2007/6/30

結婚式の二次会?  

仕事が予想以上に時間がかかって、慌ててサルソンに駆けつけると貸し切りのような感じ、どうやら8時30分からのよう。仕方なく近くのStarbucksで時間を持て余し中。 ここも無線LANが入っているが速度がいつも遅い。ちょっと不満。隣がアップルストアーなのにね、ん? 隣がアップルストアーだからか??
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2007/6/30

blogを止める時  

「誰も見ていないと思った時かな?」と最初思った、何故なら日記はこれまで一度も付けたことがない。 だから私にとってはbe logであるよりもweb logだから… しかし、最近少し書き続けるうちにこれが変わってきたことに気がついた。

それは検索機能を大変重宝しているということ。自分が過去にどのように考えたか、感じたかはほとんど記憶に今まで頼っていたが、これが余り頼りにならないことに気がついたから。 ま、人は大抵微妙なところは=自分に都合の悪いことは、忘れたふりをするもの、あるいは自分自身を騙すもの。しかしblogに記録しておくとそういうわけにはいかない。 自分の変化を知るのは大切なこと。また変化しなければ成長していないことでもある。

もちろん、他人の反応はそれ以上に刺激的。例え好意的な反応でないにしても。永くやっていれば思わぬところから、思わぬ人からコメント貰えることもある♪ しかもこれが「時間」と「空間」を越えてやってくることもある。

人によっては反対意見や批判的コメントのせいで、blogを止めたりすることもあるようだ、幸い私にはその経験はない。そのコメントが悪意に満ちたものでない限り、このblogの冒頭に記載しているように、反論や批判は人生の肥やしになるもの。そこらへんは自然科学の世界と同じ。それを無視したり、怒る人は成長する機会を失う。
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2007/6/29

青春の一コマ  

『(自由が)人間に多くの危険をもたらすのだ。しかしその危険を通してしか、人間がそれに達しえないとしたら、私はやはりこの道を選ぶしかないだろう』 
            「背教者ユリアヌス」より p491-2

朝「哲学は知的遊戯でよいのか?」というタイトルで言及したカントとフランクル、そしてそこからリンクされた以前の書き込み「背教者ユリアヌス」
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/503/trackback
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/21/trackback

自分が大学生の時、一番大切にしていたことが「自由」であることを思い出した。それは確かにカントの中心命題でもあったろうし、フランクルが述べる「不治の病でベッドから1歩も動けない人間」でさえ持ちうる「権利」であると同時に「責任」であった。 さらに「背教者ユリアヌス」が、その為に命をかけて戦うことの出来る「大切なもの」でもあった。 あの頃私は、神仏を敬いつつもそれに頼らず生きて行くべきだと結論したのかもしれない。

…永いこと忘れていた青春の一コマを思い出すのは、ちょっとした胸キュンもの。
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2007/6/29

哲学は知的遊戯でよいのか?  試行,指向,志向、思考

6/28 宮沢喜一元首相が死去。不良債権問題を誰よりも先に警告を鳴らしたが、周囲の理解を得られなかった、あの時点で適切な政策が打ち出されれば「失われた10年は防げたかも?」先見の明のあった政治家。

<哲学は知的遊戯でよいのか?>
先日「哲学」の先生の話を聞く機会があった。 その中の一人の若い先生が「哲学は役にたつか?」という問いを自ら立て、ああでもない、こうでもないと議論した挙げ句最後に、

「役には立たないだろうが、そのような知的訓練があってもいい」 と、いうような趣旨の発言があった。 

たまたまスーダンで頑張っている、知り合いの医師をある講演会の演者に呼ぼうとしていたこともあり、それを聞いていて余り愉快な気持ちではなくなった。 

…思うのだが、自分の研究・学問が単なる「知的遊戯」に過ぎないとしたならば、その人はそれで満足出来るのだろうか? さらに社会の一員としてそれで良いのだろうか?

「学問が社会の役に立つ、立たない」 を議論するのではなく、
「どうしたら学問が社会の役に立つのか?」 に苦悩するのが学者の立場ではないか? 

