2013/3/31

『稲の日本史』   お勧めの1冊

『稲の日本史』 
佐藤洋一郎、角川選書。2002年初版

プラントオパールは長く残存するので積算値となる。一方種子は水田放棄の直前の微分値と考える。 これらと遺跡発掘地での雑草の種子の分布状況から「水田が廃棄直前に耕作と休耕が混在していたと考えられる」p98
  >これは焼き畑型の耕作に類似している。

人の思惑や自然環境に揺さぶられない遺伝子を中立遺伝子というが、この分布(RM1遺伝子およびその他の遺伝子ついて)を日本の稲と韓国、中国で比較すると日本の稲は8つあるうちのaとbが主で、全てある中国、7つある韓国と対照的。

  >この合理的説明は日本にaとbをもつ稲がそれぞれ朝鮮半島からと中国から別々にやってきたということ。p104  
  >また持ち込まれた稲は量的に僅かだったということ=それから増殖された。 p105

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この事は別の研究者も指摘されていましたね



<その他、データーベースとして>
ウルチ米は清酒や米焼酎の原料となり、モチ米は味醂や白酒、泡盛の原料。p70

弥生時代の遺跡から熱帯ジャポニカが多数でた。p83~
弥生初期と後期で差がない。p86

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つまり弥生時代になっても焼き畑時代から栽培されていた熱帯ジャポニカは捨てられず栽培され続けていた。
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2013/3/30

送別会 告别的晚餐(gaobiedewancan)  


このところ人事異動で連日送別会。特に今年は雇用に関する法律の改訂で非正規雇用の人が大勢雇用が切れ離職した。 法律の趣旨とは逆にネガティブな面が出た方が多かったような?
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2013/3/29

『DNAが語る稲作文明』6からの妄想;稲と范蠡  お勧めの1冊

妄想;稲と范蠡
インディカとジャポニカのミトコンドリアDNAには明らかな違いがあり、インディカは大きな欠失がある。 一方、染色体DNAについてみると野生株と栽培株の比較でインディカの栽培株はジャポニカとの交雑によって生まれたような様相をとる。著者はこれについてインディカの栽培株の由来についての仮説を図で明示しているが文章にははっきりと述べていない。p179

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いずれにせよ著者はこれまでの遺伝的解析といろいろな歴史上の出来事を組み合わせてイネの拡散について仮説を述べる。 それによれば、小麦やアワを基盤とした黄河文明が春秋戦国時代に長江流域に進出し、コメを基盤とした長江文明を滅ぼした。この呉・越・楚が登場する戦国時代は単なる政治的対立というよりは、2つの異なる文明の衝突だったと著者は考える。p181〜

滅んだ長江文明は<稲と照葉樹林文明>を携え、東と西に流民となって亡命して行く。 東に流れた先に日本があり。 長江をさかのぼり西に流れた先に雲南・アッサムがあるとする。p188〜 またこのとき携えた照葉樹の1つが楠の樹だとするならいろいろ妄想逞しく出来る。

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…さらに妄想を極限に膨らませ、このときの流民の1人に、西施と稲を携え山東に亡命した范蠡がいたとするなら…

   余りにも妄想が過ぎる??
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2013/3/28


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樹木信仰は世界中の古代社会で一般的に認められるものだが、とりわけクスの樹はそのもつ樟脳は医薬品や防虫剤となり、樹そのものは腐りにくい建材として、あるいは船材として利用される。 もともと長江文明が漁撈と水耕を中心とする文明だとするならその利用価値は高かったと思われる。
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ついでに言えば寛仁さま葬儀の際には遺体を柩(ひつぎ)に納める「御舟入(おふないり)」の儀式が行われた。同じ儀式はかつて長江文明にも存在したことが知られている。いずれも漁撈と水耕の文明の名残だろう。
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もう1点、重要なことはクスの樹やシイの樹は人里にしか生えていないということだろう。しかも神社、仏閣などの人の手によって「攪乱」を加えられ続けられた場所にしか巨木はないと著者は言う。p188

つまりこれらの樹はヒトと行動を共にした木々であるという点。


あと、データーベースとして、
インディカの野生種は基本1年生。 ジャポニカの野生種は多年生。p199
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2013/3/27


楠木に関連して、それがご神体になっている地元の宇美神社を紹介しよう。
http://www3.ocn.ne.jp/~umi8man/u_frame_1.htm

ここには樹齢2000年を越えるという「湯蓋の森」「衣掛の森」と呼ばれる2つの巨木がある。巨木自体が1つの生態系となっていて多くの生物を育んでいる。

この神社、小さいが由緒ある神社で応神天皇生誕の地として有名。 個人的な考えとしては、ここは元々樹木信仰と泉信仰の地で、それが天皇制イデオロギーによる脚色を受け、神功皇后が朝鮮からの帰りに此処で応神天皇を生んだということで不弥国(ふみこく)から「生み」=「宇美」という転化をへたものと考えている。
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ここには応神天皇を出産した時の胎盤(胞衣)が奉納されている(かなり離れた丘の上)が、これは「籾殻」がしばしば人の胞衣(胎盤)に擬せられるという点から天皇制イデオロギー導入にあたって「籾殻」が応神天皇の「胞衣」となったと勝手に解釈している、同じような例はイタリアの中世史にもベナンダンティーとして存在する。
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いずれにせよ、稲作との関連の実に深い事柄が多い。
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ここは実に楠木だらけ。日本人には見慣れたこの風景だが寧波の普陀山にそれを見たのは少し意外だったのか、それがわざわざ

