神戸には、ほかの街ではちょっと見られない、風変わりな賞があります。
神戸の街のために何かおもしろいことをしてくれた人に、おおきに(ありがとう)の心を込めて市民から贈る賞です。
市民から贈る、というのは、候補を出すのも市民なら、選考にたずさわるのも市民で、その賞というのも、地元の六甲山の花崗岩(かこうがん)で作られる彫刻なのです。
彫刻は授賞のつど受賞者その人に向けて作られるオリジナル作品で、それもまた彫刻家・小林陸一郎さんのボランティアで制作されているのです。
「ロドニー賞」と呼ばれています。
大きな賞金がついているわけではありませんが、みんなの心の結晶で営まれている賞なのです。
今年度は、神戸や姫路そして阪神間の芸術や文化の活動を、陰から30年以上にもわたって支えてきた中島淳(なかしま・きよし)さんに贈られました。
中島さんは、もとはサラリーマンで、それも定年退職するまで勤務はきっちりと果たされたのですが、そうしながら、芸文活動の裏方としてたくさんの仕事を手がけてこられました。
それも手助けというようなレベルではなく、事務局長として企画の中心に入ってひとつひとつのプログラムを成功へ持っていくという、大変な立場です。
つい先だっても、河東けいさんの一人芝居「母」の公演を韓国で成功させてきたばかりですが、演劇のほかに音楽コンサートや美術展など、中島さんが手がけたプログラムは多岐にわたり、すぐには数えることもできません。
地域社会から現代の世界に向かって鋭い批判の論陣を張ったユニークな季刊誌「兵庫のペン」を1975年から23年間ささえ続けたことも特筆されていいでしょう。
現在は若い芸術家たちを支援する市民メセナ「亀井純子文化基金」の事務局長も務めています。
なんでそんなに献身的に? とは無論だれもが抱く疑問なのですが、あるいは中島さんの幼少期の体験にその根があるのかもしれません。
1940年生まれの中島さんは、大阪で空襲にあって焼け出され、疎開先の赤穂では、親戚が禅寺だったものですから、そこで幼くして厳しい精神生活を送りました。
平和への強い願いと精神への敬虔(けいけん)な姿勢が、この人の情熱の底にあるのかもしれません。
たぶん、それから、もうひとつ。
夢追い魂。つまり、ロマンティスト・スピリット。
(なおロドニー賞は今回で17回目です。ちなみに神戸が大震災に遭った1995年には、現大リーガーのイチロー選手が受賞しています。その年、神戸をフランチャイズにしていたオリックス・ブルーウェーブのナインとして、イチロー選手はチームを優勝に導いて、神戸市民を元気づけてくれたのです。その活躍への“おおきに”の授賞でした)

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