彼に対する質問は、そんなこともあり、かなり厳しいものになった。
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もう一人の人は、カントを研究する中から「自由」がカント哲学のキーワードであると考え、そこからあの「夜と霧」の著者であるヴィクトール・フランクルの研究に入り、
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/503/trackback
さらにそこから「生命倫理」の問題を取り扱うようになったとのことである。 非常によく判るというか、自分と同じ空気を吸ってきた人だと直感した。

学問・研究の評価に個人の世界観・価値観に対する好き嫌いで判断してはいけないと思うし、そうはしていないつもりだが、質問・討論ではかなり厳しい意見を言ったような気がする。

画像は28日帰宅時の西の空。星が綺麗、このすぐ後、宮沢氏の訃報を聞いた。
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2007/6/28

『現代訳 正法眼藏』2  お勧めの1冊

『転境転心は大聖の所呵なり… 滞言滞句は解脱の道著にあらず』p50

このように、物と心をわけて考える事は、釈尊の戒められたところである… そして、語句に拘ることは、悟りの道ではない。

<要約>
主観と客観… という対立的な見方を否定すること

う〜ん、しかし『言葉は認識である』と常々思っている者としては言葉にこだわらないというのはね…

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『いまの東山水上行話、および南泉の鎌子話のごときは、無理会話なり… かくのごとくいふやから、かつていまだ正師をみず』p53

いまの東山水上行の公案や、南泉の鎌の公案のようなものは、もともと理解できないことである… そのように言う者はいまだ正しい師に会わず、学ぶ力を持たない。

<要約>
禅の説話は、理性によって理解出来ない無意味なものではない

…それにしては、ちと難解過ぎるゼ…

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『画餅―絵に描いた餅―絵に描いた餅は飢えを満たさない』p91
禅で言う画餅とは、一般的な理解とは異なり、「解脱の境地においては対立はない」という意味らしい。p95

       …えらい違いだ!!!
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2007/6/28

同時代を生きる  

内戦の中、スーダンで活躍する日本人医師を秋、職場が主催する講演会に推薦したところGOサインがでた。現在はアフリカだが帰国するのに合わせてなんとか出来ないものか調整中。

いつも思うのだが、誰もが先天的に他人の痛みが判るわけではない。 他人の痛みが判る為には訓練や想像力が必要で、とりわけ地球の裏側に住む人々の痛みを理解するには、「知識」も必要だということだろう。 
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/209/trackback

その為の講演会だとは言わないけれど、若い人には一度は耳を傾けてもらいたい。何故なら我々は同時代を生きているのだから。

彼は昔同じ職場で癌研究をしていた。色々な意味で今は生き生きとしているように感じる。もちろん大変な仕事であり、身の危険さえあるだろうが、身近で助けられる命を救うことが出来ると生き甲斐も大きいだろう。役に立つかどうか判らぬ研究をするのは時々虚しくなることがある。(2001/5/3 書き込み分参照)↓
http://www.greengrape.net/bbs/rbbs_2001_0508.html
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2007/6/27

Webinar  

こんなメールが来ていた。セミナーの仕方もインターネット利用でこれから変わるのだろうか?

Dr. ○○○○○,

Thursday, 12 July, a webinar “Gene expression microarray analysis of autism spectrum disorder: from raw data to biological interpretation,” will be presented by Peter C. Roberts, Ph.D. For more information and to register for the 12 July webinar, visit
http://www.genesifter.com/webinar13reg.html
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2007/6/27

今朝のニュース&中世論理学  

<今朝のニュース>
また茨城県の原子力研究所で起こった放射性物質汚染に関する内部告発が報道された。 組織はこれから危機管理という面でも、正義、透明性に徹するべきだろう。 それにしても、あの食品加工業者のその後の報道を聞く限りとても悪質、同情はできない。 あれは「危機管理」という範疇では語られない犯罪だ。 それにしても割を食うのはまたしても解雇されることになる従業員、なんとかならぬものか。

米国下院委員会で日本の従軍慰安婦に関する批判決議が出されたとか、どうも不思議な動きである。 水面下で陰謀が動いていないか?要注意。 それにしてもこれは日本政府首脳の愚かな言動が招いた不祥事とも言える。 ナチスの戦争犯罪に歴史的にきっぱり決別できたドイツの例に習うべき。日本の政治家、特に最近の若い政治家はとても愚か。

