2016/3/5

『中国の歴史09』8  お勧めの1冊

<産業別有給休暇消化率>
事務から産業別有給消化率と職場におけるそれの比較表が送られてきた。

クリックすると元のサイズで表示します

この資料をみると、大体何処でも年18日の有給休暇が付与されているが産業別にみるとその消化率には大きな差が有る。一番取得率が高いのは「電気・ガス・水道」などの社会インフラ部門。つまり競争のない産業で70%程度。それに対し、低いのは宿泊業、飲食サービス業で、32%。ここは「ブラック企業」の多い業界で社会インフラ部門の約半分。こうして数字にするとよくわかりますね。

男女別では意外と差がなく、やや女性が多い程度(男性45%、女性53%)。また企業規模で比較すると中小の43%から大企業の52%とだんだん規模が大きくなるに従い増えてくるがこれは予想通り。

さて、この表には当職場の消化率も出ているが、その数字は18%以下。宿泊業、飲食サービス業のこれまた半分程度。この業界もブラック?  もっともこれは表に出ている数字で、教育・研究者は普通土曜祭日も出てくることが多い。実態はさらに酷い?(笑)



『中国の歴史09』8
5章の「商業の時代」で新安商人のことが書かれていた。この新安とは杭州の钱塘江〜富春江〜新安江となった川が徽州に達したところ。この富春江の上流地出身の商人。p185
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3364/trackback

モンゴル帝国は金による交易システムで政権を維持した。明はこれを里甲制に基づいた「戸」制度に替え貨幣経済をできるだけ廃し、またそれ故に交易は低下した。しかし100年後、ユーラシアの東西で新たな流れが生まれ始めた。しかもこの流れはともに海を舞台にしたものだった。西の「大航海時代」と東の「海洋商人」に時代である。p210

東西で商品として重宝されたのが「胡椒」。これがいかに高価なもので、稼ぎの大きいものであるかは以下の資料でわかる。1キンタル(50.8kg)の胡椒が1506年のリスボンでは22クルザードで取引され、東南アジアではそれが6.07クルザードで入手された。利益率はなんと262%。
しかしこれをより近くの中国に持っていけば3倍になる。より簡単に、しかも少しだけだがより高く売れる。p211 これによりポルトガル人は目を西から東に向ける。

しかし、明朝は基本、朝貢しか認めない。ではどうするか? そこに「互市システム」というのがでてきた。つまり、中国以外で、例えばマニラであるいはアユタヤなどの東南アジアで中国船と日本あるいは中国船とポルトガル船が交易する。東南アジアでの交易には明朝は手を出せない。p252

いずれにせよ、今や大量の銀を必要とした。そこに日本の石見鉱山と銀と、水銀アマルガム法で一度掘りつくされたとして不況のどん底にあったところから蘇ったポトシの銀が流れ込んだ。p255

<データーベース>
インド原産の綿が東(中国)に伝わった時、その綿は最初観賞用で繊維が太く、厚手の生地に適した。一方、西に伝わった繊維が長く薄手の生地に適した。p238
0



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