2009/12/31

よいお年をお迎えください  

ほとんどお客さんのいないblogですが、それでもいつも見に来ている方が何名かいることは知っています。 また、アクセス記録は、日本のみならず、海外からも定期的に見に来られていることを知らせてくれます。 

もともとblogはbe logであり、独り言の場だと思っていますが、それでも外からの目があるということが、一種の緊張感を高め、web logとしての機能もあると思っています。 有り難うございました。

それでは皆様よいお年をお迎えください。
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2009/12/31

昨日のラジオ番組を聞きながら感じたこと  

昨日のラジオ番組を聞きながら感じたこと
(1)昨日帰宅途中のラジオで堺屋太一氏が番組で述べていたことの1つ。

『日本人は中国に対して、過去のイメージ(中共や三国志時代の中国)で対応している、現代中国の文化・技術について無知だ…』   うなずけるところがある。 

いま中国に興味を持ち始めた理由の1つが中国からの共同研究と資金提供の申し出。 傲慢な言い方になるかもしれないが、それはサイエンスの分野でも中国が今や日本や欧米と対等になったことへの驚きだった。 それまでの中国のイメージが打ち壊される瞬間でもあった。

昔はアメリカに留学していたこともあり、興味はアメリカ一辺倒だった。 その後、フランスの研究者と共同研究をはじめたことがきっかけとなり、ヨーロッパがそれに加わった。 正直言ってほんの1〜2年前までは中国は視野の中になかった。 改めて見渡すと、中国は今や日本を抜いて世界第二の経済大国となり、上海はあたかも未来都市のようである。 

(2)もう1つ、ラジオで話題になっていたことは、
これからは「環境と健康」ビジネスが重要だと。 確かに最近多くの評論家が申し合わせたようにこの事を言い出している。 しかし数年前までは大抵は「金融立国」だった。

しかし素人目にも「金融立国」が日本には向いてないことは明らかだった。 何故なら金融立国には人手はいらない。 どうして1億2千万の国民に仕事場を与えることが出来るだろう? あの時から、愚かな評論家たちだと思っていたが案の定、金融危機が起こると手のひらを返すような変身。 誰がそうだったとは云わないがちゃんとこのblogには記録してある。 

ま、それでも多くの評論家がこれからは「環境と健康」ビジネスだと考えたのは悪い事ではない、事実そうだから。 しかし自然にそうなるものではない。そのためには国家的戦略と投資が必要で、その道筋をどのように立てるか、それを具体的に述べてもらいたい。それが出来れば過去は忘れよう(笑)

いずれにせよ、日本がこの分野でビジネスモデルを確立できれば、将来日本以上に過酷な環境汚染と人口学的危機を迎える中国にそのノウハウを輸出出来る。 省エネ技術同様、それが今後の日本の財産となるはず。 
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2009/12/30

批判は覚悟の上  上海2

自分の読書記録をみると中国近代史から、上海史に比重が移ったのが9月頃。それから今までの間に10冊程度の書籍とDVDを見た。 段々、固まってきた史観と今回の短い間だが、2回目の上海見聞で感じるところを書いてみたい。

19世紀後半から20世紀前半のほぼ100年の間は中国にとって試練の時代だった。 アヘン戦争(1842年)を契機として清朝中国は混乱を極めた。 内にあっては、小刀会の乱、太平天国の乱で国内は混乱し、そこに乗じて欧米列強が争って中国に利権を求め、上海はその時代最大の足がかりだった。 日清戦争、清仏戦争、そして辛亥革命による清朝政府の崩壊が1911年だっただろうか? その後、時代は太平洋戦争へと怒濤をうって流れていく。

今回の上海の旅はまさにその1世紀を考える旅だった。

結論から云えば、英国、アメリカ、フランスはもとより、日本もその中で中国にとって大きな惨禍をもたらしたが、 しかし英米仏の立場と日本は少し違うような気がする。 日本にとってはもし中国がこれら欧米列強に支配されたら次は間違いなく自国の植民地化だと理解していたはず。だからこそ国内GDPの半分を軍事費にかけて富国強兵策にでないといけなかった。 

それが日本の中国侵略の言い訳にはならないとは思うが、あの時代他に日本のとれる選択が果たしてあったのだろうかという思いもある。 

きっとこのようなことを書くと、中国の人から厳しい批判されるだろうが、正直そんな気がした。 この19世紀後半から20世紀前半に至る現代史について、公平で理性的な歴史批判が出来るのには、まだ後暫くかかるだろう。

エリック・ボブズボームは以下のような言葉を残している。

『ドイツや日本、あるいはイタリアが侵略国であることに疑義を挟む「まともな歴史家」はほとんどいなかった…』
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/921/trackback