  「楠=シナモンの木が多い」

と記載した理由だろう。

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2013/3/27

『DNAが語る稲作文明』 5  お勧めの1冊

『DNAが語る稲作文明』 5
『長江文明を支えた生態環境」のところで実に面白いことが書かれてあった。それは、著者が春秋戦国時代の遺跡から出土された、大きな楠を使った丸木舟や棺桶を見て興奮したとか。 著者は言う、

このような照葉樹の巨木は現在の浙江省には余りみうけられない。主にあるのは落葉広葉樹。しかしそのことは当時(2800年前)その地には照葉樹林があったことを意味する。しかしその後、この地は寒冷化し、照葉樹林には適さなくなったと。

長江文明は、照葉樹林文化を基層文化に持ちながら発達し、照葉樹林とともにその盛衰をともにした』 p174

この文章を読んでハタと膝を叩いた。 実はまさにこの照葉樹林を、楠=シナモンの巨木の森を寧波の普陀山で見て来たではないか! 下記URLの2番目の写真の直後に「シナモンの木が多い」と記載しているが、写真は載せてない。
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写真を載せていないのは日本人にとっては珍しくないから、しかしこの様な記載を無意識にしたのは<浙江省ではシナモンのような照葉樹は珍しかったから>。昔のパソコンを引っぱりだしてきて調べたら確かに写真を撮っている。もし著者が寧波の普陀山に行っていたら、もっと興奮したのではないか?

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2013/3/26

『DNAが語る稲作文明』4  お勧めの1冊

昨夜のBSフジのプライムニュースはPM2.5が話題になっていたが、PM2.5はそれ程重要なのか? 

大体、

1)福島の放射能汚染よりこちらの方が重大なのか?? 最近何故か放射能はあまり話題にならないが??
2)PM2.5をそれだけ騒ぐなら、PM2.5の固まりの煙草をまず問題にすべきでは? 何故、議論されない??
3)昔の高度成長期、日本はPM2.5のただ中にいたではないか? 光化学スモッグがいつも問題になっていたではないか? それを何故議論しない? 忘れてしまったのか???

これだけ騒ぐのは何か別の意図があるのではと疑ってしまう


『DNAが語る稲作文明』4

著者の考えは、

まず熱帯ジャポニカが縄文時代に西日本に伝わり、粗放な稲作がスタートし(故に水田などの遺跡は残さなかった)、その後水耕稲作技術と温帯ジャポニカを携えた大量の移民が朝鮮半島から日本列島に渡ってきて、水耕稲作が弥生時代を迎えさせた。p152   ということらしい。


中国には「せん」と「こう」とよばれる2種類の稲があり「せん」は宋の時代にチャンパ(現在のベトナム)から輸入されたインディカで、その子孫がその後、「唐法師」として日本にも渡ってきた。p157

>昨日の解釈は正しかったようだ。ちゃんとここに書いてあった(笑)
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台湾はかつて東側に温帯ジャポニカを陸稲として栽培する山岳民族がいて、西側は在来種のインディカと蓬莱米とよばれる温帯ジャポニカが作付けされている。p159

インドネシアはブルという熱帯ジャポニカとチェレというインディカがあるp160
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2013/3/25

『DNAが語る稲作文明』3 & 論理的帰着点  

今朝が「ビジネス展望」のメンバーである鈴田氏の最後の担当とか。29年(?)も「ビジネス展望」でコメントをよせられていたとか。長い間ご苦労様でした。 

その割には検索すると5件だけしか同氏のコメントを紹介していない。数が少ないのは天の邪鬼な私としては、特に反論もなかったからだろう。



『DNAが語る稲作文明』3
日本人が大量のインディカに遭遇したことは、歴史上3回あるとし、その一回目が中世で「唐法師」とか「からほうし」と呼ばれ、これらは1000年程前にベトナム方面から中国に持ち込まれたものらしい。p119

あと2回は日清戦争から第二次世界大戦前後、3回目は1993年の米の不作の年のタイ米である。 最後のことはよく憶えている。

さて、最初の持ち込みは宋時代の占城米(チャンパ米)のことを指すのだろう。
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このインディカの受容について日本と中国では全く異なった展開をみせた。日本では完全に拒否されたのに、中国ではこの占城稲(長籾)がもとものとジャポニカを駆逐し、現在では主流になっている。原因はなんだろう?

