2016/6/30

『紫禁城史話』4  お勧めの1冊

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世界中の数カ所のバイオ企業への注文を1箇所の入り口からできる時代になりました。クリック1つで10万円もの買い物が簡単にできるのは怖いような(汗)

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『紫禁城史話』4

著者は最後に、

『清朝は征服王朝でありながら、中国伝統の易姓革命思想に依拠しつつ天の負託に応え善政をしくのに努力し、成果を収めたのは事実であるとし、その功績は正当に評価すべきだ』 とする。さらに続けて、

『皇帝たちが特別無能凡庸であったのではないが、これが歴史の法則というものである』とも。p228 

とは云え、私の知る限り、多くの中国人は清朝を評価していない。おそらく漢族としての潜在意識がそうさせるのだと思う。そして清朝時代、中国は外国から侵食を受け半ば植民地となった歴史がある。さらにそれまで朝貢国だと馬鹿にしていた日本が一時占領軍として闊歩していたという事実がある。 そうした屈折した感情を我々も意識しておく必要がある。理由の如何を問わず日本が中国を侵略したことは間違いのないことだから。

付録に著者が北京近郊の清陵訪問見聞録が記されているが、その西陵はそれぞれが南面して陵域の南を易水が流れているとか。p235 この川こそが、かつて荊軻が、

『风萧萧兮易水寒,壮士一去兮不复还』と詠んだ場所だとか。

「風しょうしょうとして易水寒し。壮士ひとたび去って復た還らず」は大昔、高校のとき漢文で習った記憶がある。
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2016/6/29

『紫禁城史話』3  お勧めの1冊

<イタリア、Luccaまでのアクセスを調べる>
3月行く予定の(まだ選ばれるか判らないが)Luccaで開かれる学会行きの手順を調べる。一番簡単なのはPisaのガリレオガリレイ国際空港まで乗り継いで。空港から歩いてピサのセントラル駅まで行く(20分ほど)。 そこからREGに乗り、4駅30分ほどで、Luccaに着くらしい。合計1時間弱。 

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こんなことが簡単に判るような便利な時代になったものだ!


『紫禁城史話』3
銀が流出すると、何が起こるか? 当時銀本位制になっていた清朝では税金は銀で納めることになっていたので人々は普段使用する銅銭を銀に替える。その際銀の交換率が下がれば実質増税になるからだ。p181 当然物価は上昇し経済は混乱する。これが社会不安に拍車をかけ反乱は多発する。そうした中で私兵を集め軍事力を持ち始めた曾国藩や李鴻章などの漢人官僚が後の軍閥となる集団を育成しはじめた。p200

*なお、元は金本位制、明は里甲制。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4392/trackback

「亡国への坂道」の章では西太后の話が中心となる。太平天国(1851〜64)、ロシアのイリ侵入(1871〜81) 、清仏戦争(1884〜5)というように欧米列強が中国およびその周辺に勢力を伸ばし、さらに新興の日本がそれまでの朝貢国であった琉球、朝鮮、さらに台湾をめぐり中国と緊張を高めてきた。結局その後、琉球処分(1872〜79)、日清戦争(1894〜5)による台湾の日本への統治権移譲、朝鮮併合(1910)が起こる。

こうした時系列で見ていくと、中国側からみればこれは日本が欧米列強と同じように中国を蝕んだという理屈になる。しかもその日本といえば前王朝時代、明代は朝貢国。現在、もちろん朝鮮半島は独立国家であり。琉球は沖縄と名前を代えて日本の領土。そして台湾は承知の通りの状況である。こうして中国側からみれば清朝末期は日本に対する屈辱の歴史であった。
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2016/6/28

『紫禁城史話』2  お勧めの1冊

TVで英国のEU離脱の決定について、これを国民投票で決めたことに疑問を表明している人がいた。どうやら「衆愚政治」の見本とでも言いたげな様子。しかしそれは違うだろう?! 個人的には英国のEU離脱は残念なことだと考えるが、民主主義の基本は国民主権であり国民が多数決で決めたのならそれは尊重しないといけない。その決断による全ての責任は国民が負うわけだから。 

ただ、アメリカのトランプ現象しろ、英国のEU離脱にしろ、世界中で政治が内向き志向になっているような印象をうける。おそらく、それぞれの国でグローバル化が進み、それによる社会の「軋み」に多くの国民が不安や不満を感じ、それがこうした流れを生み出しているのではないだろうか? 

