立春も過ぎ、私は、とうとう花粉症の症状がドカンと現れました。でも、咲き始めた梅を見たり、春の陽射しを浴びると、わけもなくワクワクとした気持ちになりました。
さて、書類を整理していたら、10年ぐらい前の雑誌の連載の切抜きが出てきました。最相葉月さんが、日本ろう者劇団代表の米内山明宏さんの講演を聞いた内容が記されていました。生まれながらに耳が不自由な米内山さんが、音や音楽をどんなものと感じているか・・・・・?
例えば、蛇口から水が一滴落ちるとき、私たちは水滴が洗面器に落ちたときに、初めてポトンと音が聞えるが、米内山さんは、蛇口から水滴が顔を出した時に一度目の音が鳴り始め、洗面器に落ちた時に二度目の音がなって、音が止むように感じるそうです。
車のエンジンの音も、私たちにはキーを差した瞬間から音が聞えるけれど、米内山さんは、車が発進した時から音が鳴り始めたように感じる。
太陽も同様で、日が昇る瞬間に音が鳴り出し、沈んで暗くなると音が消えるように感じる、と。「音」とは『日』が『立つ』(「立つ」=「登る」)と書きますが、米内山さんの中では、どんなふうに聞えているのでしょう?動きに音を感じ、「視覚」と、「音」が密接な関係を持っている、そんな話が書かれていました。
音楽家として『音』とは、どのように捉えたらよいか?という視点で、10年前はこの記事を読んでいました。でも今は、「当たり前」とか「常識」と感じていることを、別の視点から見たらどうなんだろう、つまり、他者の立場になったらどうなんだろう・・・という、ものの考え方を教えられました。
これまでより、歩くスピードが2倍以上かかりながら外出し、表参道を足早に通り過ぎる人を見て、今日は、こんなことを考えていました。