11月1日、アトリオン音楽ホールにて「佐野春子ピアノ教室創立60周年記念演奏会」が開催されました。実行委員会の皆様、出演者の皆様、ご来場くださった皆様、そして、春子先生、ありがとうございました。
私は、先生からリクエストのあった「落葉松」を含めてソロ3曲と、フィナーレに、長谷川留美子先生との2重唱を披露しました。特別な演奏会なので、いつも以上に緊張していましたが、共演してくださった鳥井俊之さんが、「僕がついているから大丈夫。」と励ましてくださり、思い残すことなく歌えました。病気をしてからは、この演奏会への出演を目標に生きてきました。だから、決して悔いの残る演奏はしたくないと臨みました。
春子先生との関係は、私が「生きる」ということと深く関わっています。これまでの人生で何度か自分ではどうにも乗り越えることができそうもない壁にぶつかった時には、いつも春子先生の助言が私の人生を動かしたからです。
山形大学を卒業して、秋田市内の私立高校の教員として就任したけれど、どうしても上京して歌の勉強をしたい・・・。でも、周りの方々からは1年で仕事を辞めることを猛反対されました。そんな時、「あなたの人生なんだから、あなたのやりたいように生きてみたら?」と優しく救いの手を差し伸べてくれたのが春子先生でした。そして、私は上京しました。
上京してしばらくして、働きながら東京芸術大学声楽科の受験をしましたが、2度の失敗。その時は既に30才近くになっていました。「なんで、私のことを誰も認めてくれないんだ?」と、当時はそんな馬鹿なことを真剣に考えていました。その時も春子先生は「あなたの心は今、音楽に向いているかしら?しばらくは、目の前にあることを精一杯頑張ってごらんなさい」とお話してくれました。音楽を愛することよりも、「芸大」という学歴に眼がくらんでいる愚かな自分に気づかされた時です。その翌年、3度目の受験で私は念願の芸大に合格できました。
それから、芸大を卒業して・・・、芸大を卒業したのに音楽の仕事がない。もう、その時期も自暴自棄という感じでした。先生には秋田で卒業記念のリサイタルを主催していただいたのに。その時も、先生からの助言をいただきました。音楽と向かい合えない私のことにがっかりした様子でしたが、「あなたがこれまで、どんな思いで音楽の勉強を続けてきたのか、私は知っているわよ。だから、あなたは大丈夫。」と。それから、私は先生をがっかりさせるようなことはしない!と心に決めました。
音楽の活動が少しずつ順調になってきた昨年の暮れ、今度は思いがけず珍しい病気になってしまいました。先生に報告すると本当にショックを受けていらっしゃいました。私が原因で、ご心配をかけたのだけれど、今度は私が先生を励まさなければ!と思いました。どうしたらいいかな・・・。でも、病気は進行しているみたいだし、完治させるなんて今の医療では治療法がないと言うし・・・。私に出来ることは、「歌うこと」だけだ!そんな気持ちで11月1日を迎えました。
私の中では11月1日の演奏会で、ひとつのこころの区切りができました。これから、また、新しい気持ちで更なる音楽への研鑽を積んでいこうと思っています。
演奏会の模様は朝日新聞に大きく取り上げていただきました。取材してくださった贄川さん、ありがとうございました。