ところで、これによる株価の影響だが、面白いことに(笑い話ではないのだが)アメリカのS&P 500より、本家のイギリスのFTSE より、日経指数の方が英国のEU離脱に反応しているようだ。このところ株高だと言われていた日本の株価がこうした外的要因によって一番影響を受けているわけで、株高の実態がここに現れているような気がする。
http://www.economist.com/blogs/graphicdetail/2016/06/daily-chart-17

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『紫禁城史話』2
世宗雍正帝に対する不評の原因を著者は人気取り政策をしなかったからという。p124 
また、世宗はヨーロッパの文物にほとんど興味を示さなかったとか。p156

超真面目な自他ともに厳しい雍正帝らしい。

雍正帝後、高宗乾隆帝の時期になると官僚は官棒によらずほとんど賄賂で生活したとも。p165 これはやはり乾隆帝時代の雰囲気がそうさせたような気がする。それと銀本位経済が活発になり蓄財が容易になったということと無関係ではないような気がするがどうだろう? 専門家の意見を聞きたいところ。

銀本位制に関連して、乾隆帝の時代は「茶」による出超で大量の銀が流入し、これが乾隆時代の繁栄を支えた。ところが後期になると「アヘン」が流入しはじめ、次の皇帝である仁宗時代には逆に銀が流出しはじめたとか。p177 このアヘンが心身ともに中国を蝕んでいく。
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2016/6/27

『紫禁城史話』  お勧めの1冊

日曜TV特番は英国のEU離脱で沸いていた。これだけの混乱が世界中で起こるのは、今回「折り込み済み」といった動きがなかったからだろう。日本も1,000社ほど英国を拠点にした工場を持ち、関税のかからない利点を使いEUに輸出をしようとしているが、EUは今後英国に対して懲罰的条件をつけるだろうから、その目論見が外れることになる。

問題はいろいろな面であらわれるだろうが、例えば世界の金融センターであったロンドンが今後どうなるだろうか? なにしろシティーは1日あたりの外国為替取引量は世界の40.9%。アメリカの18.9%の2倍にも上る。(日本は全体の5.6%) 中国のマスコミも『英国若退出欧盟 伦敦就独立?』とこれを伝えていた。
http://finance.qq.com/original/MissMoney/mm0232.html

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『紫禁城史話』
中国皇帝政治の檜舞台、中公新書1469、寺田隆信著、1999年初版

明から清への王朝交替は伝統的な「易姓革命」の1つと考えられるが、同時にそれまでと全く異なる意味もあった。それは異民族である、夷狄による支配だったことだと著者はいうが、p43 それならば宋から元への王朝交替はどのように当時理解されたのだろうか? というより異民族支配は中国の長い歴史の中では五胡十六国時代の北魏にはじまり、隋唐も純粋に漢民族というよりは異民族的要素が濃い。それなりにあったように思えるのだが?
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3875/trackback

世宗(雍正帝、1722〜35)は諸政の刷新を目指した。その1つが軍機処の設置であり、奏摺政治だとする。

前者はわずか20人程度の部局で何よりも迅速に、かつ機密保持を維持した上で、漢文文書と満文文書が処理されたらしい。乾清門の左手にあり北に上がって養心殿まで100メートルくらいだとか。p113
http://www.y-history.net/appendix/wh0802-016.html
下の地図でようやく発見。
http://photo.xuite.net/tyzzshuhwu/5347891/583.jpg