<中世論理学>
先日専門外、それも人文科学系の発表会に参加する機会があった。発表会といっても人事に関わることなので気楽に聞く訳にはいかない、こちらも真剣勝負。 連続の演者、計4時間以上にも及ぶ発表会はかなり疲れた。

一部の演者には『(専門外の者に)どうせ、説明しても判らないだろう』という意識が見え隠れしていたが、これはどうも頂けない。 例え、分野違いの聴衆に対しても謙虚な態度で臨むべきだろう。

たまたま歴史系、しかも西欧中世に関する内容だったのでこちらもかなり細かい質問をした。 演者には意外な、しかもかなり厳しい質問だったかもしれない。 またそのような分野の研究をしているにも関わらず1本も欧文論文がないことなども指摘しておいた。 これは今後の研鑽に期待したいところ、またそれが学問に対する態度にも関わることだと思う。 

日本の文系の世界では、日本語でしか研究発表をしない。これが伝統であることは承知している。 しかしとても理解に苦しむところ。それではピア・レビューは受けられない。世界に情報発信し、厳しい批判を受けることなしに学問の進歩はないというのが私の信念。

それにしても、ただ独りパワーポイントも使わず、レジメだけでひときわ目立つ発表をする先生がいた。あれをみるとPCを使う能力とプレゼン能力は全く別物だとよくわかる、最近アニメや画像でに凝りすぎる感がある人が多い。
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2007/6/26

ユーロ高&昨夜のタンゴクラス  Tango

今朝の『ビジネス展望』によれば、ユーロ高が続いているとか、それにしても、1ユーロ=166円レベルは凄い! ユーロの強さはヨーロッパの強さの現れである。 EUの協定により財政赤字が3%を越えてはならない為、ドイツだったか?は付加価値税(=消費税)を上げたがこの強さとのこと。

ここで注意しなければならない点は、その分お金を福祉と環境に回したという点。消費税の引き上げが即、経済の低迷を引き起こすという議論がそれほど現実の経済では単純な反応を引き起こさないということの証明か? 是非このヨーロッパの現実を消費税引き上げに拒否反応を示す一部の人々も学んでもらいたい。ツケを子孫に廻すべきではない。将来に禍根を残す政策を続けていると誰しも国家を信用しなくなる。

<昨夜のタンゴクラス>
バレーの女性が振替で来ていた。
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/593/trackback
彼女もバレーの癖が抜けなくて苦労しているみたい。 お互いになかなか出来ず、注意を受ける。 私はステップは間違ってないが、リードがないと云われ、同時にリードが強すぎるとも(笑) 「枠」リードが基本ですね。 彼女はステップが間違っていると注意される。 パートナーを交替しながら2回目お互い回ってきたとき、励ましあって『リベンジ、リベンジ』と言い合い練習、今度はお互いに少し判ってきたみたい♪

<昨日のマスターしたい動き>
女性をピボットさせて左足横に出しつつ女性を後ろのオーチョ
右足揃えながら女性ピボットさせて
左足前に出しながら女性を再度後ろのオーチョ
右足回り込みながら自身がピボット、ピボット(連続回る)
自身ピボットして右足後ろにオーチョ
自身ピボットして左足後ろにオーチョ
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2007/6/25

回転技(復習)  Tango

サルサは肩を押してリードすることが多い、タンゴは枠でリードする。この違いが私の場合注意しなければいけない点。つい強引なリードになってしまうようだ。

それからタンゴは、非常にパートナーと近接して踊るので姿勢が前屈みだと女性は動けない。何時も注意されるが、なかなか直らない。サルサでも姿勢はよくないといけないが、男女が離れている分それほど支障がないのでついそのままになっしまう。

左足横
右足後ろ横に移動させながら女性を前のオーチョにリード
枠を保ちながら時計回りに女性を再度オーチョ(その間ピボットしながら女性の為に空間をあける=右足を引っ込める)
さらに女性の動きに合わせて左足軸に回転(右足先を綺麗に丁寧に回転)
右足で女性の足に合わせて(ストップさせるような感じ)
女性が男性の足を越える
左足横に
右足揃える
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