2007/1/2

『ジハード』5  お勧めの1冊

<ホメイニの成功とアルジェリアの失敗>
ホメイニが権力を確かなものに出来たのは、彼が権力を手にするまで、世俗主義を含めさまざまな宗教的傾向の運動を1つにまとめる能力を持っていたからであり、そのために彼は俗的な知識人の思想すら受け入れた。
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運動の共有点はただ1つ、国王に対する嫌悪だけであり、各人はその運動に対する各個人の政治的幻想を投影していた。しかしそれが幻想であることを教えてくれるものは誰もいなかった、権力の収奪が終わって、粛清の時がくるまでは。p156

1989年2400万のアルジェリア国民のうち40%が15歳以下で都市人口は50%を超え、やがて彼らが中等教育を終えるころ、失業率は1995年に28%まで上昇した。P220 これが革命を引き起こす原動力となったが、イランのホメイニのような国民を総動員するイデオログーの出現は無かった。

『もう一度確認しておこう、スーダンで起こるのはクーデターであり、革命ではない』p246 ここはトッドと同じ考えである。先の読み方は足らなかったみたいである。
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2007/1/2

『ジハード』6  お勧めの1冊

八章の『イスラムの地としてのヨーロッパ』で、

『法学説では、ファトアは「イスラムの地」の外では有効性を持たない』p257 その地に対してホメイニが背教者として「悪魔の詩」の著者であるイギリス人ラシュディーに対して死刑を宣告するファトアを出したということは彼がヨーロッパを意識的か無意識的かは別にしてイスラムの地=ダール・アル・イスラームとしたことを意味する。P257

ここからヨーロッパの苦難が始まる。
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2007/1/2

時間観の違い  試行,指向,志向、思考

今朝のTV番組「地球新世紀」にケルズの書に代表される循環型思想について第一人者鶴見教授の解説があった。何度か教授の講演を聞いたことがあるが、なかなか納得いかない点がある。それはキリスト教的直線的時間観と渦巻き文様に代表される循環的世界観との矛盾である。今回の番組でもそれは指摘されていない。むしろケルトの民がキリスト教を受け入れ共存の道を受け入れたという聞こえのいいことばかり。少々不満。

追記
この点に関しては、講演の機会に質問したことがあるが、話があちこちに飛び、はぐらかされてしまった。女史の思考もかなり渦巻き文様的(汗)
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2007/1/2

『ジハード』4  お勧めの1冊

三章の『アラブナショナリズムの廃墟の上に繁栄する石油イスラム主義』と四章『スンナ派イスラム主義』あるいは『サウジアラビアの戦略;その想定内、想定外』

1973年の第4次中東戦争におけるエジプトの敗戦、またこれを契機としたサウジによる親イスラエル諸国に対する石油禁輸処置は、それに代わるサウジの主導権を確かなものとする。すなわち、これより60年代のナショナリズムの時代からイスラーム主義時代へと大きく舵が切られる。p96 しかし1990年の湾岸戦争でサウジが欧米の軍隊を聖地に入れたことがサウジの権威を失墜させこれからイスラーム主義は混沌の時代へと入る。

これまで利子をとらず貧者救済に大きな働きをしたと云われるイスラーム銀行を個人的に高く評価していたが、
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実は此処に流れ込む資金はオイルダラーで潤おうサウジを筆頭とする沿岸諸国からのもので、この銀行をサウジはイスラーム世界に覇権を維持することに使ったという別の一面を知る。 

自戒をこめここで認識すべきことは、現代イスラーム金融がいかに社会的・宗教的理想を標榜するにしろ、その陰にオイルダラーでイスラーム世界に覇権を握ろうとする沿岸諸国の戦略があることを忘れてはならないということ。p109

先にも述べたようにサウジは有り余るオイルマネーをパキスランの難民・貧民地区の宗教学校、マドラサへ与えサウジ主導のイスラーム主義を後押しした。これは短期的には潜在的な危険性をはらんだ年齢層、社会層にたいするコントロール手段ともなったが、やがて、そこからサウジが予想もしなかった怪物、イスラーム過激派が生まれる結果となる。 なおこの故郷の伝統的イスラム世界から切り離された300万人とも云われる人口を抱えた難民地区は、イスラーム主義がプロパガンダを広めのに好都合な場所を提供した。『都市化され識字能力を持った若者が大量に出現した最初の世代を生み出した小世界である』 p197であること。 ここでもまた人口と識字率の問題。
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パキスタンでは人口が急激に増え70年から90年のわずか20年の間に6500万人から1億2100万人と2倍になる! そのため73年以降何百万という出稼ぎ者が石油産出国に出かけ、そこからの送金が大量に流れ込んでくる構造が出来てきたが、これはやがてその送金に依存した体質をつくることになり、やがて襲ってくる石油価格の暴落で新たな事態を引き起こすことになる。 経済状況は正反対ながら、人を出した国とそれを受け入れた国がともにイスラーム過激派の温床になったわけである。p138
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