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…今朝のニュースで英国人が中国で麻薬関連の罪で死刑を執行されたことについて英国政府が厳しく批判していることを知った。

私の立場は、

外国人と云えども中国で犯罪を犯せば、中国の国内法に従い、裁判にかけられ、有罪ならば中国人と同じように刑が科せられるのが道理だと思う。 そのことと死刑の是非は別の問題として捉えなければならない。 

それゆえ、英国の批判には正当性がない。 まだ英国は租界時代の感覚を持ち続けていると批判されても仕方がないと思う。

同じようなことは日本でも起こっている。 沖縄で交通事故を起こし人を殺したとされるアメリカ兵の容疑者は日本の警察の取り調べすら拒否している。これも同じようなセンスの問題だろう。
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2009/12/29

上海サルサ惨敗報告 1勝2敗    上海2

以上でとりあえず上海シリーズは終わり

<金曜サルサ>
City Hotel5階のステーキハウスは最初はサルサバーだとは思えず、不安一杯でした。 ウエイトレスに聞くとしばらくするとサルサがスタートするとか♪ (このウエイトレスさん上手な英語が話せた人で、安心できた)

帰国後調べてみたら此所↓みたいです。ちょっと感じが異なりますが。「ピナクル ピーク ステーキ ハウス」次回はMERIDIENホテルからこのCity Hotelに拠点を移しますか?
http://www.cityhotelshanghai.com/jp/services/restaurants7.htm


結局此所が今回上海で唯一サルサが出来た場所になりました。時間があったので普段運転なので飲めないワインをかなり飲みいい感じになったところでサルサがかかりました。会費は1ドリンク付きで50元、ただしそれまで飲んでいたのでひたすらサルサ、サルサ。上手な人から様々でしたが本当に楽しめました。とても愉しゅうございました。

英語に日本語のアクセントがあるとかですぐ日本人とバレましたが、最後に踊った上手で長い黒髪の女性とがとても相性よくて、、本当に愉しゅうございました。 謝、謝。 余り愉しくて帰りに写真を撮るのも忘れるくらいでした、この時ばかりは、上海最高♪

場所は此処、
http://tours.china.hotelwindow.com/shanghai/city-hotel-shanghai/jp/


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<土曜サルサ>
上海最後の夜、満を持してEL MojitoにGO! ところが灯が消えている。お休み? 

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しかし此処は直ちに気を取り直して、Studio78へ、途中思いがけず歴史的建物の横を通る。名前は忘れたが、かつて旧ソ連との蜜月時代に立てられたもの。

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30分程度だったでしょうか、歩いた先に、Studio78発見、、、 ところが此所もお休み!!! 


<教訓>
Xmasや正月休みなどのシーズンは避ける。 スケジュールが別メニューになっているから。 前回3戦3勝で慢心し、油断しました。もっと情報集めるべきでした。総括しては1勝2敗で上海サルサとしては失敗でした(涙)

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結論と対策
サルサバーを探すのはそれほど困難ではない。これは上海の土地の判りやすさによる。住所がわかればまずOK ただし、real timeの情報がポイント。特にXmasや正月などのシーズンはスケジュールの変更がつきものなので。

上海サルサ探検は今後も続ける予定! 次回はいつになるか判りませんが、早くて5月の連休か、お盆休み? あ〜〜〜〜  万博とモロ重なる!

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2009/12/29

上海歴史探訪2 仏租界  上海2

行動範囲


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さらに西に進み、南晶路と思南路の交点で左(南)に折れ、しばらく高級住宅街を歩くと(地図では復興公園に沿っているように書かれてあるが実際は住宅街)周公館。

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周恩来氏が表向き私邸として届け出た旧共産党代表団の公邸がある。 狭い通りを挟んだ反対側のどれかの住宅にかつてスパイが周公館を見張っていたと何かの本で読んだ事がある。多分写真の2つの建物のどちらかだろう(左側かな?)

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思南路をさらに南下すると交通大学がある。ただし思南路側からの入口はないので写真は重慶南路にわざわざ戻って撮ったもの。この左側の煉瓦の建物(1号棟)がかつての震旦大学の現存する建物。ここではフランスの学位がとれたとのこと。ちなみにこの後の交通大学、あの江沢民氏の卒業校であり、某F大学の姉妹校でもある(汗)

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周公館や交通大学のあるブロックの西隣のブロックに旧パスツール研究所があったとか、1937建。守衛さんの話では現在の寄生虫病研究所の隣の商店が入っている改装中のビルだとか、ただし英語が通じなかったので「パスツール研究所」と連呼して、相手が指差したビルなので真偽の程は不明(汗)

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パスツール研究所に行くまでの路すがらブロックの外側を歩いていたら、旧フランス監獄を発見。プレートがあったので判った。手持ちのガイドブックには書いてない。 

