2007/1/21

『西洋中世史料集』  お勧めの1冊

「農村と農民の章」で13世紀のこんな記述があった。

『私がマルクヴァルトとハルトマンに、ケスリンという名の都市を、以下の条件で所有するべく与えたことを、現在と将来の人々に知らせる。私はこの都市に100マンス・スの農地を与え、そのうち30マンス・スをこれらの植民請負人およびその相続人たちに、あらゆる自由とともに永遠に所有すべく与えた。』(以下具体的、かつ細々と様々な権利、例えば、水車建設権、漁業権等が記載される。1266年5月23日付け)

これは12世紀後半から盛んになる「東方植民」の関連するある特許状についての記録であるが、これから判ることは、1マンスは1家族を扶養出来るだけの農地であるから、この2人の植民請負人が引き連れた自由農民の家族数は約70家族、1家族の家族数が当時の修道院などの記録から(『中世の生活文化誌』『中世の生活文化誌』より)
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4.5人とすると全体で315人となるが、新たな植民地へは多分子供のいない若いカップルが多かっただろうから、この数字は減るだろう。 事実、東方植民の一面を描いたかもしれないとされる『ハーメルンの笛ふき男』の場合、男について行ったのは確かに子供の設定でしたよね。 

それから植民請負人に与えられた30マンス・スの農地はもしかすると自由農民に委託開墾されたかもしれない。 いろいろ考えるとこの植民の集団の数は最低の見積りで72家族、最大では100家族程度となる。 多分全体では200人程度の集団ではないか? だとすと、2人の植民請負人がそれぞれ監督する家族は50〜35家族、可能な範囲ですね。 

こんな風に、断片的記録から当時の庶民の生活を再現させる試みは「科学」であると同時に「推理小説」でもありとても面白い。 研究の醍醐味は歴史学も分子生物学もかわるところはない。

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