2015/5/31

『現代中央アジア論』2  お勧めの1冊

ここで先日のことを見透かしたように著者は述べる、
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3942/trackback

『(中央アジアは)イスラーム文化圏の辺境と思われがちだが、中央アジアのイスラーム文明への貢献は実に大きかった』p7

とのべ、イブン・スイーナ他、ハディースを編集した9世紀のイスラム学者、アル・ブハーリーの名前を挙げる。このブハーリーとはブハラ人という意味らしい。

但し、現在の中央アジア諸国が彼らを自民族の偉人とするのはナショナリズムによる「創作」であると指摘することを忘れない。彼らが属していたのはあくまでもイスラーム文化だとする。p8

またここで著者はスーフィー教団がチュルク系遊牧民のイスラム化に果した役割を指摘する。これはマドラサ等の教育機関もない遊牧民の世界において特定の聖者信仰はあっても濃厚なムスリムコミュニティーの形成は望むべくもなかったということなのだろう。そしてこの教団や商人を通じて中央アジアをイスラム化していったとか。p8

ここで重要なことが指摘されていた、それは遊牧民の圧倒的軍事的優位性が失われていったのが、「火器」の登場であると云う点。

しかしだからといって、これまでよく云われていたようにシルクロードがそれ故、廃れてきたというのは間違いであるとも。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4027/trackback

この地の国際商業はむしろ活発化したらしい、それはそれまでの東西(対清朝)のみならず、南北(ロシアvsインド)の経路が活発化した。そかし同時にそれはロシアによるこの地域の征服をも引き起こしたと。p9
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2015/5/30

『現代中央アジア論』  お勧めの1冊

『ヨーロッパ空中散歩』によれば、スペインの電力の20%は風力発電からとか。セルバンテスのドンキホーテでも判るように中世以来、西欧では風車が重要なエネルギー源。

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『現代中央アジア論』
変貌する政治・経済の深層。日本評論社 2004年初版

『文献資料によるかぎり、中央アジアの南部オアシスに高度の都市文明を築いたのはイラン系の人々で、サマルカンドやブハラを拠点に、草原のチュルク型遊牧民の間、さらには隋唐時代の東アジアにまで広がる巨大な商業空間を切り開いたソクド人はその中でもよく知られている』とする。p2

『中央アジア史を貫く主要な動態の1つは、北部の草原と南部のオアシスの別を問わず、チュルク系の言語を話す遊牧民が東から西へ、あるいは北から南へ移動、定着することにより、住民の言語的な意味でのチュルク化が進行した』 p3

ザックリ云ってこの中央アジアの文化は、イラン系>チュルク系>イスラーム系といった重層をとるのか? 何方か、間違いがあれば指摘してもらいたい。

カザフ遊牧民は草原を南北に、クルグス遊牧民は山肌を上下に季節的移動を行っていた。p3 

これはこの地方の地形を考えればよく判る。
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2015/5/29

『ユーラシア草原からのメッセージ』4  お勧めの1冊

水曜の昼間、いつになく頭にきてblogに書きなぐったが、引用に昔のblog記事をリンクさせたところ、
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その記事の翌日(2008.8.17)に火曜日のBSフジプライムニュースに出ていた原氏のことを書き込んでいるのに気がついた。今、安倍内閣の参与をされているみたいだ。 

同氏とは留学時期が重なっているので、キャンパスの何処かですれ違ったことがあるはずの人。定期的に開かれていた日本人会でも200人くらい集まっていたので会っていたかもしれない。尤も、医学センター仲間で集まっていたので色々な分野、例えば文系や芸術系、経済系の人と知り合うチャンスは少なかった。今考えると残念な事をしたね。




『ユーラシア草原からのメッセージ』4
モンゴル帝国の贈与と再分配の話の中で、ここでもあのポランニーの名前が出て来た。p157 
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その後は余り素人にはあまり興味が湧かない専門的な話が続いたが、最後に「19世紀最末期における日本人のモンゴル観」というのが面白かった。

1934年に財閥からの浄財にて設立されたという財団法人善隣会なるものがモンゴルに対する窓口となる組織で終戦まで続いたが、この組織こそは「典型的な国策機関」であったと著者は云う。p371

その第一巻に書かれた内容がそれを明らかにしている。曰く、

『北は蘇国(ソ連のこと)の為に蹂躙され、南は漢人の為に同化去勢せられて、あたら成吉思汗の後裔も700年の悲惨なる歴史を残して、壊滅の他なきに至るは必定… 彼らの心からの良友となって、その覚醒を促す唯一の具体的運動機関』 