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監獄内部の写真を示すが、それ以外にもあちこちに鉄格子が嵌っていた。

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しばらくパスツール研究所の路(瑞金二路)を逆に北上すると迎賓館、瑞金賓館がある。 ここで確か外国の政府高官が泊まるとか、何かの本で読んだことがあった。

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さらに瑞金二路を北上し、孫中山宅の看板で右(東)に折れてしばらく歩くとロシア正教会がある。この旧聖ニコライ聖堂は1934年、ロシア革命のあと、たしか記憶に間違いなければ最後の皇帝を偲んだものとか。まことに正教会的造り。

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ここまで歩いて疲れもかなりピークに達したが、まだ時間が早かったので人民公園内にある都市計画の展示館に行く。30元でもとが取れるかどうかは個人によるだろう。 多分多くの人が「つまらない」と云うかもしれないが、中国が今後の上海をどのようにしようとしているかが良く判る。 写真は未来の上海の模型。

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左側が浦東地区、超高層ビルの森ビルなどもある。さらに上海の外洋部、長江河口の南側に喫水線の深い巨大タンカーなども停泊出来るように人工島をつくり、そこへも長い橋をかけて物流の拠点を将来つくる計画があるようだが、これは壮大な計画。

最後にホテルに戻る前にホテル近くの人民広場の一角にあるスターバックスでコーヒーを飲む。その隣にロゴが極めて似たお店もある。いかにも中国らしい。

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2009/12/29

上海歴史探訪2 上海暗部〜新天地   上海2

スモッグは変りませんが、いくらか良く下界が見れます。 

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隣のビルはまだ入居されたないようです。どんどん新しい高層ビルが建築されているのは事実ですが、一方で空きビルが多いとも聞きます。どのような仕組みがそれを可能にしているのか興味のあるとことですが、ここにバブルをみる人も多いのは事実のようです。

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人民広場で太極拳らしきことをしている人達(小さすぎてはっきりしませんが)ランニングをしている人達… 昨夜のサルサバーに集う人達もそうでしたが、彼らは上海の日常生活と共産党独裁をどのように調和させているのか? 不思議に思います。  …ま、余計なお世話ですが。

次のDay tripは主に西区の歴史探訪。前半部分の行動範囲


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ホテルから西蔵中路を南下してすぐGrandホテル、1929年建。 

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写真左端が宿泊したMERIDIENホテル。さらに南下すると悪名高い、大世界。アヘン、賭博、売春の世界。

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大世界から右へ(西に)折れるとコンサートホールを一角に持つ公園がある。 

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実はこの地区、上海マフィアの住居と歓楽街があった地区だが、全くそのような記載は公園の何処にもない。案内立て札は沢山あるが、それを記載するものはなし。散々歩き回ったが探し切れなかったので意識的に外しているのだろう。上海市民には早く忘れてしまいたい過去なのだろう。 しかし彼ら自身の「歴史」である、忘れていいはずはない。 しばらく時間が必要ということだろう。

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中央に池とそれに流れ込む川があつらえてあるが、その北側にマフィアの住居があったと歴史書には記載がある。 

写真池の手前が住居のあった場所。

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公園にそって黄陂南路を下る(南下)すると有名な観光ゾーン、新天地。 前回訪れたが、途中だし、前回せっかく共産党第一大会が催された場所の写真をうっかり削除したので、今回はそれを再度撮るのが目的。 この歴史的な場所を訪れるグループが開場を待つ。

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綺麗にリニューアルされているが、建物は煉瓦造り。これはバンドのビルを除き、他の上海の歴史的建物では大抵そうである。この上海はデルタ地方なので石材はないが、煉瓦ならば容易に調達出来る。

新天地で右に折れ(西へ)緩やかに曲がった南晶路を進むと旧フランスクラブの建物がる、1917年建。 

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余りフランスぽくないが… 小さい通りを挟んだ反対側は庶民的な路地。新式里弄である、1916年建とある。

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2009/12/29

豫園-仏租界ーバンド  

もときた路を少し戻り、豫園商場にはいりスターバックスでしばらく休憩。 

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豫園を出てすぐの所に最初にフランス領事館が置かれたという、聖ヨゼフ教会。

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というか、仏清戦争での賠償の1つに布教の自由を求めたところが、いかにもカソリックの国らしい。今は小学校にでもなっているのか、守衛が厳しくチェックし、外部者は立ち入り出来ない。写真中央は子供を連れて来た母親みたい。 聖堂は革命を経たフランスの教会なので安っぽい。 あ、これはロマネスクやゴシックと比較するからですが(汗)

ここから東へちょっとバンド(外灘)に出てみるが、工事中で埃が酷く、写真1枚撮って退散。

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裏バンドに行く。 中央に見えるタワーが昔、気象情報を黄浦江を航行する船に信号として送っていたとかいう。此所が共同租界とフランス租界の境界。 