Google mapもすごいちゃんと探せます。隆宗門のすぐ上(北)。
https://www.google.co.jp/maps/place/隆宗門/@39.9187121,116.3944962,17z/data=!4m5!3m4!1s0x0000000000000000:0x32bf5ab18c5c5939!8m2!3d39.9187121!4d116.3957021

写真もGoogleで発見
https://www.google.co.jp/maps/@39.91896,116.395691,3a,75y,90t/data=!3m8!1e2!3m6!1s42322414!2e1!3e10!6s%2F%2Flh3.googleusercontent.com%2Fproxy%2F2MXxwf5DtqKcTHxlOuXGWInp9ZB5t98cTkAiXk0LVkf9bqZBvyv3SK4y4CHFJ_5QsNfN5_eaPLzn1WfLIW6ph_5BNIaIag%3Dw203-h152!7i3648!8i2736

もう1つの奏摺政治というのは、文官ならば府知事、武官ならば師団長クラスが任地に行き、そこでの実情を直接、皇帝に奏摺を持って報告させたこと。毎日数十通に及び、しかも皇帝自ら返書もしたとか。すごいことだ。その中で公表可能なものを選び出版したのが『雍正硃批諭旨』とか。p115

そのほか、人頭税をやめて地丁銀制度にし、実質減税を行い。 また「火耗」を「養廉銀」に変更し汚職撲滅に効果があったとか。
http://www.npm.gov.tw/exh98/yongzheng/jp01.html

また死後の帝位継承についても自身の辛い経験から、「太子密建(秘密立儲)」制度を定め、世継ぎの実名を記した紙を箱の中に収めて密封し、内廷の乾清宮に掲げられた「正大光明」の扁額の裏に置きその後の清朝で帝位が平穏に継承される先例を作ったとか。

こうしたことを見ていくとこの雍正帝はなかなか名君ではなかったように思うが、後代の評価は皇位継承をめぐり競争相手だった肉親や君臣を次々と粛清ことで評価は分かれているらしい。それについては、「いーちんたん」さんのblogに詳しい。以下の記述1回目をはじめに、
http://blog.goo.ne.jp/yichintang/e/06558cdcfd5fa4aa11ce5bd03fed5330
以下の記述まで22回にわたって詳しく解説されている。
http://blog.goo.ne.jp/yichintang/e/78d9a7a85d8ee7dcc89a81bf46a61561
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2016/6/26

『コサックのロシア』8  お勧めの1冊

イギリスのEU離脱について、「後出しジャンケン」のようなことを吹聴している人がいるが、少なくとも私の知る限り<英国がEUから離脱する>という筋書きで動いていた人はいなかったがどうだろう? 

もし予想していたなら、今頃その人は株で大儲けしているはず。一人ほくそ笑んでいるはず(笑)



『コサックのロシア』8
ソビエト崩壊後、政治や経済の混乱でゆとりがなくなり、政権側はコサックを味方に引き入れたと著者は言う。特にエリツエン政権が1994年にチェチェン共和国に対する第一次チェチェン戦争を始めた時点でコサックの義勇隊が参戦した。p233 それは第二次チェチェン戦争(99年)でも同様。

ソビエト崩壊後、ロシアの軍や国境警備軍は新しく生まれた国境の外にいたが、当時のロシア政権にはこうした軍を呼び戻す余裕がなく、さらに給与の滞納や食料不足で国軍の士気は落ちていた。そこでそれに代わるものとして、コサックの自警団が新たな国境の警備を受け持った。p236  実際、この頃国境は誰でも自由に往来できる状態で武器や麻薬の密輸も野放し状態だったらしい。p251 

93年にはエリツエンの名前でロシアの正規軍、国境警備軍、内務省軍の中にコサック出身者だけで編制するコサック部隊を創設した。p255 こうして、歴史的にコサックは国家権力に刃向かうものとして発生したが、国家拡張時には尖兵として国家権力の手先ともなる存在であった。ソビエト崩壊後にはむしろ後者としてその存在感を示した。p244