この言葉にこの機関の目的が現れている。p372

昔、日本民族と朝鮮、モンゴル民族は同じウラル・アルタイ語族として同じ祖先を持つというようなことを習った記憶があるが、こうした言説も案外こうした目的を底に秘めていたのかもしれない。この説は今、どのように考えられているのだろうか?
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2015/5/28

西欧中世社会と現代イスラーム社会における神学論争  試行,指向,志向、思考

先のblogで大抵の日本人はマリーク学派とハナフィー学派の区別も全く出来ないと傲慢かませましたが、
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4060/trackback

実はこのことが特に印象深く残っているのは、全く同じようなことが西欧中世での神学論争でも起こっていたからだ。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1133/trackback

あのイスラームの法的擬制である「ヒヤル・モハトラ契約」を例に、
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/210/trackback

意図を探るマーリク学派とハンバル学派はこのような法的擬制を認めないが、行為の外面に重きをおくハナフィー学派やシャーフィイー学派はこれを是認するとした。 これと実に似たことが、西欧中世、カソリック世界の中にも見られている。 カソリックでは伝統的な事効論(客観主義)と改革派の中から出て来た人効論(主観主義)が激しく対立した。今なら神学論争といって馬鹿にするかもしれないが、当時はそれが血で血を洗うような混乱を引き起こした。

ここで事効論(客観主義)というのは、『たとえ異端の司教から洗礼を受けても、それが形式に則ってなされていれば、洗礼そのものは有効』だとするのに対し、人効論(主観主義)はその行為主体を重視する。 

さて『イスラームの歴史1』という本によれば、ハナフィー学派はトルコ、パキスタン、ヨルダン、レバノン、アフガニスタンで優勢とあるので、
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1152/trackback

この中央アジアを東西に結ぶ地帯では法的擬制=現実社会との妥協を認めるという解釈ができる。 現実の社会とこの解釈に多少齟齬がないわけではないがイスラム法的にはこの一帯は「融通の効く社会」(?)ということにはならないか? 確かにトルコ的イスラームはアラブ的イスラームと違い、それほど原理的でないという面はあるかもしれない…

これは今後の課題。
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2015/5/27

お腹が痛いと逃げ出さず、腹を括れるか  試行,指向,志向、思考

昼のネットニュースを見ていたらこんな記事がでていた。流石にランチ時間だが書き込みたくなる。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6161425

機雷掃海以外「現在」念頭にないと安倍氏は云うが。これって来年には変わるかもしれないということ。これまでの憲法改正論議をみれば、とりあえず一点突破出来そうなところから道を開いてという彼の魂胆が透けて見える。全く信頼出来ない。

それに現実問題、機雷掃海中に同盟国に攻撃があれば

   「私らは機雷掃海しかしませんから」

といって尻尾を巻いて逃げることが出来るのか?? そんな同盟国など米国は要らないだろう。命を賭けた戦場では戦友への信頼こそが一番大事なはず、それが同盟だろう?! 

ついでに述べれば、産経は欧米メディアが安倍氏に対し「歴史修正主義者」とレッテル貼りをしているというが、
http://www.sankei.com/premium/news/150525/prm1505250004-n3.html

中韓だけならまだしも、何故欧米までもが「歴史修正主義者」と呼ぶのか考えたことがないのだろうか? それとも時々、産経記者等がうそぶくように、<欧米のマスコミは中国や韓国の手が入っている>とでもいいたいのだろうか? 知り合いの米国人や英国人にこんなことを云えば、笑い飛ばされるだろう。否、怒りだすかもしれない。「井の中の蛙=自己中」としか言いようがない。そして一方で中国はこれを利用して戦術上有利に立とうとしているのが判らないのか?

 まさに「思う壷」。



<現在国会で行われている安保法制議論>
戦前「満蒙」と呼ばれた地域が日本の生命線だと主張し、満州どころか東アジア全体に侵略した過去の歴史を考えれば、今の安倍政権がそれとよく似た動きをしていることを感じる。当時どれだけの日本人が満州や中央アジアの文化や言語に精通していたか? どれだけ本当に日本の生命線だと考えていたのか。今になりようやく私自身モンゴルから中央アジアに繋がる世界について勉強を始めたばかりだが、なに1つ知識がないことを痛感させられる思いだ。

翻って、いま、中東世界についてはどうだろう? 安倍政権が生命線だというホルムズ海峡周辺のイスラーム諸国について我々はどれだけ知識を持っているか? 大半の日本人はアラビア語もトルコ語も喋れず、旅行で中東に出かけたこともなく、シーア派とスンニ派の区別も、ましてやマリーク学派とハナフィー学派などのイスラーム法学についての区別も全く出来ないのではないか? 
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1152/trackback

