2014/9/20

『上海』2  お勧めの1冊

『中華と対話するイスラーム』を読み終えた。 まだしばらく前の本「上海」の記録が数回分残っているが。とりあえずの感想のみ。

この本の中で雲南には元朝以来大勢の回族が移り住んでいたが清朝時代の民族浄化で危うく消滅寸前だったこと。

以前昆明でイスラーム過激派によるテロが起こった時、「何故、あのような場所で?」と思ったが、実際は歴史的にも根の深い漢族との闘争の場所であったことが判った。
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『上海』2
かつての香港と上海の決定的違いは、香港がイギリスが領有し統治したが上海はあくまで清朝の領土であり、それがこの土地がある意味無政府状態の土地とした。それでも何らかの統治組織が必要になる、それが「工部局」と呼ばれるもの。これはもともと租界の発展に伴い主なる事業が土木事業だったことと関係があると著者は云う。p34

以前読んだ『上海租界興亡史』で舞台となった行政局。あのときの主人公はイギリスの片田舎に住み、食い詰めたあげく上海に一旗挙げようとやってきた人物だった。
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第一次世界大戦でイギリスは余裕がなくなり、上海から実質的に一時的に手を引き500人もの英国人が従軍のため上海を離れた。その間を埋めるため工部局は74人もの警官を本土で募集しこれに地元で食い詰めた労働者や復員軍人が新天地を求めてやってきた。いわば彼らは格差社会の底辺からやってきた移民達だった。p55

その1人、屈折した警察官、モーリス・ティンクラーの物語を先の『上海租界興亡史』で見てきた。

さて、イギリスの衰退に伴い勢力を増してきたのが米国と日本だった。そしてそれが後の太平洋戦争への伏線となる。1915年、日本人の人口は11,457人とイギリス人を抜き租界での最大勢力となる。一方アメリカは1,307人で1割強でしかない。p77

人口では兎も角、アメリカ文化が上海に及ぼした影響は大きいと著者は云う。例えばその1つがダンス文化。その例にパナマウント・ホール(百楽門舞庁)、一度その前をクリスマスイブの夜に歩いたことがある。
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