キロくらいになる。 今日のヨークシャーやバークシャーといった食肉用に品種改良されたものなら兎も角、当時の豚はイノシシに毛が生えたようなもの。 事実、中世の写本に描かれる豚は農婦によって抑えられ、屠殺されている。 つまり、その体重はたかが知れているとても150キロとかにはならない。 著者は現代の肥育された豚の体重で計算したのではないかと疑われる。

自己流に計算しなおすと、1頭40キロとして、骨、皮は除き食用になる部分が30キロなら、 30 x 3 / 365= 0.25キロ 端境期に集中して食べたとして、1日0.5キロくらいではなかろうか? 歴史の大家に対して畏れ多いことではあるが素朴な批判はあってもいいだろう。
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2006/3/16

『西洋中世の罪と罰;副題―亡霊の社会史』  お勧めの1冊

弘文堂、1989年、阿部謹也著 紹介記事には『中世民衆の死のイメージを探る。本邦初訳の史料を手掛りに、中世民衆の姿を生き生きと描き出し,死生観の変化をダイナミックにとらえる。「刑吏の社会史」から10年、待望の書下ろし』とある。

一般向けで読みやすい本だが、内容はかなり高度。その中でも特に一見の価値があるのが第六章の「キリスト教の教義とゲルマン的俗信との拮抗:贖罪規定書にみる俗信の姿」

内容は司祭の解告の為の手引き書だが、この様な資料を通じて当時の民衆の俗信が明らかにされる。その中に示される贖罪の程度(3日から15年の贖罪行為規定)を通じて当時の教会がどのような俗信・行為をより危険視したかがよく判る。 例えば性的逸脱に比べて殺人の方がよっぽど刑が軽いなど現代の我々の感覚で云えば奇妙に感じるところもある。 また、その内容には現代日本人の習俗と共通するものも多数ある。

<遺体の保存>
キリスト教の公的見解によれば最後の審判の時に肉体が蘇るといっても、それは霊的実体であって、物質的実体ではない。(『世界歴史8』岩波書店 池上俊一著 「人間と自然の生死論」より) となると、あの遺体の保存に対する執拗なこだわり、というのはそれだけでは説明出来ないような気がする。 やはり骨からの復活を信じる異教の風習の名残なのか? はたまた「死の舞踏」に典型的に表れるような、骸骨を通じての<死=罪>への自覚、そして信仰を促す道具としての意味があるのか?  そういえば、多くの修道士や聖人は墓地で修行を積むこともあったようですし書斎に頭蓋骨が飾られている場面もよく当時の挿し絵のなかに認められます。 どうなのだろう?
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