2020/10/10

『玄奘三蔵』  お勧めの1冊

<数値目標>
运动;爬山散步 4.2km,6085步,9楼。



<国勢調査>
今日も勉強する気力なしで、午前中からネットでの国勢調査の回答状況の確認作業と、それを元にした役場での打ち合わせに半日費やす。最終確認では75%程度の回答率で先日とあまり変わりない(5日現在で7割)やはり9割には届かなかった。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6320/trackback

まだ16日まで待機が必要だが、今の段階で回答がないのは今後もない可能性が高い。回答が済んでない世帯に再度回答のお願い=催促が必要。それと1軒だけ聞き取り情報とネット回答の内容に齟齬が確認された。再度確認作業が必要とのことで面倒なこと! 

役場の係員も慣れないことなので非常に要領が悪いが、これは5年ぶりの作業なので仕方ないか?  ただし担当の人によれば、予めこちらの方で回答状況をネットで確認してリストに記入していたので役場での記入作業が省けて確認だけだったので非常に早い方だとか。国勢調査に駆り出されている人は年配の男性ばかり。それはそうだろう、平日の昼間に勤め人だと動けない。ネットでの作業が苦手な人は多いはず。帰りに役場から災害時放出用の缶詰を三個もらう。 これは酒の肴になる♪

役場から自宅に戻ってきても勉強する気になれず、今日もサボりで庭で読書三昧、ネットサーフィン三昧の1日。

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『玄奘三蔵』
慧立・彦悰著、講談社学術文庫。

最初に長澤氏(訳者)による長い解説を読む。それによれば、著者の慧立と彦悰は玄奘の弟子で、慧立はこの元になる『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』の前半部分を書いた人物。ところが慧立はそれを完成後、何故か土中に埋めて、死ぬ直前に(太宗の死後でもある)掘り出させて後を託したらしい。実際に掘り出されたのは慧立の死後という。p311こうした彼の行為も大きな「謎」の1つに挙げられている。

今回読む本はその不思議な経緯をもつ『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』の全10巻の前半部分の訳であり、後半は帰国後、仏典の翻訳の過程について書かれているらしい。p298この前半部分が玄奘の西域・インド旅行記にあたり、その部分を担当したのが慧立。それに対し後半部分は慧立の死後、担当した彦悰が書いたとの説が有力らしい。p311 いずれにせよ前半部分こそ興味のある部分。

訳者によれば『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』を書く際には、玄奘の旅に関する十分正確な情報が慧立に伝えられなかったとする。それは『大唐西域記』の編者の一人で、その「赞」まで書いたかの弁機(弁机)がその本の中で「行」とした国は実際に訪問した国で、「至」とした国は伝聞だとするが、この本ではそれが区別されていないことから推察されるとも。p287

また帰国時には後ろ盾のインドの支配者、戒日王が南海路を薦められたにもかかわらず再度、西域路をとったという。このことから、既にこの時代に南海路の方が整備され安全と理解されていたことがわかる。実際南海路はそれ以前のインド行きをした僧が帰路にとったコースでもある。p294

なお玄奘が持ち帰った仏典や仏像は馬22頭分の量があったとか。p297 彼が翻訳した仏典は他の例えば鳩摩羅汁とかに比べうると部数は少ないが巻(量)は圧倒的に多い。つまり、翻訳した仏典それぞれのボリュームが大きいということ。

例)鳩摩羅汁は73部、384巻、 不空は111部、143巻 それに対し、玄奘は74部、1338巻(西域記を除く)鳩摩羅汁とほぼ仏典の数は同じだが量が3.5倍ある。不空の9倍以上ある。

巻末に玄奘の旅の地図が載せられていて、これを適宜参考にして読み進めていった。なお著者によれば、南インドを周遊したようになっているが、カーンチプラ以降は実際に旅したとは考えにくいこと。またカシミールからマガダ国までのギザギザの旅行路は実際には往復路で直線的に移動したのではないかと推察できるとか。p290

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