4/23第16回さらば父上
氏長者の座を弟の頼長(よりなが山本耕史)に奪われ、しかも父忠実(ただざね国村隼)は近衛天皇に忠通(ただみち堀部圭亮)の関白解任を申し出ますが、院政を行っていた鳥羽法皇の介入で忠通の関白留任と引き換えに頼長にも内覧(ないらん)の宣旨(せんじ・天皇の意を伝える文章)が下りました。関白と内覧が並存する事はこれまでありえませんでした。内覧とは、天皇に奉る文書や、天皇が裁可する文書など一切を先に見ること。近衛天皇は病弱のうえ、頼長を大変嫌っていたそうです。
「ならびおる ふたつの黒き 蝶の舞 いずれや高く のぼりけるらむ」
清盛は、安芸守に任じられて瀬戸内海の制海権を手にすることで莫大な利益をあげ、父と共に西国へと勢力を拡大します。またその頃より宮島の厳島神社を信仰するようになり、仁平3年(1153年)、忠盛の死後に平氏一門の棟梁となります。
統子内親王(むねこないしんのう上西門院)は、鳥羽上皇第2皇女、母は璋子(たまこ檀れい)。同母兄弟に崇徳天皇、後白河天皇がいます。優れた歌人たちを輩出した文雅豊かなサロンでもあったそうです。待賢門院堀河(80番ながか)の妹、由良御前(頼朝の母、田中麗奈)、滋子(しげこ成海璃子、時子の妹)、小宰相(こざいしょう、平家物語の「小宰相身投」で有名な平通盛の妻)などが女房としていました。
ちなみに、小宰相は、3年あまりの間、通盛(平教盛(のりもり鈴之介)の長男)からの文を無視してましたが、統子内親王から、あまりに気が強いのも小野小町(9番はなの)みたいに老後は悲惨になると言われて結婚を決めたそうです。