2011/9/8

ある夏山の遭難  登山

ある 遭難

その青年は青っぽい上着と野球帽、それに小さなこれも青っぽいザックを背に急ぎ足で樹林帯を登ってきた。相当頑張ったのだろう、顔が紅潮、汗が玉になってほほを伝っていた。「若いなあ、元気だなあ」と、我が高齢者パ−ティとついつい比べてしまう。山での挨拶「こんにちは!」を交しただけで荒れた登山道をすれ違った。彼に関する記憶はそれだけだ。
場所は赤牛岳から北に稜線を奥黒部ヒュッテに下る読売新道の2300mから2200mあたり、時は2011年8月28日、13時前後であろう。高山帯から樹林帯に入ってしばらく下ったあたり、道がうねっていてまだ樹木も背丈が低いあたりだった。GPSのデータと写真、それにあいまいな記憶を総合しての推定場所と時間である。

下山後の9月4日、富山県警から電話が入った。「軽装の若い登山者と会わなかったか、会ったとしたらいつどこで、その人の特長は?」と言う質問だった。奥黒部ヒュッテから登って行きそのまま行方不明だという。彼に出会ってから一週間経過している。おそらく帰宅しない彼を心配した家族か親しい人からの届出により失踪が明らかになったのだろう。彼はどこに行ったのか、杳として知れず。

我がパ−ティは80歳の大先輩を筆頭に60歳代2人、50歳代1人の4人パ−ティ。登山はそろそろ終章に入り、登り残した山を目標としつつある。今回は長老の発案で赤牛岳が選ばれた。同行の3人も登り残している山だったのでモチベ-ションも高く山行が実現した。有峰湖、折立から太郎平、薬師沢、雲ノ平、祖父岳、水晶岳を経由して3日目に念願の赤牛岳登頂となった。
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赤牛岳を背にして読売新道を黒部湖へ下る
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2010/8/12

富士山  登山

2010年7月17日、梅雨が劇的に明けた。海の日を中心に南アルプスの悪沢岳(東岳3141m)の登山を計画していたが、参加者も含めて周りの人達皆が梅雨は明けないと予測していたようだ。前線の動きを毎日確認していると、ひょっとして明けるぞ、と思いつつ17日を待った。
 梅雨は劇的に明けた。18日、椹島から千枚小屋に登ると今まで雲に包まれて姿を現さなかった富士山がくっきりと姿を現した。雨に洗われた大気が澄み切って日本国全ての山々が見渡せるような快晴がやってきた。昨年はチベットの自然に感動したが、今年は「日本の山もいい」と思わせてくれた。悪沢の頂上からの眺めは長い登山経験の中でも十指に入るすばらしい光景だった。
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朝焼けの富士
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悪沢岳頂上から北岳方面を見る
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2010/2/15

ロプチン峰6805m初登頂  登山

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カンリガルポ山群(崗日嘎布山群)はヒマラヤの東、ツァンポ−川が流れを南に変える大屈曲部(Great bend)から始まって東南に約280kmの大きな山脈です。その最高峰は若尼峰(Ruoni Feng)6882mでその横にロプチン峰(Lopchin Feng) 6805mがあります。
2009年10月〜11月、神戸大学・中国地質大学合同崗日嘎布山群学術登山隊が初登頂しました。
写真は山群の中でも最も抜きん出た阿扎氷河(Ata Glacier)の流域にある三姉妹峰の遠景です。真ん中の富士山型の山がロプチン峰です。
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2009/7/30