ここで重要なことが記載されていた。それはこれまでも「中ソ間での国境確定」として述べたことがあるが、1991年中ソは東部国境線4200キロを確定した。p284 とはいえ、著者によれば今でもロシア人は中国人に対し抗い難い恐怖の念を抱いているらしい。

それはそうだろう。ともに大陸国家、国境線をめぐる争いは宿命みたいなもののはずだ。特にロシアが恐れるのは中国の人口とその旺盛な活動、中ロ国境地帯では、人口の希薄なロシア側に比べ人口も多く、しばしば越境してロシア側での活発な経済活動を見せる中国人に対しロシアが潜在的な脅威を感じているのは理解できる。p284
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2016/6/25

『コサックのロシア』7  お勧めの1冊

<イギリスのEU離脱>
イギリスがEUから離脱を決め、世界の市場が混乱している。リーマンショックの時以上の株価下落だとか。先のG7では <新興国リスク> が叫ばれたが、
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4510/trackback
何てことはない、逆に <先進国リスク> ではないか。

それにしてもEUはヨーロッパの偉大な実験だったと思うが、その結果は散々なものだった。 EUは2012年、ノーベル平和賞を受賞したが、その時私は以下のように述べた。

EU設立は 「ヨーロッパから永遠に戦争を失くす為の壮大な実験」 なのだと、だから矛盾を抱えることを、やがてそれが破綻への道を進むかもしれないことを承知しながらも押し進んだ。 むかしそれが判らず歴史的、文化的背景も違う国までも(東欧や南欧)どんどん参加することで違和感を持った* しかし今はEUの真の目的が判る気がする。
 * 古いヨーロッパの幻想の為なら西欧だけでよかった。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2301/trackback

その矛盾を指摘することは簡単だが、その理想実現の為の努力を笑うことは出来ないと。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2986/trackback


あの時の考えは正しかったのかどうか、もう少し様子をみて判断したい。




『コサックのロシア』7
7章の「甦るコサック」という章が面白かった。コサックがソビエト崩壊時に復興する背景に政治混乱期の中で国家に依存しない治安・秩序維持のボランティア集団として期待が強かったと著者はいう。p201 また政府も正規軍は政治的にも財政的にも身動きができなかったので都合がよかった。p225

歴史的にも帝政ロシアが拡張した版図のほとんどはコサックの祖先が何世紀、何世代にもわたる戦闘により獲得したもの。p203 それだけに尖兵としてのコサックは恨まれた。その拡張された領土である、ウクライナ、カフカス、中央アジアにロシア人が移住させられたが、ソビエトが崩壊し少数民族が独立すると彼らは「よそ者」として差別、迫害される立場に転換した。p204

とりわけコサックはカフカス征服戦争の尖兵の役割を担ったから、先住民族の不倶戴天の敵となった。その中でもチェチェン人は最も手強く抵抗したとか。p220

そろそろ、注目していたことが話題になりそうだ。実はこの本を読み始めた理由の1つが、コサック軍が時々マスコミに登場する「私兵」なのではないかとの疑いを持っていたからだ。クリミアをめぐる内戦にもロシア政府軍とは別にロシア人私兵というのがしばしば登場し、それがウクライナ軍と衝突していた。私兵というとよく分からないが、もしこれがかつてのコサック軍の成れの果てだとするならわかると思っていたからだ。さて、その予想は当たるのか? これは今後の課題。
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2016/6/24

『コサックのロシア』6  お勧めの1冊

<年金制度>
ある試算がある。それによれば、運用利回り1.4%で、賃金上昇率2.5%で2060年、賃金上昇率1%で2038年、賃金上昇なしでは2032年で年金制度は破綻する。仮に中央値の1%上昇率をとり、2038年に制度を破綻させないようにするには保険料の24.5%引き上げか、年金の21%減額のどちらかとのこと。
http://niracms.niradb.jp/pdf/1204summary.pdf

