2021/9/2

郷土史探訪2 & 『イスタンブール』7  お勧めの1冊

<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
黒曜石リーグ 〜時間4 +20XP,36277XP,十五分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=NYwFD0jP_Ks&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=5
HSK2 #3〜HSK3 #5 背了三十八分钟单词。

https://www.youtube.com/watch?v=Z796qUmItSQ&list=PLrlwIJ5o0QFih1_09vLSwFuN1i5bcd6EH&index=84
Kazu Shanghai Life。#39,三十四分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=rTfS-Y9OibQ
李ちゃん、D52,听写和背了六分钟句子。一共一个小时三十三分钟。

絶不調。今日はここまでで遊び倒そう。土曜追加学習決定(涙)

运动;爬山散步 6.1km,9456步,16楼。
運動は目標以上に達成♪



<郷土史探訪>
今日は午後から先日から気になっていた、旧勝田線の廃駅探しを行う。下宇美駅跡は簡単に見つかる。高速とクロスする場所の東、数百メートルの位置。30年毎日のようにその前を車で通っていたが、こんなところに駅跡があるなど知らなかった。

クリックすると元のサイズで表示します



そこで1つ疑問がでた。先日の地図によれば宇美線と勝田線は現在の岡部病院(此処は実は今通院している病院)のところで交差していることになっている。道路ならいざ知らず、鉄道の場合は水平交差は無理。多分当時は陸橋か何かで交差していたはず。勿論今は道路や高速道路もできているので当時の状態は確認出来ないが、地形は簡単には変わらないはずなので、その点から調べてみることにした。こうした地形はGoogle mapでは無理。それで国土地理院のサイトで3Dツールで立体的に調べた。場所は此処。
http://maps.gsi.go.jp/#16/33.574564/130.514810/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

とにかくこのツールが凄い、右上のツールの「3D」を使い、上下方向を5倍くらいにして立体化するとこの地区の様子がよく判る。早速、現地調査で陸橋があったと思われる場所を調べてみたが、よく解らず。但しいつも行く図書館や先の病院を結ぶ高台に鉄道は通じていたはず。そういう視点で見ると、成る程その位置に石垣とコンクリートの壁が存在する。多分この高台の線を勝田線は走り、それから段々宇美神社の奥の院の前を通り段々高度を下げながら下宇美駅跡に続いていたものと推察できる。

3Dの中央の黒い線に昔鉄道が通っていたと思われる。かなり急な坂だが、石炭を満載した車両は志免の町の方向に、つまり図中右から左に行くはずなので下坂、問題はなかったはず。逆方向は精々人とか日用品程度。重くはなかったはず。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

図3

駅跡からは平地で志免町の有名な炭鉱跡地に続く。その線路跡が散歩路になってずっと続いている。鉄道が通っていたにしては狭い感じもするが、昔の石炭鉄道車両の幅はそれほど広くなかったはずだし、両側の木も廃線になってから時間が経つので大きく育ったのだろう。この散歩路は志免まで10キロ続くらしい。つまりいつも行くモールの近所まで。確かにこそに勝田線駅跡が点々と存在する。

クリックすると元のサイズで表示します




なお残る疑問がある。何故下宇美駅跡から鉄道が二線に別れ、1つは宇美駅の延長上の勝田駅跡に伸びる線と、「A立て坑」を経由して「わざわざ山越え」までして勝田駅跡に伸びる東がわの線路を作ったのかという疑問。地図はこちら。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6667/trackback

勿論、「A立て坑」からの石炭の積み出しに必要なのは判るが、それならば「A立て坑」を終点にすれば良い。勝田駅跡には井野川沿いに伸びる線があるのだから不必要。しかもこの東側の路線は山越え。

可能性として、
1) 先の地図は昭和25年代に残っている坑口だけを記載したもので、その前の大正時代には東側に坑口があったのかもしれない。
2) もう1つの可能性として、この探索のきっかけとなった炭鉱団地の存在がある。東側の斜面にもし沢山の団地が有り、そこから毎日鉱夫が通勤していたとするなら、この東側の路線はまさしく通勤路線となるだろう。

2)の仮説が可能性としては高いと思うが、これは今後郷土史の文献検索で立証可能な仮説。今後の問題としたい。


さて其れはともかく、此処に来られる方で自分の自宅の地形がどうなっているか興味がある人は国土地理院のHPで試してみてはどうでしょう? 凄いです! いろいろわかります。お勧めのサイト。





『イスタンブール』7
玄奘三蔵はフェルガナの項では、ごくあっさりと「羊や馬に適している」としか書いてないと著者は述べているが、ここは戦略的に重要な地帯、あえて書かなかったとするのが正しい。p218

そのことを陳舜臣氏が知らなかったとは思えないのだが?それともこうしたことは最近の研究の成果か?

後漢のはじめ頃、ベトナムを平定した伏波将軍なる馬援が夥しい銅鼓を持ち帰ったらしい。今でも多数出土するらしい。p219

考えてみるとベトナムも朝鮮同様、かつては中国文化を受け入れ漢字も使っていた国だが両国ともその漢字を捨てた。そのことは長い目で見れば大きな損失だと思うが、現在の朝鮮人やベトナム人はどう考えているのだろう? 

日本は島国の分、政治的にも軍事的にも、さらに文化的にも独立が容易だった分、中国文化を受け継いでいるだけでなく、大陸で戦火によって失われた文化財を多数残している国でもある。

6世紀頃、北魏の都、洛陽の様子を描いた『洛陽伽藍記』という本があるが、この頃、あの白馬寺が、最初の仏教寺院が建立されたらしい。p234 あの本はこれまでも何度も出て来た本だが、まだ読んだことがない。どこかの図書館にないか一度調べてみよう。


…それにしても、洛陽にも行きたいな〜

西安、かつての長安には去年行くつもりで、コロナにより航空便がキャンセルになり、それから今まで予定すら立たない状況が続いている。いつになったら以前のように海外旅行が可能になるのか? 下手すると中国はこのまま世界からデカップリングされる可能性もある。コロナフリーの国が、汚染国から締め出されるという不思議な国際情勢。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