和田寺山ハイキング  登山

梅雨時ノハイキングは雨を覚悟して出かけると案外降らなかったりする。チベット遠征のトレ−ニングに穂高岳沢から南稜経由で奥穂高に登って、そこらでビバ−ク、翌日前穂から明神岳を経て岳沢に下るラウンドを計画したが、天気予報は確実に雨。わざわざ濡れて風邪でももらったら遠征に悪い影響を与えると判断した。それで7月の三連休がぽっかり空いた。Susieは実家でSmile君の世話をすることになっていたので濡れ落ち葉としてくっついていった。Susieは実家の連中が軽井沢に旅行なので一人でのんびり出来ると思っていたようだが、その夢が壊れてハイキングに付き合わされる破目となった。
さて、丹波に虚空蔵山というのがあるが以前Smile君と散歩がてら登った。立杭焼の里の裏山だが、その谷の奥西側にこの山がある。
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標高は591m、麓に寺があり、和田寺(わでんじ)と言う。鎌倉時代まで遡る古い寺だそうな。近くの清水寺の住職が開山したと説明書きがある。山頂に寺があったが今は麓に下りてしまった。霊園経営で生き残りを試みているようだ。本堂は谷の林道を少し詰めたところにあり、清水の手水もあり、誰も来ないので山を下った後本堂の階段でくつろいでコ−ヒ−を味わった。Smile君は腹ばって体温を礎石に逃がして気持ち良さそうにしていた。
本堂の裏から廃道に近い踏み跡を辿って稜線に出ると立派な登山道があった。この登山道は麓の庫裏の横にある観音さんの広場から稜線に続いていたが、道標もなく、ちょっと見たところでは発見できない。知る人ぞのみ知る道か。頂上は広々としていた。かって寺があったような雰囲気はない。三角点もないが、山頂を示す札が木に掛かっていた。頂上でお茶を沸かして昼食。雨がやってきそうで急いで下る。
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キノコが沢山あった。
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2009/4/10

春  登山

庭の木瓜が今年はよく咲いた。
今冬は暖冬か寒冬かよく解らなかったが麓の雪は少ない年だった。
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先週末(4月3日)ひるがのに行った。白山は真っ白、大日ケ岳1709mもたっぷり残雪があったが麓はすっかり春の野だった。
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大日ケ岳1709mは新しいスキ−場が出来て楽しかった山スキ−はもう場所が限られてしまった。何度もカモシカに出会ったブナ林の尾根は今はゲレンデだ。
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2009/3/28

新雪をまとった春の甲斐駒  登山

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3月28日、高速道路が1000円で遠くまで行けるようになった。滋賀県から東京まで往復でガソリン代を含めて往復10000円で済む。ということで会合に出席するのに車で行った。努力の甲斐あって甲斐駒ケ岳の美しい姿を拝見できた。
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2009/3/9

宝引山803.5m(但馬)  登山


中瀬は1573年に発見された金山であった。伯母が健在だった頃、私がまだ小学校低学年であった頃のこと、中瀬ではまだ金鉱も健在で賑やかな村だった。現在、鉱山は廃坑となっている。精錬所は輸入鉱石で稼動しているようだ。当時は交易も盛んで牛市が立っていた。伯母は自動車に酔うので出かけるときは徒歩だった。中瀬の牛市に出かける伯母に連れられて中瀬まで朝早く黒田から出かけたことがある。従姉妹たちは当然のことながらバスで中瀬に行って牛市と祭りを楽しんでいた。当時の国道9号線は大野峠を越して葛畑から出合、そして中瀬と続いていた。一方、八井谷峠を越す間道があって、関宮で合流して八鹿へと下っていた。黒田から中瀬までは間道の八井谷峠経由が近かったので徒歩の伯母は当然、こちらの道を採った。八井谷峠には枝振りの良い松があって、伯母からそこで猿の群に出会って怖かったとか、昔は山賊が出たこともあったと聞かされて少し怖かったが元気に中瀬に到着した。中瀬はその後氷ノ山へ登る時に通過するだけで足を止めるのは50何年ぶりであろうか。現在、国道9号線は八井谷峠のトンネルを抜けてル−プ橋経由で関宮に続いている。大野峠と八井谷峠の間にあるのが今日登った宝引山である。故郷の但馬の山々は良く知っているつもりであったが、この宝引山の存在は意識していたが名前は知らなかった。最近買った「たじまハイキング」須磨岡輯(すまおかあつむ)神戸新聞総合出版センタ− により、登山道がある事が判った。宝引山とはまた楽しみのある山名だ。中瀬の鉱山で金が出たからか、その昔、多くの山師がそれに引かれてこの地に集まったので“宝が引き付ける山”と名づけられたのではないかと想像力逞しくなる。
中瀬は小さな村だが、寺が4つもある。街道筋から八木川の岸辺に出るともう家屋はない。公民館の空き地が広く駐車場には文句なしだ。対岸上流に廃墟の鉱山跡と稼動している精錬所を見やって目当ての登り口を求めて神社へ向かう。地図では小さな谷に登山道が印されている。神社の脇に石積みに固められた水路があり、それ沿いに踏み跡が山に登っている。荒れた竹林や杉の植林と大昔の石垣が幾重にも重なる谷筋は治山の苦労の跡ではなかろうか。谷の東の岡の地形は城跡のような気がするがさて。標高400mあたりで谷筋の踏み跡が怪しくなるが良く注意してみると赤いテ−プを巻いた小枝が道標となっている。おおよそ地図の登山道沿いに425mあたりで谷を離れて西に方向を変え尾根のトラバ−ス道となる。宝引山の南東の方から南に中瀬に向かって下っている尾根を越して一つ西の枝尾根の稜線伝いに急坂が続く。地図にはこの尾根の西側面を登るようになっているがそちらは廃道で尾根筋にしっかりした登山道がついている。
標高530m付近で一息入れる。昨日のブン廻しの疲れからか足が重い。ガ、300mほど登ってきたのでまあワンピッチとしては標準的なゲインだ。雪は全くない。汗の引くのを待って再び急斜面の直登にかかる。50mも登ると傾斜が緩くなり右手に間伐された杉林のある稜線の肩に出た。再び登りに掛かると落葉樹の林になり梢越しに周囲の山々が見えてくる。ミズナラの大木が優勢になってくると尾根の分岐点、宝引山の南東肩に出た。やっと残雪に出合うが20cm〜30cm程度でもう春らしい山になった。昨日ついたらしい足跡を辿ってミズナラの巨木の点在する広い山頂のド−ムを三角点に向かった。三角点の周りはすっかり伐採されていて明るいが、周囲の巨木が氷ノ山や妙見山の視界を遮っている。ブン廻しから見下ろした宝引山は広げた傘のような形だったが登ってみると複雑な地形だった。いぶし銀に輝く氷ノ山は遠く近寄りがたい風貌だ。昨日あの山頂から堅くクラストした急斜面をシュテムタ−ンで下りコシキ岩をかわして稜線に滑り降りたことが夢だったように遠い記憶となった。宝引山は私の登頂Peak No-650となった。下りはちょうど一時間。
9:15 中瀬の公民館出発
10:00 南尾根乗越
10:15-10:25 南尾根530m 休憩
11:11-11:25 宝引山 頂上
12:25 下山
名色の従姉の家に寄った後、近江八幡には遠坂峠、春日、福知山、小浜、朽木、花折峠、琵琶湖大橋と辿って戻った。4時間45分でした。
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↑山頂から妙見山を望む
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2009/3/7