「年金制度を破綻させる」という選択肢がない以上、また保険料の24.5%引き上げは難しいとするなら、年金の2割削減という結論が出るのは当然のこと。覚悟すべき。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4533/trackback

これらはどうなるか判らない未来ではなく、いま此処にある未来である。それを無かったことにするいまの日本の政治は末期のオスマントルコや清朝末期と同様、緩やかな坂道を転がり落ちるような道を辿るは必定。



『コサックのロシア』6
1990年代、ソビエト崩壊後北カフカスでは山岳民とコサックの怨念の戦いが再燃した。その歴史はどうやらカフカス戦争(1817〜64年)に始まるようだ。この戦争でコサックは帝政ロシアの尖兵としてカフカスの山岳民を追い出しにかかり、戦争後も長く両者の争いは続いた。

またこの「カフカスでの怨念」はスターリン時代に山岳民族からの容赦のない制裁をうける理由にもなった。p191 それは結局のところ、コサックの存在は事あるごとに保守反動、帝政復活を伺う危険分子として共産党から疑われたからだ。p192

帝政ロシア末期、コサックは総人口の5%、440万人だったが、2月革命が起こり、コサックは戦争請負人として、「赤いコサック」と「白いコサック」の二手に分かれ革命と反革命で仲間割れしたにもかかわらず。革命成功後は、「赤いコサック」すらも、革命政府から裏切られ、結局その後の迫害・弾圧でコサックの70%が戦死や処刑、流刑死により抹殺されたという。p190

そうした中で、コサックは歌やダンスの文化としてしか生き残れず、海外におけるイメージもそうした牧歌的なものだけになっていたと著者はいう。そう、まさしく日本におけるコサックのイメージとはそのようなものだろう。p194

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2016/6/23

『コサックのロシア』5  お勧めの1冊

日経web版に星野佳路氏が「留学のススメ」と題して寄稿されている。曰く、
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO03125430S6A600C1000000/

『留学してよかったと思うのは、外から日本を見ることができたこと』 そして、同時に、 

『彼ら(留学生同士)に笑われるようなことはしない』 という意識が常にあり、それがその後のリゾート開発の時点でも役に立ったとのこと。 成る程と思い、そしてこれは案外とても重要なポイントであるような気がした。

つまり彼らとのコミュニティーを大切にすることは、プライドを持って彼らと競争して行くことであり。その中でグローバルな人材として世界に認め、認められあう、ということだと思う。

このblogでも時々『矜持』という言葉をよく使うが、まさしくこのプライドのことだ。『矜持』は限られたコミュニティーの中だけで通用する、「低レベルの独りよがり」でなく、世界中の人から認められるもの。またそうでなければ持つ意味もない。

私も学部1年生に教科以外の特別講義を1コマ任せられているが、その中で研究センターの紹介の最後に、

『大学院に進む機会があれば是非海外留学に挑戦してもらいたい』 と述べている。

そしてそれに続けて、『留学するならどこでもいいのではなく、世界最先端の所へ行くこと。そうすれば、世界観が変わります』 と、 そして最後に、

『同じ3階のフロアーに3人のノーベル賞受賞者がいるようなところを想像してもらいたい』と付け加えている。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3674/trackback



『コサックのロシア』5
1773〜75年にかけて、プガチョフの乱というドン・コサックによる反乱が起こる。この乱はウラル川を遡るように、オレンブルグ(1773年)、エカテリンブルグと落としていくが、この2つの都市の名前はドイツ的。もしかすると12世紀末に始まるドイツ人の東方植民により拓かれた都市かもしれないと思い調べてみたがとてもあの時代ここまで植民が進んだとは思えない。p140
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/416/trackback
それならば何故、「ブルグ=要塞」という語尾がつくのか? もしかすると、プロイセンの科学者の支援により要塞化がなされたのかもしれない。これは今後の課題。いずれにせよ、この乱は「農民とコサックの共和国」という一種のユートピア幻想だったとする。p142