もちろん日本の場合は明らかで、味がまずいとされ導入すべき理由もなかったので時としてタイ米は破棄された。 何故、そのようなことが長江流域では起こらず地元の稲を完全に駆逐するまで広がったのか? これについては今後の課題。


その他、重要な事として、我々日本人はジャポニカもインディカもそのごく一部しか知らないらしい。我々にとりタイ米がインディカの全てであり、日本の米がジャポニカの全てであると思っているという事実。p120

もう1つは水田を開くというのは大掛かりな装置を携えた大勢の人々の移住がなければ水耕稲作は伝わらないということが此処でも指摘されていた。そして大集団の移住とは当然文化の移住でもあるということ。p150
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*********

<論理的帰着点>

ここから先の記載は著者の意見ではなく、個人的なつぶやき。信憑性もなく問題発言も含むが、流してくだされ。

天皇制と水耕稲作文化は不可分の関係にあると感じている。そしてその文化が大規模な装置を携えた外からの大量の移民によりもたらされたとするなら、その中心的存在である天皇家が日本古来の存在であるはずもない、というのが私の論理的帰着点。


宮内庁が天皇陵の発掘を許可しない真の理由もそこにあると睨んでいる。
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そのような例はイングランドでもよく知られているが、別に英国人がそれについて否定的に捉えているようにも思えない。ま、あの場合は1000年前で隠しようにも誤摩化せないというのが正直なところだろうが…
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2013/3/24

『DNAが語る稲作文明』2  お勧めの1冊

桜は今日が最後か? 天気がいま1つだったのが残念。

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去年と同じ場所です。
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団地への長い坂も

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『DNAが語る稲作文明』 2
著者はさらに稲のDNA解析そのものに入っていく

母系に受け継がれる葉緑体DNAの研究は交配ごとに遺伝子が混ぜこぜにされる染色体に比べ、長期間直線的に受け継がれるのでその間に生じた変異の研究に最適とされる。p77

その結果、ジャポニカとインディカは栽培のはじまる前から分化していた可能性が出てきた。p82

染色体の研究からも同じ結果となった。様々な手法(rRNAのDNA配列そのもの、一部DNA配列からのPCR、制限酵素切断部位を利用したRFLPなど)を用い染色体DNA自体の系統樹を作ってみると、ジャポニカとインディカはほぼ綺麗にわかれ、さらに重要なことにそれぞれ近傍に野生稲が寄り添っていることが判ってきた。つまりそれぞれの祖先となりうる野生株があるということ。p103

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この系統樹作成は今では誰でもネット経由でいつでも無料でスーパーコンピュターにアクセスして解析してもらうことが可能になっている。

http://www.genome.jp/ja/gn_tools_ja.html

またをこの系統樹を作るのに使うアルゴリズムは近年非常に洗練されて遺伝学のみならず、何と! 中世の写本、「カンタベリー物語」の写本の系統樹解析にも使われている。
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2013/3/23

『DNAが語る稲作文明』1  お勧めの1冊

『DNAが語る稲作文明』
佐藤洋一郎著、NHK Book 1996年初版 
同氏の本としてこれまで、3冊読んだがいずれもこの本より新しい。 順番から云えば逆、基本この手の本は旬があるので新しいものを読んだ方がいい。しかし、題名の「稲作文明」という言葉に惹かれた。

因に3冊とは、
『三内丸山遺跡: 植物の世界』 2004年、
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『DNA考古学のすすめ』2002年、
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『DNA考古学』 1999年、
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DNAで起源を探る研究は分野違いだが昔から興味を持っている。内容も普通の人より判るので経済や歴史に比べればはるかに読み易いということもある。

この手の研究はこれまでの手法に比べ直接的で明快な結果が基盤になっているのでなかなか説得力があるが、ある分野については解析自体がタブーとなっている。さてどの分野でしょう(笑)

はい、天皇家の起源についての研究です。

もし、天皇陵から天皇のDNAが回収され解析されるならば、歴史を書き換える真実が判るはずだが、残念だがその可能性はない。
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それは兎も角、内容に入る前におさらい。

バビロフの学説:栽培の起源地が多様性の中心地と重なるという。これは突然変異の数は他の条件が同じなら、栽培が続けられた時間に比例するというシンプルな原理。p41

しかし気候変動などにより栽培が中断されることもあり、問題はそれほど簡単ではない。

現在では長江下流域、あの河姆渡(カボト)遺跡のある領域が最初に稲が栽培されたと云われている。
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もしそうなら、河姆渡には稲の野生種がないといけないが、現在では野生の稲は此処にはない。おそらく淘汰されたのだろう。しかし証拠を出さないといけない、そこで著者らは遺跡から出土した稲から野生種に特徴的なノゲを解析する。その結果がこれ。p56

確かに鋸歯の長さは野生種を示す。つまり河姆渡にはかつて野生種があった

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さらに解析を進め、河姆渡遺跡から出土した稲に脱穀の跡を示す稲が存在することを示す。p58  


稲には1年生と多年性があるが、1年生は栽培型の祖先として適格ではないそうだ、それは、1年生は自家受粉を繰り返す頻度が高いので集団の中の多様性が失われ進化の力が失われるからとか。成る程と思う。P74

ここまでのところ、まず著者は形態から解析をはじめたがやがてDNAの解析に入っていくことになる。
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