2016/1/17 20:42
21年目の朝 阪神淡路大震災
やはり、今年も目覚めてしまった・・・・
どんなに疲れていても、どんなに夜更かししても_
この日のこの時間がくると_必ず目が覚める・・・・
寝る前に、拓クンが言ってくれた_
あの時間、俺も必ず起きるから_安心しろ_って・・・
それなのに_爆睡?

でも、ちゃんと腕枕していてくれた_
寝顔を見ていると、笑みすらうかんだ
彼の耳元にそっと顔をよせ_呟いた
あ・り・が・と・う
2
どんなに疲れていても、どんなに夜更かししても_
この日のこの時間がくると_必ず目が覚める・・・・
寝る前に、拓クンが言ってくれた_
あの時間、俺も必ず起きるから_安心しろ_って・・・
それなのに_爆睡?

でも、ちゃんと腕枕していてくれた_
寝顔を見ていると、笑みすらうかんだ
彼の耳元にそっと顔をよせ_呟いた
あ・り・が・と・う

2015/1/17 22:58
おばあちゃん 阪神淡路大震災

震災から20年経ちました
祖母が亡くなってからも20年になります
この話をするとみんなこう言います_
『震災でお亡くなりになったの?』
祖母は震災の年の秋にフランスで帰らぬ人となりました
看取ったのは父だけ_
小学校入学をきっかけに母と日本に帰ってきた私
(実際には生まれて初めて日本の地を踏んだわけですが)
祖母は父とともにフランスに残りました
息子を一人残すのは心配だから?
父は言います_『ピアノの生徒と別れるのが嫌だったからだよ!』_って
真意(どっちの理由が強かったのか)は_今となっては解かりません
震災のとき、父は休暇でたまたま帰国していました
一緒に帰るつもりでいた父に祖母は言いました
『もう、歳だからね_そうそう飛行機に長時間乗るのはしんどいわ』
『今度帰るのは、この地を離れるときやね』
そんな折、起こった震災
私の状況を知った祖母はショックだったようです
『女の子が顔に傷を残すなんて!_こんなことなら無理してでも帰ればよかった_』
何度も繰り返し言っていたそうです
去年、祖母の若いころの写真がでてきました
穏やかな表情でピアノを弾く祖母
祖母が亡くなったのは私のせいだ_そんな私のトラウマを否定するかのように
また、一つ階段をのぼったような気がしました
ピアノを教えてくれたとき、祖母がよく言っていたことを思い出します
『凄い演奏だった_って言われるより、いい演奏だった_って言われるようになりなさい』
合掌

2014/1/17 22:19
19年_思いを語りき 阪神淡路大震災
あれから19年_
長き年月にあの惨事も、他のニュースに流され気味のような気もする
震災後、学校が再開したとき_空いていた席がひとつ・・・
あのとき、わたしの頭があと5センチ左にあったら
わたしのこの机も_主のないものになっていたのかもしれない
19年もたってふっとそんなことを思い起こした
今日_あいつに話した
傷を負ったこと
その傷がのこったこと
そしてその傷がもとで心が傷つけられたことも・・・
あいつが言った
>結さん_本当は前髪あげてるほうが好きなんとちゃう?
>俺の前では無理せんでもええんやで_
泣いてしまった_なぜかすごく泣いてしまった・・・

寄り添ったとき_あのときの父と同じ匂い・・・
あいつへの思いの理由がまたひとつ解かった気がした

2013/1/17 22:12
18年前の記憶 阪神淡路大震災

神戸市の震災未経験者が4割を超えた
不安だったけど_涙は流れなかった
傷は疼いたけど_涙は流れなかった
父のぬくもりの方が_大きかった
トラウマにならなかったのは
このぬくもりがあったからなのかもしれない
わたしはまだまだ幸運だったと思えたからなのかもしれない
合掌・・・

2012/1/17 21:34
前を見て_ 阪神淡路大震災

前髪をおろさなくても
ファンデーションでほとんど_
傷はかくせるようになった
それでも・・・・
瞳にやきついた_あの映像を消すことは
今だに_できない・・・・
_できるのは
_前を見て、進んでいくこと
ただ_それだけのこと
失われた多くの魂に
合掌

