2014/9/27

『中華と対話するイスラーム』2  お勧めの1冊

『中華と対話するイスラーム』2
19世紀以降になると中国モスレムにペルシャ語イスラーム文献に対する警戒心が顕著になると。直接の原因はペルシア語スーフィズム文献に対する不信感があったと述べられる。p054

確かにスーフィズム自身時に異端とされる背景があるのでそれは納得出来るが、それ以外にアラビア文化と異なるペルシア文化の違いがある。特にアラビアに比べれば遥かに歴史と伝統をもつペルシア文化には存在感が違う、それも大きいはずだ。

雲南ムスリム反乱(1856―74)
以前、昆明でテロがあった時、何故あのような場所でと思ったが意外に雲南はムスレムは多く、反乱の歴史もあるよう。大東溝には当時根拠地だったそうで指導者、馬聖麟(馬明心の孫)をはじめ多数のムスレムが殺害されたとか。p064
これは馬明心の弟子達の反乱(清朝時代のジャフリーアの蘭州包囲)後の流刑地として雲南があったことによる。p104
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3723/trackback
スーフィーズムは中国ムスレムにとって上級者にしか学習が許されないものだとの認識がる。P106

馬徳新は清朝下の中国を「戦争の家」と称した。イスラーム法上の「戦争の家」という表現は、当該地域に対するムスリムの軍事攻撃を一定の条件で合法とする。p184

「殉教のジャフリーヤ」の著者張承志を研究者として紹介があった。作者というよりも研究者としてか?p065
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