氷ノ山ブン廻しスキー  登山

氷ノ山国際スキー場から東尾根を登り、千本杉ヒュッテで一泊。翌日氷ノ山頂上から鉢伏山への稜線、すなわち「ブン廻し」をスキ−で辿って鉢高原スキー場へ下る。
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↑千本杉から小千本への真っ白な緩斜面でブナ林の霧氷に出会う
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↑ブン廻しを行く
❑ 2009年3月7日(土)
8:30 シ−ルにて総勢11人が氷ノ山国際スキ−場出発
 今年は一昨年と同様に積雪が少ないとリ−ダ−の観察。しかし、スキ−登山だからシ−ルで登り始める。前日の雨とその後の気温の低下で硬くクラストした上に斑にうっすらと新雪の化粧が施された雪面はシ−ル登行には快適だが、積雪が少なすぎる。これでは東尾根末端まで林道伝いに登ったところで東尾根の夏道には雪がなさそうだ、と推測しつつ夏道の登山口に向かった。
8:48 東尾根登山口 
 ここで林道経由のスキ−登行が夏道をトラ−ゲンかで思案。夏道を選択。雪は少なく硬くクラストした残雪の夏道を辿って高度を稼ぐ。
9:25-10:10 東尾根避難小屋
 ゆっくりのTNさんTKさんの到着をリ−ダ−に任せて8人がトラ−ゲンで先行する。一の谷の登りからスキ−を再び装着。
11:30 千本杉ヒユッテ到着
小屋の整備とお茶(一部は早速到着の祝酒)、ゆっくり組の到着を待って全員11名で山頂散歩に出かける。
14:15 氷ノ山 1510m山頂
 I君は生まれて初めてスキ−を履いたのがこの氷ノ山の山頂。いきなりヒュッテまで滑走することとなったが、即席の指導で斜滑降とボ−ゲンに転倒停止を繰り返してなんとかスキ−を脱がすにヒユッテに帰った。----これは伝説の人になりそうだ。

