何年か前に、コミュニティのバザーでたこ焼きを焼いていると、数名のオランダ人が本当に驚いて、これと同じ鉄板がオランダにもあると言ってました。その時以来実際どのようなものか実物を見る機会を待っていました。
今回のチューリップ祭りの主役はオランダ人です。このお祭りの期間中に、世界25ヶ国のパビリオンが出展しますので絶対たこ焼きに似たオランダ名物がどんなものか分かると期待していました。
やっぱりありました。口径はたこ焼きより広いのですが深さがありません。ミニクレープみたいなものよと言ってました。たこ焼きの話をし始めると、知っているとのことで、日本ではいろんなものを中に入れるのでしょうと言ってました。
名前が分からなかったのですが、Poffertjes(ポッフェルチュス)と発音するようです。なにしろオランダ語ですから、これを写真にとって、家に戻ってから検索しましたら、オランダ在住の方の
ブログにこのお菓子について書かれてあるのを見つけました。
これは、8個で3ドルでした。バターとアイシングがかかっていて、かなり甘いお菓子です。カナダでは、ミニパンケーキと言ってもいいかもしれません。
熊谷真菜著の「たこやき 大阪発おいしい粉物大研究」1998.という本を買ったことがあり、その中で、カノンクロックと言うタイの名物や、インドネシヤでも一集落で、アパンというよく似たお菓子があり、東南アジア一帯で色々あると知っていました。
今回オランダでポピュラーなこの鉄板を見て、ちょっと歴史を調べてみました。出島でのオランダとの交易は、1641年から1859年までです。1855年には長崎出入り許可が下りています。明治維新は1868年。
たこ焼きの前の玉子焼きは明治初期ころから出始めているらしいです。珊瑚の模造品の明石玉を作る事からの延長上にたこ焼きはあるように書いてあります。
オランダでは非常にポピュラーだそうですので、私達が海外に出る時にたこ焼き鉄板を持参したように、オランダ人が海外に行く時に鉄板を持ち出していてもおかしくないと思います。インドネシアやタイのレシピは、本国のものととてもよく似ています。
日本にも入ってきて、最初は同じように甘いものだったかもしれません。時代背景と合わせて、明石玉を作る上で、白身ばかり使って、黄身が余るので、日本人好みに味付けを変え、日本独自の物にしたのではないでしょうか。
東インド会社、オランダと交易していた鎖国中の日本など考え合わせると、あのたこ焼き鉄板のルーツは、オランダだと思います。
こんな仮説を立ててみましたが如何でしょう。
現在タイに住んでいるオランダ人がカノンクロックを食べて、ポッフェルチュスと同じだあと思っているのか聞いてみたいところですがこれはやはり違うでしょうね。
こちらで食べるたこ焼きやお好み焼きが微妙に違うように、知らず知らずの内にその国の気候風土にあった味付けに変わっているでしょう。
そうなると、オタワで食べた物も本国の物とは味が違うのではと思うようになりました。オランダに行って、本場の物を食べてみたくなりました。
