9/30第38回平家にあらずんば人にあらず
1171年正月、前年の殿下乗合事件により延期されていた高倉天皇元服の儀式が、滋子の前で執り行われました。10月、滋子は後白河院と共に福原を訪れて、清盛の歓待を受けましたが、この時に清盛の娘・徳子の高倉帝への入内が合意に達したと推測されます。
この頃は、両者の関係は友好的に推移しており、平氏一門は隆盛を極め、全国に500余りの荘園を保有し、日宋貿易によって莫大な財貨を手にしてました。
12月14日、徳子が法住寺殿に参上し着裳の儀を挙げ、滋子は徳子の腰紐を結びました。徳子はその晩に入内して女御となり、翌年72年2月に中宮となりました。78年に安徳天皇が生まれます。
禿(かぶろ、かむろ)とは、肩までで切りそろえた児童期の髪型。またその髪型をした者のことです。狭義では、遊郭に住み込む童女をさしますが、歴史用語として、平安時代に市中の見回りをした若者をさすこともあります。
平安時代後期に平清盛が実権を握った際、平安京内に多数の禿の頭髪の童子(及び童形の者)を放ち、市井の情報、特に平氏に対する批判や、謀議の情報などを集めて密告させたそうです。