そんなところに自衛隊がノコノコ出て行けば過激派の餌食になるのは当然予想されるだろう? 防衛大臣は自衛隊の危険性が増すことはないと非常識なことを云うが、活動範囲が広がればリスクが増すのは自明。 これまで戦闘で1人も犠牲者がでなかったのは幸運と云うべきだ。



だからといって安保法制に反対というわけではない。現状の東アジアを考えると個人的には必要だとすら感じる。それだからこそ、リスクが格段に高まることを前提とした上で、

『それでもなお、日本の防衛の為には必要』という覚悟が問われることなのだ。

誰みたいに、土壇場になって「お腹が痛い」といって逃げ出すわけにはいかないのだから。
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2015/5/27

『ユーラシア草原からのメッセージ』3  お勧めの1冊

『ユーラシア草原からのメッセージ』
2章目の「オアシスに生きた人々」の著者、堀氏によればこの地を中国の版図に入れた清朝は直接の統治をしなかったという。厳密に云えば、治安の維持と貨幣経済の導入の2つだとか、基本的には現地の政権を通じた間接統治を行なったということだろう。p67-9

今、新中国もこの地を自治区としているが、現在までに大量の漢人が入植し、激しい環境破壊と文化破壊を進めている。これが新疆ウイグル自治区でテロが起こっている背景になっているのではないかと考えている。文化や宗教的なこともあるだろうが、何より生存権が侵されることが大きいのではないだろうか?

3章目の「天山の岩と泉と聖者の墓と」の濱田氏は冒頭イタリアの聖者信仰を述べる。しかしこれは天山山脈で信仰される聖者信仰と無関係ではない。何故ならいずれも太古以来の自然信仰(山岳信仰や泉信仰)をキリスト教なりイスラームの枠内に取り込むべきなされた偽装であるから。p98  

キリスト教なりイスラーム教が伝播する以前の古代の聖地に、想像の(キリスト教やイスラーム教の)殉教者をその地に埋葬し、新たな外来の宗教の枠組みに取りこみことでキリスト教やイスラーム教の布教をスムーズにさせ、同時に古代からの古い信仰を生き延びさせたとする。妥協の産物だろう。

そのような例を実際何度もこれまで南フランスの聖人信仰で、
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/145/trackback
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/35/trackback

そして北アフリカのイスラーム信仰の中で沢山見て来た。
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勿論そのような折衷的信仰はその後、原理主義的信仰により批判される歴史を見て来た。それがプロテスタントであり、サウジアラビアに生まれたワッハーブ派であると理解する。

4章の「遊牧の二類型とその意味」では著者の松井氏がアフガニスタン近辺に住むパシュツーン遊牧民とバルーチュ遊牧民を対比して論じる。ここで前者が牧畜専業であり、彼らにはバザールや商人と云った都市的環境が不可欠だとする。p118 

遊牧民社会が都市を基盤とするというのは意外なようだが、もともとイスラームが都市の宗教であるということを思い出すと理解しやすい。

アフガニスタンは1747年からクーデターで王朝が滅んだ1979年までパシュツーン遊牧民集団がその重要な役割を持っていたことを指摘する。p127  

そのような紹介はこれまで聞いた事がなかったので興味深く感じた。否、実際あの9-11が起こるまでアフガニスタンという国自身私の頭の中に無かった。

この地域の人工的な国境確定が、ロシアの南下政策に対するイギリスの対抗戦略の中で生まれた。p129
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2015/5/26

『ユーラシア草原からのメッセージ』2  お勧めの1冊

最初の章である「天山山中に遊牧民をたずねて」の著者は梅村氏。著者はフィールド・ワークから現在のこの地の遊牧民の抱える問題点を描き出すが、それはこれまで別の本でみてきたことと基本的に共通する。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3958/trackback
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3668/trackback

そしてその原因となったのが,新中国成立後に大量に入植した漢族、特に生産建設兵団によるものであることも示唆していた。

<時系列>
まず70年代初頭まで、遊牧民たちは歴史と自然の成り行き任せの草地利用をしてきたよう。p45

それが変わりだすのは、中国科学院新疆生物土壌沙漠研究所の観測試験場のダウレト所長によれば70年代初期にその徴候が見られたとも。p47 それでもまだその頃の草原は豊かであったのだが。

例えば77年頃、草地率は52.8%で1ムー(0.66アール)当たり55キロの牧草を刈り取ることが出来たが、80年代後半には草地率は35%、収量は34キロだとか。p48


