2006/3/27

『ヨーロッパ中世世界の動態像』  お勧めの1冊

「副題;史料と理論の対話」。 『プリュム修道院所領明細帳』の著者、森本芳樹氏の古希記念論文集。九大出版会 2004年初版 

この中で「紀元千年頃の俗人の土地領有をめぐって」立孝氏の章が面白い。これはピレネー山脈を背にイスラームのアンダルスと境界を接して闘争に明け暮れた1地方リバゴルサ。そこで紀元千年頃に生きたサンガという一人の女性と、その2人の夫の物語。内容的にはが彼らの経済活動(土地所有)の記録。何となく雰囲気的にはあのカタリ派異端のドキュメント、『モンタイユー』に似ている。

著者は結論として、同時期バルセロナ近郊で行なわれた富裕層の土地取得と同様に彼らも貨幣による土地取得の形態をとってはいるが、その実体を詳細に見て行くと、かなり異なる面があり土地、土地により異なる力学が働いていることを主張している。そして個別所見のさらなる蓄積と同時に、比較と総合というきわめて困難な作業に着手しなければならいと述べている。p219

このような、とりわけ特化した対象を中心に研究されたものの跡を辿ることは推理小説的であり個人的には面白く感じるが、しかし同時にこのような研究どれだけ「現代に切り込む歴史学」となりうるのか? 悩ましいところ。
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2006/3/27

『中世のカリスマたち』  お勧めの1冊

ノーマン・F・キャンター著、りぶらりあ選書、法政大学出版局 1996年初版。著者はNY大学の歴史学、社会学の教授で全体的にフェミニズム的な印象がある。序文に「読み易くするために…演劇的構成をとってみた」とあり、さらに「多少の想像を歴史に加味したとはいえ、学術的研究が今日明らかにしている、中世人の意識と感性のありかたは損なうことなく描くように留意した」p5とも書かれている。

『ヨーロッパの知的覚醒』↓に比べると多少見劣りするが、様々な歴史上の人物を身近く感じられる点は評価出来る。また個々の人物について別々に知っていても、人物の繋がりについては知らなかったが、多少創作が入っている可能性はあるにしてもこの物語で理解が深まるだろう。
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/20060228/archive

この本の中で著者は、コンスタンチヌス帝の生母ヘレナ。ヒッポのアウグスティヌス。アルクイン。ビンゲンのヒルデガルト他、全部で8人の人物を取り上げている。いずれも時代の転換期にあって「彼らが耐え忍んだ葛藤と彼らが下した厳しい選択を紙上に再現してみた」p4 とある。 歴史上の事柄を歴史家がこのような形で発表することについては賛否両論があるが、あくまでも歴史家が書いた小説という理解でいけば問題ない。『背教者ユリアヌス』↓を思い出させる内容。
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/20060226/archive

例えば、暗殺されたトーマス・バケット大司教も元々はヘンリー王とごく親しい間柄で、王からはしばしば使い古しの妾を譲り受けていた関係だったとか、p173 意外なバケットの一面をみた思い。それから、ビンゲンのヒルデガルトの幻視の話p158 などは今日心理学者や精神分析医にとっては興味のあることでしょう。

一番個人的に印象に残ったのは、実験科学の創始者で初代オックスフォード総長にしてロジャー・ベーコンの精神的師であったとされるロバート・グローステストの話である。彼が論敵である、トーマス・アキィナス並びにその一派を批判する件で著者が述べたことには現代にも通じ印象深い。 

『今日と同じく当時も学術の世界にあっては、思想や文化の正統性の証を、1つか2つの中心地にその源があって、そこから学問の府に届いたものであるということの内に、主として求めていたからである』p233 

また今回始めて彼が「パラダイムの妥当性と虚妄性を実験的に検証する手法を工夫した」ことも知った。因に彼は司教であると同時に、光学についての輝かしい業績がある。

その他、例えばどのようにしてロマネスク期にどのようにして大規模に写本を量産していったかについては以下のような説明があるが大変判り易い。

『(修道士ではない)教会書記たちは、長い木の椅子に腰掛けテキストが読み上げられている間、せっせとラテン語を記していた』p77『現在ここでは、4、50人の者が年間2,300冊の本をこしらえているよ。』p82

つまりラテン語が出来るものであれば俗人も総動員して、誰かが口頭で読む内容を一斉に40〜50人の書記が同時にコピーしたらしい。 確かにこれは量産体制としては最大限効率のいい方法で、それによって年間に生産される写本の数は当時の1修道院が持つ写本の平均数、200-300册に相当する。しかし、この方法は問題もあるだろう。特に書き損じや誤りも頻発したに違いないだろうが、それに関してはどのように対処したのだろうか? 

またこの本の中ではアルクインは宮廷から退いたあとトウールのマルティヌス修道院に修道院長として自ら望んで行くことになっているが、p80 別に読んだ本の中では彼は左遷されマルティヌス修道院に引退したことになっていた。 アルクインにとっては希望の引退であり、シャルルマーニュとその取り巻きにとっては厄介払いということだったのかもしれない。

さらに長いこと宿題にしていた「黙読するアンブロシウス」について第二章、ヒッポのアウグスティヌスの章でついに見つけた。 アウグスティヌス曰く、

『彼(アンブロシウス)はラテン語を声を出さずに、唇も動かさずに読める、私が知った最初の人だった』P61-
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2006/3/27

『ヨーロッパ中世末期の民衆運動』『正統と異端』  お勧めの1冊

プラハの『フス革命』はこれまで何度か民族運動との関わりで出てきたものですが、今回は実在論と唯名論の論争が絡む別の側面が議論されている。

『唯名論者たちが、人間の権威は、その称号、その職務によって与えられるとみなしたのに対し、実在論者たちは、権威はそれが実質あるものであるためには、神の恩寵の状態あるいは救済の摂理の上に基礎づけられてなければならない、と考えた。』p278
『(フス派は)俗人を聖職者と同一平面に置くことによって、人間の職務よりは、その道徳的尊厳さをより高くかかげた。』p281 

フス革命では民族運動とともに、この神学論争も絡んだ複雑な様相を帯びることとなる。実は唯名論者の方がアウグスチヌス以来正統と考えられていたものだが、一般には判り難いものであった。とりわけ腐敗した教会を見ていた民衆には唯名論は受け入れ難いことだろう。

ここで再度、堀米庸三著の『正統と異端;副題、ヨーロッパ精神の底流』からグレゴリウス改革を復習してみよう。この本の中で著者は、

『伝統的にカソリックでは人効論(主観主義)より事効論(客観主義)を正統とした』ということ。こう書くと何のことか判らないが、判りやすく云えば、『たとえ異端の司教から洗礼を受けても、それが形式に則ってなされていれば、洗礼そのものは有効』だとする論理。 しかしこのアウグスティヌス以来(実際にはその前から)正統とされた神学は『普通の常識とは相反したデリケートな性質を持っていた』p82 ので、決して全ての神学者に十分理解されていたのではないということ。そして最大の山場、グレゴリウス改革でその不徹底が露呈したということらしい。 そして、これは私の考えですが、これはキリスト教の内面化に伴う変化ではなかったかと思われる。もしかすると、グレゴリウス改革に遅れること数世紀、15世紀の東欧、ボヘミアの地にその思潮が流れついたのではないかとの思いを強くした。

ところでこの本の原題は邦題とほぼ同じ。つまり著者はコンスタンチヌス帝の時代もヒッポのアウグスティヌスの時代も中世に含めている。 多くの場合両者は古代末期とすることが多いが、この著者が中世に含めた意図は何処にあったのだろう?
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