 ヒユッテは手入れのおかげでとても快適でした。シュラフを外に出して日干ししたり、狸の糞を掃除したりして整えると落ち着きました。新しいスト−ブは良く乾燥した薪を快調に燃やしてくれました。ヒュッテ担当理事のTさん、Yさんありがとうございます。薪もたっぷりで安心して夜通し燃やすことが出来て暖かい一夜を過ごしました。

❑ 2009年3月8日(日) ブン廻し

7:45 ヒユッテ出発
 6時起床でしたから後片付けも比較的効率よくテキパキとできました。ヒュッテ前で11人全員の集合写真を撮りました。スキ−板を3脚の代わりに使ったのです。このやり方は案外うまくやれます。
8:15-8:35 氷ノ山頂上
8:42-9:17 ヤキョ−ガ山
9:35-9:55 氷ノ山越
10:25-11:10 天狗の頭
11:43-12:30 大平の避難小屋
13:05-13:58 高丸 
 避難小屋から小代越の草原までは最後の快適な滑降だった。高丸の一つ南のピ−クにてTMさんの出迎えを受ける。ゆっくり組を待つ間、I君のスキ−練習。彼はヒュッテからずっとスキ−を担いで高丸までやってきた。練習にてとにかくボ-ゲンだけは出来るようになってもらった。
14:12-14:26 スキ−場下
14:30 合歓木山荘
 TMさんが合歓木山荘に先に戻って美味しい昼食を準備してくださり、皆感激。オデンや焼蕎麦、菜飯、チャ−ハンなど、むさぼってしまいました。有難うございます。

 時間記録は私の行動を基準にしました(GPSの記録から)。時間記録でお判りのように行動時間より休憩時間が長いのですが、決して皆さんサボっていたのではありません。アイゼンがほしいくらいの硬い雪面と雪庇の狭い稜線、雪の少ない天狗岩の難所の通過など、ブン廻しはそれなりにタフなコ−スなのです。山頂からコシキ岩の右手の谷を滑ってコシキ岩の直下を左にトラバ−スしてヤキョウガ山の稜線に出るブン廻しのハイライトではK君が20mほどスキ−を外して流されたり、何人かは硬い雪面に苦労されたりでした。新雪が深いと雪崩が心配な場所ですし、滑り出しで何度通っても様々なコンディションに出合って新鮮な体験が出来るのがブン廻しです。今日はコシキ岩のルンゼをザイルをフィックスして下っているパ−ティもありました。

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2009/2/15

経ケ峰819.3m  登山

経ケ峰819.3m
 地図を見ると鈴鹿山脈が鈴鹿峠あたりで低くなり、高畑山、霊山、尼ケ岳、具留尊山とつづいてやがて大峰へと再び高度を上げて南下して紀伊半島の脊梁を形成している。経ケ峰819.3mは南北の主脈から津の平野側へ少し外れて鎮座しているので津の平野からは良く目立つ存在だ。名古屋からも多くのハイカ−が訪れるようだ。
 