その文章に続けての指摘ではないが(おそらく遠慮したのでは?) 他の箇所で1949年から新疆生産建設兵団がやって来る。p58 まさにこれが別の本でも指摘された過放牧を引き起こした元凶でもある。 その本でも指摘されたとおり、現在この地域では家畜数は100万頭に達し、これは1988年に適正放牧頭数とされた63.6万頭を遥かに超える。そしてそのうち36万頭がこの生産建設兵団によるもの。

つまり100-36=64万頭、という数字はもともと放牧民による家畜頭数であるので、明らかに生産建設兵団の分が過放牧ということになる。p58

この章で著者は2004年頃には限界点に入ると予想されている。p60 著者はこの地のフィールドワークをしたのは1993年であり、p37 その後の詳細なデーターは入手されていないのだろうが、おそらく現在、この限界点を超えているに違いない。

この章の最後に参考文献として出された3冊の本のうちの1つに、あの『紅衛兵の時代』や『殉教の中国イスラム』の著者である張承志の著書、「モンゴル大草原遊牧誌」が引かれてあった。



<その他>
遊牧民の草原使用パターンは出産期の春に一カ所集中(これは行政の把握の必要上である可能性もあることが指摘されている)。 夏秋には広く展開、冬期には分散して渓谷などで越冬する。p52
これは冬期は草原低地(海抜2600メートル)ではー35℃の寒気に晒されるからで、渓谷では雪は深いがー23℃で風も防ぐことが出来ることから。p57
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2015/5/26

事実誤認、あるいは誤摩化がある  震災ー原発事故

月曜のBSフジプライムニュースはエネルギーミックスについて。

計算根拠を上げずに原発の電力コストは安いと云う東京工業大学の柏木氏に対し、自民党の片山氏と民主党の田嶋氏では議論が一方的だろう。

しかしどうだろう? 原発の経済合理性は既に破綻しているという中北氏や、
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2860/trackback

世界市場価格の6倍の値段でシェールガスを輸入している点を指摘しているもろとみ氏などの専門家を入れていない討論は意味が無い。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2908/trackback

さらに問題のコスト計算だが、「原発コストの10.1円以上」のコストには重大事故の際のコストはopen question だし、廃棄物(核のゴミ)の保管コストも入れてない。また他の発電コストは固定された数字か、幅を持ったコストになっているが此処では以上という言葉が入っている。ここに誤摩化しがある。

誤解の無きよう繰り返すが、別に即原発廃炉を主張しているわけではない。「審査に合格すれば、再稼働すべき。ただし新たな原発はつくらない」 ということ。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4004/trackback

一方、こうしたニュースも報じられている
原発事故が起こった場合、複雑な海岸線の集落では孤立する場合がかなりあるらしい。それによれば、原発30キロ以内に孤立集落が2318ケース、20万人との試算らしい。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6161146

何でも完全を求めればどうしてもコストがかかり過ぎるので何処かで手を打たないといけない。建物や道路が耐震から免震に設計思想が変わってきたのも、それが基本にある。 設計寿命が半世紀程度の橋や高速道路を、数百年に1回おこるような大震災に備えて、それでも壊れないを建設するのは明らかにコストがかかり過ぎる。 それよりたとえ壊れても人命は救う、あるいは被害を最小限度に抑えると云う方が合理的というものだ。

しかしこれは原発事故では適応出来ない。原発は一度事故が起これば、放射能の半減期を考えれば数百年、炉心破壊が起これば数千年あるいは数万年単位での被害が予想される。このことは経済産業省のHPにも「こそっと」書いてある。なかなか探すのが難しいが…
http://www.enecho.meti.go.jp/category/electricity_and_gas/nuclear/rw/hlw/hlw01.html

いつも云うことだが、人類が一度も経験したことのない年月、災害を受ける続ける可能性を無視出来る「底抜けの楽観性」はどこから来るのか? 原発必要論者の意見を是非承りたいものだ。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3858/trackback


…いや本当のところは判っている。原発の開発維持の裏には核兵器転用の意思がある。エネルギー大国イランも何故か原発開発にはご執心だ。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4004/trackback

最後にもう1つだけ、
かつて日本の高度成長期に原発は事実上なかった。そして今、大量エネルギー消費型の産業は日本から出て行った。 また、世界を見渡せば原発のない成長期の国も沢山ある。これらの例を考えるだけでも、「原発が資源のない我が国の発展に必須だ」との議論には事実誤認、あるいは「嘘」がある。
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2015/5/25

『ユーラシア草原からのメッセージ』  お勧めの1冊

日曜特番で国会での党首討論のダイジェスト版を見た。ニュースでは聞いていたが、見るところ確かに安倍さんはポツダム宣言を認めていないということらしい。

安倍さんの『戦後レジュームからの脱却』というのはポツダム宣言受諾を認めず、先の大戦は日本の侵略戦争ではなかったということ。それは判っていましたがこれほど明瞭に発言したことはなかったのでは? 