最後に著者は、クリミア半島はウクライナ人とロシア人、それに先住民族のタタール人の三つ巴でクリミア領有の正当性をめぐり争っているとする。p146 そう、そして現在、彼ら同士はまさに領有をめぐり内戦状態にあるわけだ。最後に著者は、絢爛たる帝政ロシアは農奴とコサックという戦争奴隷の2つの奴隷制度に支えられたと言う。p149
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2016/6/22

池田氏の今後の対応次第  試行,指向,志向、思考

いつも参考にしているが、意見に同意できない人としていつも挙げているアゴラの池田氏。
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昨日東電の広瀬直己社長が「当時、核燃料が溶けている可能性が高いとすでに認識していたのに、社長の指示で「炉心溶融」との言葉を避けたことを隠蔽と認め、「今後は事実を伝える姿勢を貫く」と語ったことに対してどのような反応を示すのか、注目したい。

池田氏は以下のblogで「メルトダウンを起こしたとツイートした人を『嘘つきジャーナリスト』と読んだ。彼の今後の対応次第で今後も参考にすべきジャーナリストかどうか判断したい。
http://agora-web.jp/archives/1671528.html
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もっともピケティーの本を読んで以来、私の彼を見る目が厳しくなっていることは事実だが(笑)
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追伸:もっとも「厳しくなった」のは別に彼だけではない。
http://blue.ap.teacup.com/salsa2001/4441.html
http://blue.ap.teacup.com/salsa2001/4434.html
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2016/6/22

『コサックのロシア』4  お勧めの1冊

梅雨に本格的に入ったのか、培養室の結露がすごい。無菌室では結露が汚染の元になるので自動運転からドライに切り替えた。本来ならば自動で済むはずだが部屋の大きさなどで感知できないのかもしれない。もっともすでに建設して20年程経つらしい。機械そのものの機能が落ちているのかもしれない。


『コサックのロシア』4
ここで農民反乱を率いた、伝説のステンカ・ラージン(本名ステパン・ラージン、ステンカは愛称)の話は出てくる。この本を読むまで、てっきり「ステン・カラージン」と思っていた(汗) 

彼はコサックのはみ出し者だが農奴制の廃止や腐敗貴族や役人の打倒を掲げ農民や貧民の反乱軍を率いた。最後は政府軍に処刑されるも、後々まで伝説のコサックとして伝えられる。

著者は最後のあとがきで「ロシアをロシア的たらしめているものはその広大な空間だ」という。p291

そしてそれを守るため、国家と距離を置きつつもその拡張の尖兵となって戦ったのがコサックであり、そのロシアの血を強く引く集団は今でも存在すると著者はいう。それが新ロシアの中で復活しはじめたとも。この集団は新ロシアにあって、周辺の旧ソビエト諸国の民族紛争に介入する可能性を著者はここで指摘しているが、この本が書かれたのが2000年。もちろん現在のクリミア内戦の前である。しかしその前兆を著者は予言していたような気がする。

クリミアはもともと汗国の伝統を持ち、タタール系住民の地だと思うが、そこに多くのロシア系住民が移住してきたことが現在の内戦の原因だと聞いている。彼らロシア系住民の中にもしかしたらこのコサック的血が流れているのかもしれない。

最後に著者はソビエト崩壊後の新生ロシアが欧米型の民主主義国家の道をたどるものと期待されているかもしれないが、歴史と地政学的条件を見る限りユーラシア大陸国家として過去の伝統から離れることはないと断定している。p293

またその意味では同じユーラシア大陸国家である中国も可能性が高い。ただし、現在の中国はロシアと中央アジア諸国との間で国境問題を解決し、いまはその視線の先には東に向き太平洋、即ち東シナ海と南シナ海がある。大陸国家であった中国が果たして大洋国家として成功するかどうかは疑問があるが。今後の動きは目が離せないというところだろう。
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