18番「すみのえの 岸による波 よるさえや 夢のかよひぢ 人めよくらむ」の藤原敏行と言えば、古今集秋歌劈頭をかざる、
「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」という歌がとっても有名ですよね。定家がなぜこの歌を百人一首に入れないで「す」の歌を入れたのか分かりませんが、素人としては、「あきき」が取り入れられていたら「す」の歌に出会うきっかけはなかったでしょう。
この歌は、立秋に、「目にはさやかに見えねども」と、視覚から入り、「風の音にぞ」と、聴覚へ移っていくという解説を目にしますが、ふと思い出したのが、
81番「ほととぎす 鳴きつるかたを ながむれば ただ有明の月ぞ 残れる」という、後徳大寺左大臣(藤原実定)の歌です。これは、初夏に、「鳴きつるかたを」と、聴覚から入り、「ただ有明の月ぞ残れる」と、視覚へ移っていきます。
18番と81番、立秋と初夏、視覚から聴覚、聴覚から視覚と対比が面白いですね。グレングールドが好きなのも対比法が好きだった彼の思考が好きだと言うことなんでしょうと改めて確認してみたり。
六歌仙や三十六歌仙などの6の倍数と、百人一首の六歌仙の内の5人、三十六歌仙の内の25人の選出など6と5の関係を、三十六歌仙と百人一首の親子の数とを比べてみるとまた興味ある発見があるのですが、それを「百人一首の会」で話したら総スカンでした