さらに6条の「日本国民を騙して侵略戦争を遂行した日本の当時の指導者(含む安倍氏の爺ちゃん=岸氏)」の罪も否認するわけだが、そうして「時計の針を元に戻す」ということが何を意味するのか、本人は判っているのだろうか??




<特別講義>
人が1日に摂取するカロリーを2400カロリーとすると、時間当たり100カロリー、即ち100ワットの白熱電球と同じエネルギーで生きていることに当る。

また、細胞の電位差は0.2Vであることが判っているので100W=0.2V x XAより、500アンペアの電流を人体は流している計算になる、これは一般家庭の契約電流の10軒分に相当する。注)エネルギーは殆ど電子伝達系で合成されている。

ミトコンドリアの真核細胞への寄生(共生)は20億年くらい前だと推定されている。ミトコンドリアのでは消費される酸素のほぼ5%程度が危険な活性酸素となって漏れ出ていると考えられているが、これが単に危険であるだけなら20億年も寄生(共生)を許しているのか説明がつかない。

ミトコンドリアを体内に抱え込むことで真核細胞は多細胞生物に進化できたという仮説も考えられる。(単細胞生物では細胞の表面に持つが、それだと危険な活性酸素を周りに放出し、隣人とは仲良くなれない?)



『ユーラシア草原からのメッセージ』
副題:遊牧研究の最前線 平凡社、2005年初版

序論で松原氏はもっともはやく家畜化されたのは、ヒツジとヤギだとする。その理由は直接的な祖先にあたる野生種が、ほとんど現存していないからだとする。そして、ヒツジの野生種はアジア・ムフロン種(Ovis orientalis)、ヤギのそれはベゾアール種(Capra aegagrus)とする。p19 農耕は定住性、遊牧は移動性。農耕は環境破壊、遊牧は自然との共生を原則とする。p21

ユーラシアのカスピ海経済協力機構(イラン、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、カザフスタン、ロシアの5カ国) 黒海経済協力圏(トルコ、アルバニア、アゼルバイジャン、アルメニア、ブルガリア、グルジア、ギリシャ、モルドバ、ルーマニア、ロシア、ウクライナの11カ国)が中央アジアの一帯に構築されている。 その中でイランとトルコが主導権争いをしているとも。p26 

この中央アジアを舞台とした相関図の中で中国が進める「一路一帯」構想の意義。そしてその具体的存在である、アジアインフラ銀行(AIIB)をどのように位置付けるか、そのような議論をまだ聞いた事が無い。


<1つのヒント>
トルコ系民族はシベリアからトルコ、ヨーロッパにかけてユーラシア大陸を斜めに走る乾燥地帯に沿って居住し、1億数千万の人口を有している。p27 この存在は大きいのでは?
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2015/5/24

GPA   教育

今年からGPA (Grade Point Average)なるものが導入された。アメリカの成績評価方法のまねごとである。

簡単に説明すれば、成績を4〜0に段階分けして(A=4、B=3, C=2, 再試合格=1、不可=0)これに単位数を懸ける。例えば同じA評価でも単位数が3の負担が大きいものは合計が12になるのに対し、単位1では4となる。そうしてこれらの総和を単位合計数で割る。

<例>
授業科目  単位数X成績=合計
解剖学I    3 x 2 = 6
解剖学II   2 X 2 = 4
組織学   1 X 4 = 4
(合計)   6  14

* 上記の場合、GPA=14/6≒2.33となる。つまり負担の少ない組織学で頑張ってAを取っても平均値はCレベルとなる。それなりに合理的ではあるが、この導入の目的である、全国統一の評価基準にはならないだろう。問題点として、

1)同大学・同学部の中での成績の目安に過ぎない。
2)選択の場合、難しい科目を敬遠する学生が出て来る。
3)大学の成績は基本教員の裁量で決まる。

* すべて必須科目の医歯科獣医系などでは2)の問題はない。しかしその以外の問題点は依然として残る。 


また現実的な問題として拘束時間の長い実習では自動的に単位数が増え、しかもしばしばグループ作業による評価になるので個人別の評価として薄まってしまう。選抜や比較に使うならばやはり座学の試験がよい。

結局、大学内での奨学生選抜程度にしか使えないのではないか? 
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