11:35 穴倉の金剛寺(別所地区)外れの林道脇に駐車
近江八幡から約2時間、ただし美里村に入って昼食を仕入れにコンビニ探しで20分ぐらいロスしたであろう。おにぎりと水(ペットボトルがほしかった)を買った。さて、準備を整えて谷の林道を登る。
12:06 登山道登り口
 1/25,000の地形図の登山口はさらに200mほど谷を遡った所から尾根に取り付いている。
12:45-50 尾根上標高700m 一服
 陽だまりが暖かい。掻いた汗に風は冷たいが心地よい春の感触。
13:05-25 経ケ峰819.3m頂上
穴倉別所から頂上の西の肩までずっと植林の林の中を歩いてきたのでここでぱっと草原に出た開放感が心地良い。南東眼下には伊勢湾が広々と横たわっている。山頂の東側には観音さんもいらっしゃる。東屋の前のベンチに老夫婦が座って昼食中だった。風の無い陽だまりだったので相席させてもらう。おにぎりの昼食とコ−ヒ−で一息ついた。
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14:03 高座原からの林道終点(穴倉川)
 経ケ峰819.3mへの登山道は沢山ある。一番人気は東の安濃町草生からであろう。北大谷林道と草生道がある。草生道は草生天神がTrail Headとなっている。記続いて平尾から、および高座原、そ
して今日辿った美里町穴倉から。もう一つ美里町北、長野からもしっかりした登山道がある。
登ってきた道は距離の短い穴倉西道だが杉や檜の林の中がほとんどであまり楽しくないので違う道を下りたくなった。そこで東の高座原へ下る道を選んだ。頂上から東に下ると平坦な尾根道になり反射板を過ぎたあたりで右手に穴倉へ下る道をやり過ごして次に平尾、高座原への下り口が現れる。これを下ってすぐに平尾への道を左手にやり過ごして尾根を下る。標高450mで林道終点に出会う。ここからは尾根筋の登山道は廃道になっているようで林道をだらだらと遠回りして下ることとなった。
高座原の集落の上60cm程の木彫りの素朴な男女一対の人形が備えられていた。子宝願望の神事か豊作祈願なのであろう。性器の描写が生々しくちょっと恥ずかしい。小牧の田縣神社、大縣神社の場合とはまた違うが同様の古代日本の信仰の名残だろうか。山頂の観音様とはまた違った信仰の一面を見た。ニュージ−ランドでも原住民の人形には性器を誇張したものがあるが、昔は子供を欲しいという気持ちは豊作祈願と同一だったのかもしれない。
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14:56 猿の群れに出会う
高座原を離れて県道28号を穴倉に向かう途中、高座原川ぞいに別荘風の黄色い色の近代的な民家があったので写真を撮ろうとしていたら背後に木を揺する音がしたので振り返ると道路わきの斜面を猿が走った。よく見ると道路や斜面、常緑樹の樹冠などに沢山散開して餌を探していた。少なくとも20頭は居たようだ。
15:32 Parking帰着
 北穴倉の集落に入ると背後の経ケ峰が良く見える。古くからある民家が立派なので私はこれらの旧家を日本の住宅の典型として、Japanese Standardと呼ぶことにしている。戦後の安普請の住宅(私もそれに住んでいるのだが)をRabbit hatch と言ってこれがJapanese Standardだと諸外国特にアメリカ人は我々を蔑むのだが、見よ!この立派な家を! 母屋、離れ、それに倉もある。車だって耕運機を入れると4-5台は並んでいる。と思いながら一枚写真を撮った。紅梅が咲いていたのでこれと経ケ峰の入った写真も収めた。
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 山装束を解いて車を帰路に載せると途中で山頂で出会った老夫婦がテクテクと車道を歩いているのに再会した。彼らが駐車した場所まで送ることにしたのだか、そこはPick up pointからすぐだった。

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タグ: 三重の山

2009/2/8

朽木の蛇谷ケ峰  登山

蛇谷ケ峰901.7m 2009/2/8
曇り時々晴れ
1月下旬の雪がその後の暖かい日々で解けて積雪が少ない山だった。
9:02 グリーンパークノグラウンドの側に駐車
 いきものふれあいの里から登るのが正解だったらしい。グリーンパークからは尾根と谷を越えていく。派手に塗装した吊橋を越して いきものふれあいの里に出ると駐車している車も多く、林道は足跡が多数ある。雪は良く締まっていた。スノーシューを持ってきたのだが今日は使う機会がなさそうだ。
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9:18 吊橋
なんでここにこんな派手な吊橋を造ったの?と思いたくなる。
9:40 登山道入口(林道から尾根に取り付く)
10:05—10:13 530m ベンチで休憩
暖かいのに出発のとき風が冷たかったからヤッケとオーバーズボンを身につけた。それて汗をかいてしまった。休むと冷たい。オババとオバサンが元気に追い抜いていった。
10:50 カツラの谷への分岐点 810m
650mあたりからしっかり雪が着いてきたがそれまでは土が出ていたり木の階段で登りづらかった。クラストした雪ははかどる。810mピ−クに来るとやっと雪山らしくなった。
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11:02—11:25 蛇谷ケ岳
山頂は樹木がなく八方見渡せる。比良の最高峰、武奈ケ岳も南に聳えている。高島の平野と琵琶湖も眼下に広がっている。天気がいまひとつはっきりしないので良い写真はあきらめだ。NICONの一眼レフも今日は重さを感じるだけだ。
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11:57 林道
12:26 Parking帰着

オババとオバサンの二人連れと前後して登ったが、彼女たちは健脚だった。530mで休憩していると50mほど下で休んだ後頂上まで休まずに登った。山頂にて追い付いたが、こちらはツェルト被って昼食採っている間に下山していった。
山頂は20人を越す団体が頂上に居た。次々に登山者がやってくる。朽木スキー場からが多い。
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