2020/1/3

『実践行動経済学』予告編 & 準公務員としての立場に感謝  試行,指向,志向、思考

『実践行動経済学』予告編
今日も今日とてスタバで読書三昧、web三昧.

相変わらず『実践行動経済学』を読み続けている。1週間も持たない、と最初思っていたが、とんでもない。なかなか進まない。最初の100ページは以前に読んだことの繰り返しで「つまらない」と早合点したが、そのあとの100ページが大変! これは別に「つまらない」とか「難解」という意味ではない。どれだけ自分が各章を理解して読んだか自信がないという意味だ。

GDPや税率、金利、所得などの経時的変化などが図や表になっていて、そこから著者の結論が追跡できていたこれまでの本と異なり(<このタイプ好き!)、多くの逸話が語られる。そこからヒューマン(ホモ・エコノミクスではなく)の経済的インセンティブやナッジが語られるわけだが、読み流す分には分かったつもりになっているが、果たしてどれだけ理解しているのか、振り返ると自信がない。そんなこんなで、1つ感じたことを「予告編」として今日のblogテーマとする。



『実践行動経済学』の第2部は最近アメリカで(そして今、日本でも)主流になりつつある確定拠出型年金制度が話題になっている。結論から言えばこの制度で年金を受け取っているアメリカ人の多く(7割)が今、低年金で苦しんでいる。これはアカロフの『不道徳な見えざる手』の中で、

『制度を支えることが難しく』
『なんの保証もない』
『匙を投げた』
『不道徳な手』
と云う言葉で表現される制度のことだ。
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しかし、それにも関わらず、この制度は日本でも今後、普及するだろう。それは『人生100年時代』と関係する。これまでのように1つの職場に、否、それどころか1つの業種に一生務めることができない時代。ポータブル(持ち運び可能=自由に転職が可能)なのは必要。しかし労働者はこの確定拠出型年金制度を選んだ以上、常にベストな条件を自分で決める必要がある。

どれだけ、どの投資(債権か株式か)に掛けるかなど、ポートフォリオを自分で決めないといけない。すべて自己責任となる。この2部ではその事態にどのような公的手助けが可能かを行動経済学の観点から語る。例えば自動的で簡単な条件設定を組むとか… ただし、現実には「後から不利益なデフォルト設定を用意した」ことで訴訟沙汰にならぬよう現在では「比較的安全だが儲の少ない(事実上儲ゼロ)デフォルト設定」に流れる傾向があるとか。

漠然とした言い方だが、四半世紀以上を準公務員(国立大教員)として、残りの10年以上を私立大学の教員として、半ば「ノホホン」と過ごし、年金などは全く頭の片隅にもなかった。それでも共済組合員として今は年金生活者になり、多くはないが、それなりの生活が出来ているのを感謝した次第。もし、これからの人のように自分で年金設計をしろと言われてもただ戸惑うばかりだろう。



「ミャオ族 山頂に響く、魂の歌」
いつものことながらHNKのドキュメントは質が高い。良い番組だった。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92393/2393182/index.html?c=housou

「夜郎自大」といえばこれまでネガティヴに受け取ることが多かった。
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これは漢族である司馬遷の視点からの記述だから当然だろう。しかし、苗族の悲劇の歴史を知るとまた別の意識も生まれる。
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