2006/3/22

『中世の日常生活』  お勧めの1冊

ハンス・ヴェルナー・ゲッツ著;中央公論社 1989年 紹介記事によれば『中世の秋』に比べて著しく史料の少ない中世初期、人びとはどのような日常生活を営んでいたのか。その生活様式を、家族、修道院、農村、宮廷生活、都市と市民等を通して考察する。7〜13世紀の典型的生活像。』とある。

この本の序論で著者は、これから論じようとする対象についての範囲をやや詳しく規定しています。これはさりげない中にも従来までのドイツ史学界の批判となっているとか(訳者あとがきより) 

この本によれば人々の移動と旅行の時代の幕開けは11〜12世紀で、この時代『改修された道路は、あらゆる階層の巡礼者、浮浪者、学生で一杯であった』p24 
  
また言葉の端々にフランス、アナール派を意識していると思えるところもあり、これらの雰囲気は何となく『ロマネスク世界論』を思い出させますが、後者よりは具体的で判り易い。
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2006/3/22

「中世の旅」  お勧めの1冊

ノールベルト・オーラー著、法政大学出版局、1989年。内容的には「中世の道」に近い本で、メッセージ性より資料性が高いが挿絵が多いので飽きずに読める。

高校の時不思議に思っていたことがある。 それはカール大帝の帝国が3分割相続された時、長男のロタールが中央の細長い部分、如何にも統治しにくそうな部分を相続したことだがこの本で納得がいった。 この本に依れば、ライン河とローヌ河はわずか30キロの陸路で結ぶことが出来る。 つまりこれで北海>ライン河>アーレ川>ローヌ河>地中海航路が成る。p49 つまりロタールは交通の要所を押えたわけである。こんなことは高校の歴史では一度も話題にされなかった。残念なことである。

訳者の藤代幸一氏は「アリストテレスの笑い」の著者。また「中世都市と暴力」↓
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/20060321/archive
についでこの本にもアジールについての簡単な記載を発見した。 異郷の地を旅する人が土地の民衆と共に、たとえ内容は理解出来なかったとしても、聞きなれたラテン語のミサを聞くことで共同体としての同胞意識を育て、またそれが概念のみならず、実効的な教会のアジール権の確立を助けたのではないかと思った。 
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2006/3/22

『ロマネスク芸術の時代』  お勧めの1冊

ジョルジュ・デュビー著。白水社、新装復刊版、2000年。著書の紹介記事には『西欧文化の黎明ロマネスク。神の栄光のために夢想した芸術家たちの作品を人々の生活のなかに位置づけた、中世史の第一人者による名著』とある。

<ミレニアムについて>
この本の中で1033年、多くの人々がエルサレムに、サンチアゴ・デ・コンポステーラに巡礼の旅に殺到したとのこと。これは「千年王国」との関連でよくこれまで耳にした。しかし、これから逆算する西暦33年とはキリストの刑死の時。となると、次のミレニアムは2000年でなくて2033年? 結構計算はばらばらである。

(注)その後この件について最近の多くの本で、当時の庶民は循環的暦の中に生きており、ローマ暦はおろかほとんど西暦という意識は無かったということが指摘されている。 また聖職者ですら統一的な暦は持っていなかったとか。このデュービーの本はその意味で古典と云える。

<修道会の分布について>
『この(クリュニー)修道会はフランス王国と西ローマ帝国とを隔てる国境の両側に・・拡がった・・・君主の後見から最も完全なかたちで逃れていた地域であり、封建制による分割・・がすすんでいた(地域である)』p135〜 とある。当時これらの地域は封建領主による私物化が進み俗化が進行した地域であり、クリュニー修道会の改革の対象地域であったこと(腐敗していたという意味で)。 また地方であることは同時にラテン文化が宮廷によって蘇生されなかった、つまり様々なロマネスク様式美を産みだす素地があったということ。

それで、これに触発され早速さまざまな修道会の分布を調べてみた。響庭孝男著の『ヨーロッパ古寺巡礼』の表紙裏の地図をみれば、確かにブルゴーニュ、プロバンス、それにピレネー山脈沿いに並んでいる。(ただロワーヌ川沿いは例外か?)

一方でシトー会は(杉崎秦一郎著の『12世紀の修道院と社会』の巻末資料)全ヨーロッパ(全フランス)的に分布していること。 つまり分布の仕方が前者と若干違う。 これは何を意味するのか? それと何故か、両修道会ともロワール河とガロン河に挟まれた地域は分布が薄い(河沿いにはあります) 共に今後の課題。
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