現代美術家の榎忠さんが神戸市文化賞を受賞して、その祝賀パーティーが神戸・布引の神戸芸術センターで開かれました。
芸術劇場と呼ばれる大ホールに、あれ、何百人くらい集まっていたでしょうね、そこへ女装の榎さんが現われて(この別人格の女性は、ローズ・チューと呼ばれています)、とにかくにぎやかな祝賀会でした。
エノチューさんが神戸文化賞をもらったって聞いたとき、ぼくはそれもてっきりパフォーマンスだと思ったんです。
だいたい、権威という権威に揺すぶりを入れてきた美術家ですからね。
高度成長の絶頂期に東京・銀座で歩行者天国が始まりましたが、大群衆の中をフンドシ一丁で歩いたたったひとりの男、それがエノチューさんでした。
いくら「解放区」っていったって、そこはやっぱり日本流の「官制解放区」ですからね、そこまでカイホウされては困るんです。
おマワリさんが飛んできて、すぐに隔離、神戸へ送り返されてしまいました。
コツコツと自家製の大砲を作っていた時期は、例の浅間山荘事件のころで、これは兵庫県警を悩ませました。
あっちのほうの男じゃなかろうか、と疑ったんですね。
一時は家を見張られて。
これが芸術だって、捜査員を納得させるにはちょっと苦労したみたいですよ。
頭の毛からあそこの毛まで、体毛という体毛を半分きれいに剃ってしまって、つまり半刈り(ハンガリ)にして、ハンガリーに行くというパフォーマンスをしたときには、ハンガリーの政府(具体的には入管)が困りましたね。
まだ厳格な社会主義体制下のハンガリーでのことですし。
むこうで研究活動をしていた日本人の教授が身元引受人になって、ハンガリー政府もシブシブ入国を認めることになったんですが、モヒカン族の亜種のような不思議な男がブダペストを闊歩して、やっぱりあれも、のちのベルリンの壁ホウカイの一因になったんじゃないでしょうか。
地元の神戸でも市が自慢にしている東遊園地の大噴水に、途方もなく大きなシーツをスッポリかぶせて、景観を一変させてしまったし、2000年のことだったと思いますが、文化の日にエノチューさんが制作した米国とソ連のマシンガン(もちろんモデル)を、エノチューさんのおおぜいの“親衛隊”が体につけて、元町商店街で堂々の行進を繰り広げもしたんです。
むろん、こんなのはごく一部の例ですからね。
でも神戸市文化賞の受賞が本当のことだとわかって、おっ、神戸って、なかなかヤルじゃないか、と思いましたよ。
文化賞が、なんか本物になってきたような、これまでになくキラリと輝いて見えたんですね。
さて、スピーチあり、歌あり、演奏あり、ダンスありのにぎやかな祝賀会は、最後にエノチューさんが、自家製の大砲をドカンと一発ぶっ放して、おヒラキになりました。
メデタシ、メデタシ。
でも、これからもまだまだあばれてくださいよ、エノチューさん。
受賞して、責任を過剰に感じて、オトナシクなっちゃあ、ヤですよ。
もともと、ものすごくやさしくて、デリケートなひとですから。
生きながらにして、すでに伝説多きアーティストは、ことし66歳。
まだまだ。
まだまだ。

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