2006/3/31

『異端の歴史』  お勧めの1冊

D.クリスティー、マレイ著、教文館 1997年初版。 この出版社は元々キリスト教関係書籍をよく扱っている。 古代から現代にまでの(特に古代が半分近くを占める)様々な異端を網羅的に解説するが、社会的背景とかについての記載は少なくキリスト教神学に興味がないとなかなか読むのは苦痛。 

これを読むとパウロというのはこの宗教が世界宗教になるのに非常に重要な役割を果たしたことが判る。 彼は異邦人に対して、割礼も律法に従うことも要求せずに教会に受け入れた。これに対してユダヤ人キリスト教徒(この言葉には矛盾がありますが)の間に激しい論争があったとのこと。 しかしこの論争はAD70年にエルサレムがローマの手に落ちることである意味決着したとか。 これらの「ユダヤ人キリスト教徒」は異邦人重視を強めていく教会内部の異端派(!)としてその後も4世紀程存続していった。p27〜 

この本にアナトリアのパウロ派(勿論、上のパウロとは無関係)がブルガリアを経てカタリ派の祖先であるとの記載がある。p48

以前も『正統と異端』↓
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/20060327/archive
や『プラハの異端者たち』や『フス革命と実在論:唯名論の論争』で話題になったが、『人効論と事効論』の論争は古代から色々議論になったテーマで、これは特にこの時代ローマ帝国による迫害で背教者となった人達の聖職復帰が現実的な重大な問題としてあったからのようだ。 それに関する異端思想として3つ挙げられていて、その内の1つドナトウス主義に対してはヒッポのアウグスティヌスの反論が有名。p135 イコノクラスム(画像破壊論争)の反対陣営が偶像崇拝として批判した彼等に対してキリスト単性論者として批判したとか。 確かに画像破壊はキリストの受肉の否認だという論理もそれなりに通る。p136

この本の中で納得した一節は、『正統主義の組織と、非正統主義の熱狂は、活力を保ち続ける為には両方が必要であり、正統的信仰は命を保つ為には混乱させられる必要がある』p56という部分。 微妙なバランスの上に立っているということか?

その他、ヘンリー8世が若い女性と結婚するため離婚したことが理由の1つなってイギリス国教会が出来たことを以前世界史で習ったが、その時いかにも俗物的なヘンリー8世の肖像画が教科書に出ていたので妙に納得した記憶がある。しかしこの本によれば、この彼の最初の結婚、彼の兄がスペインとの同盟関係と持参金目的でアラゴンのキャサリンと結婚したものの早く死んだことからその未亡人との再婚だとのこと。 それでこの結婚に対しては最初から教会法に反していたとのことで教皇から教会法免除状をもらった上での結婚。後でヘンリー8世が離婚を切り出したのはその後の政治経済的状況の変化だろう。 そう考えるとよくある話しというる。 それにしてもあの肖像画、影響力は大きい。p206
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2006/3/31

『キケロ;ヨーロッパの知的伝統』  お勧めの1冊

高田康成著、岩波新書、赤本627 1999年発行 紹介記事には『西欧近代を形づくるルネサンスの知的活動,それは永らく失われていたキケロ写本の再発見から始まったといってよい.以後,キケロは西欧精神を支える人文主義的教養の基礎として脈々と読みつがれてゆく,前1世紀のローマを政治家・弁論家・哲学者として生きたキケロ.その受容の歴史に光をあて,ヨーロッパの知的伝統を浮彫りにする』とある。 なかなか解りやすく面白い。

ペトラルカがイタリアのヴェローナでキケロの『アッティクス宛書簡集』を発掘したときの話で、 既にプルタルコス(AD46-120)が「キケロ伝」にその内容の一部を記載していたにも関わらずその発掘された書簡の内容に発見者ペトラルカが驚愕する下りがある。これはペトラルカがプルタルコスのキケロ伝を読めなかった、つまり彼はギリシャ語が出来なかったから。p27  

実際ギリシャの文芸思想が直接西欧に入ってくるのは14世紀末以来のことであり、しかも本格的な導入は19世紀以降わずか200年たらずに過ぎないとのこと。p174 しかもこの最後の200年はロマン主義的傾向によりギリシャは熱狂的に受け入れられ、<西欧文化の源>としていささか度の過ぎた評価がなされたとか。 

東西ヨーロッパの文化は共通性がかなりあるとよく言われるが、特に上に述べたようなことを考えると少なくとも近代に至るまでラテン世界はギリシャ世界を理解する素地を欠いていたと考えられる。 と考えると、今日西欧文化の源の1つがギリシャ世界だという言説は差し引いて考えた方が正解だろう。
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