走ればあっと言う間に共同租界からフランス租界に逃げられる(その逆も論理的にはあり得るが…)。 それがかつて上海に「魔界」と云われた悪の巣窟のイメージをもたらした。

裏バンドにも歴史的建物がある。 裏バンドは英米仏に遅れて中国に入った日本が外灘のいいところは全て欧米に抑えられていたので裏通りに銀行などを建てる。写真は三菱関連。 

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そういえば博物館に横浜正金銀行の出した一元銀行券があった。租界では流通していたわけですね。

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途中から右に折れ、北に向かって戻る。 途中の風景。

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目の前に奇抜な高層ビルがあるかと思うと、全くその位置のまま、視線を90度移動すると昔ながらの長屋がある。これが今の上海。 

途中の雑踏にみた上海猫。交通事故に会うなよ! ここは人も車も全然、交通ルール守らないからね〜 青信号でも安心して歩道を渡ったら危険なくらい。 

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途中でレストランで早めの夕食をとりホテルへ。 下町とかも歩いてみるが、地元の中華料理店には入る勇気がない。 言葉が通じない、どうしよう!?と思い結局は欧米系の店に。情けない(涙)

それにしても流石に歩き疲れました。 暫く休息とり今夜は是非サルサナイトを。 写真は帰ったホテルの窓から。シャープペンシルの先みたいな高層ビルのマンダリン Hotel。

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2009/12/28

上海歴史探訪1 ~小桃園清真寺まで  上海2

動いた地域


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引き返して、お上りさんをして南京東路を東に、河南中路の交差点で南下。 途中聖三一堂を発見、建築は1869年、アヘン戦争後にイギリスが建てる。

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1ブロック隣に昔の工部局、『上海租界興亡史』の主人公が勤めていた部署。
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今は警察の詰め所になっていたので守衛の警官に聞くも英語が通じなかったからかもしれないが、違うと言う。写真1の警察官です。 写真2は遠景。 

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その隣のブロックに旧米商工会ビル、建物にそれを示すプレートがあるが、余り目立たない。

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さらに河南中路を南下。 埃の延安東路にでる。此所が共同租界ろフランス租界との境。かつてはクリークあったのを埋め立てたとか、低地のはず。写真は陸橋よりバンド方面を眺める図

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さらに南下、途中豫園の看板があり沢山の観光客が左(東)に流れていくがそれと交差するようにさらに南へ。 復興東路と交差するように陸橋があるが、これを上がるとイスラーム教会がよく見える。 

此所が「上海クライシス」の舞台の1つ、小桃園清真寺。
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http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1672/trackback
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1673/trackback

名前ではイスラム寺院とは思えないが外観を見ればすぐ判る。思ったより小さい。

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まわりの建物も実はイスラーム風。 

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モニュメントはまさしくイスラーム風で水の流れを感じさせるもの。乾燥地帯ならではの水に対する憧れでしょうか?

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2009/12/28

横浜近辺  勝手連=里親リンク

詳細はこちら、「ニャパネットリターンズ」で↓
http://ameblo.jp/aisys/
なお、当方「勝手連」にて、ニャパネットリターンズの了承は受けていません。

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2009/12/28

上海歴史探訪1 ~博物館まで  上海2

朝一番の光景。スモッグが酷い。北京も上海もいつもこんなどろうか?

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上海は新しい街で観光地がないと地元の人が言ったが、中国近代史の方に興味がある者にとってはそんなことはない。 十分観光に値する。 初日はホテルに着いたのが6時過ぎ。予想ではまだ日が明るいうちに着けるだろうと思っていたが、凄いラッシュで市内に入ると歩いた方が早いような感じ。 初日にバンドまわりと思っていたが、中止して。サルサ場探しに奔走。結局、駄目だったことは先に書き込んだ通り。

そんなわけで、2日目からが本当の探訪。バンドは工事中だし、今更のこともあって省略。 まずは上海中心部を主に廻る。 まずは9時から博物館が開いているとの情報があったので、人民公園を廻って博物館に。 

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写真は博物館に行く途中の人民政府とホテルの遠景。左が人民政府。中央の高層ビルが泊まったホテル、22階でしたが、夜景はスモッグでそれほどでも。 このホテルの最上階にSalsa barがあるが、昨夜はXmasイベントでなし(涙)

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博物館は素晴らしいが、無料。飛行機に乗る時並みの検査あり。 テロ対策なのでしょうか? 陳列物には紀元前15世紀のものもあるが、その精巧さに驚く。写真は青銅製の楽器。

たしか紀元前11世紀だったと思うが、信じられない程の精巧さ。 ところでフラッシュしない限り写真は撮り放題。
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