2011/1/17 0:54
あれから_16年・・・・ 阪神淡路大震災

悪魔の瞬間・・・
また今日という日がやってた_
激しい揺れ_額をかすめた本棚・・・・
残った傷跡 (記事270参照)
結局、家は倒壊こそ免れたが、住める状態ではなくなり_新居完成までの
仮設暮らし_約一年
中学のとき、前髪が長すぎると_呼び出された職員室
だまって前髪をかきあげ_風紀の先生をにらみつけた
職員室に走った_静寂・・・・
『震災のときの・・・・失礼します!』
涙がこらえられず_飛び出した職員室
あとで謝りに来た先生_
『いえ、いいんです・・・わたしより不幸な人_もっといっぱいいるだろうから・・・』
そのときは心底_そう思った
こんなことくらいで_悔しがってちゃいけないんだ_と
高校のとき_その人に出会った
震災で両親を亡くし、親戚にひきとられたという
その彼女の結婚披露宴に昨日出席した_あえて震災の前日の式
ご両親の亡くなった日をあえて門出にしたかったという
さすがに命日に挙げるのはちょっと_ということで前日の挙式
・・・・・うまくまとめられないので_わたしのスピーチをそのまま列記します
_本日は、新郎新婦ご両人様、そしてご家族、ご親戚のみなさまに心からお祝い申し上げます
_私、新婦○○エリさんの高校からの友人の△△結と申します
_・・・・また一人、先を越されてしまい_少なからず焦っております・・・・
<笑>
_挙式を今日にしたいきさつを聞いて・・・ほんと、エリさんらしいと思いました
_決して幸せばかりだったとはいえない境遇を・・・
あっ!おじさん、おばさん_ごめんなさい・・・・
<首を横にフルおじさん_少し笑>
_まあ、そんな過去をもろともせず・・・いえ、それどころか_
こんな温々と暮らしてきた私のほうが勇気づけられてばかりでした
_高校のとき、学際でクラスのテーマを震災にしょう!って言ったときはすごい!って思いました
_そのとき私たちで作った詩があります・・・・ここで朗読させていただきます
辛いときもあるさ
悲しいときもあるさ
生きているからね
でもね
生きてないと
楽しいことも
嬉しいことも
味わえないんだよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・みつお ←ウソ
<泣&笑>
_今まさに、その生きていないと味わえない瞬間に私たちがいます
_ほんとにありがとう!
_それと新郎の□□さん、あなたは幸せものですよ
_彼女は高校時代、校内で2番目に可愛いおんなのこだったんですから・・・・
<1番はだれや〜 ←他の友人からつっこみ>
_え〜 それは〜・・・・△△結という方です^^ ←激嘘
<爆笑>
_なにはともあれ、言う必要もないと思いますが・・・お幸せに!
_それでは、お二人の門出を祝して一曲余興で弾かせていただきます

Wedding_March
毎年暗い気持ちになるこの日ですが・・・・
今年はちょっと素敵な一年になりそうです
エミ_ありがとう

2010/1/17 23:46
震災 阪神淡路大震災
ベッドの上ではねあげられ目が覚めた
そして横揺れ・・・・
近づいてくる本箱_
反射的に体をひねってかろうじて直撃は免れた・・・・
ベットの上に座り込み成す術もなく_何十分にも感じられた約2分の空白
まぶたの上を_そして頬を伝わる熱い感触
暗くてそれがなにかわからない・・・

飛び込んできた父は_しばらく立ち尽くした
つづいて飛び込んできた母の悲鳴
本棚の角は_わたしの額の肉を削りとっていた
その日できたのは応急処置のみで、縫合できたのは3日後だった
あれから15年
前髪をあげることは無くなったけど_明るく生きてこれたと思う
もっと、もっと_不幸な人たちのことを思うと・・・・
いわれの無い不幸にあったと思うより
生きていられた幸福に_感謝しようと思ったから
だから_これからの人生もきっと明るく生きていこうと・・・・
多くの犠牲者の方々の魂に_黙祷
コメント続きに
8
そして横揺れ・・・・
近づいてくる本箱_
反射的に体をひねってかろうじて直撃は免れた・・・・
ベットの上に座り込み成す術もなく_何十分にも感じられた約2分の空白
まぶたの上を_そして頬を伝わる熱い感触
暗くてそれがなにかわからない・・・

飛び込んできた父は_しばらく立ち尽くした
つづいて飛び込んできた母の悲鳴
本棚の角は_わたしの額の肉を削りとっていた
その日できたのは応急処置のみで、縫合できたのは3日後だった
あれから15年
前髪をあげることは無くなったけど_明るく生きてこれたと思う
もっと、もっと_不幸な人たちのことを思うと・・・・
いわれの無い不幸にあったと思うより
生きていられた幸福に_感謝しようと思ったから
だから_これからの人生もきっと明るく生きていこうと・・・・
多くの犠牲者の方々の魂に_黙祷
コメント続きに

タグ: 阪神大震災
2009/1/17 3:58
前髪をあげないわけ・・・ 阪神淡路大震災
今日は あの『震災』から14年・・・・
眠っていた わたしの頭をかすめた 本棚の角
ぱっくりっとひらいた額
とりみだす母
電話をかけまくる父
結局 ちゃんとした治療をうけられたのは3日後のこと
残った傷跡・・・・
前髪を短く切ることのなくなったわたし・・・
14年たって 傷跡も忌まわしい記憶も薄れてはきたけれど・・・
毎年、この日だけは
傷が疼く気がする
『あの悲劇を忘れるな』と
『あのとき失われたたくさんの命を忘れるな』 と
0
眠っていた わたしの頭をかすめた 本棚の角
ぱっくりっとひらいた額
とりみだす母
電話をかけまくる父
結局 ちゃんとした治療をうけられたのは3日後のこと
残った傷跡・・・・
前髪を短く切ることのなくなったわたし・・・
14年たって 傷跡も忌まわしい記憶も薄れてはきたけれど・・・
毎年、この日だけは
傷が疼く気がする
『あの悲劇を忘れるな』と
『あのとき失われたたくさんの命を忘れるな』 と


タグ: 阪神大震災