長良川鉄道の徳永駅にある「古今伝授の里」のサイトを見ていたら、東常縁(とうのつねより)の屋敷が応仁2年の1468年に焼打ちにあい焼失とありました。68年という年からすぐに思い立ったのが明治維新の1868年です。
それでいろいろ調べてみると、応仁の乱が始まったのがその前年の1467年です。ちなみに明治天皇が即位したのが1867年です。
400年というスパンを逆に遡ってみると、1068年は後冷泉天皇が崩御され藤原摂関家の外戚のない後三条天皇が即位された年です。この後、摂関家の衰退とともに白河天皇が上皇になって院政が始まる元となりました。
さらに遡ると668年には、天智天皇が白村江の戦いに負けて、都を近江京に移して即位した年です。こういう風に見てみると、歴史の流れを大きく見る助けになります。
先日、歴史ヒストリアで、伊勢神宮を取り上げていました。持統天皇が伊勢に赴き、その土地の神々とともに外宮、内宮を設けたと知りました。持統天皇は、初めて上皇になった人、初めて火葬された人だそうですが、藤原定家の時代、1235年に墓が暴かれたと「明月記」にも記載されてるそうです。
1235年と言えば、百人秀歌ができた年ですね。(百人一首もか?)また何かのきっかけで違うスパンを見つけてみたいです。歴史って調べれば調べるほど面白いですね。
ちなみに百人一首の68番は、
こころにも あらでうき世に ながらへば
こひしかるべき 夜半の月かな 三条院(第67代三条天皇)