2014年5月27日のニュースより
平安後期の長編王朝文学「夜の寝覚ねざめ」の失われた最終部(末尾欠巻部)の一部を写した南北朝時代の古筆切こひつぎれ(古代・中世の優れた書の断簡)が京都市で見つかり、東京の実践女子大が購入した。鑑定した国文学者の横井孝・同大教授によると、末尾欠巻部と特定できる古筆切は初めて。同じ部分の写本ではないかと推測されていた古筆切9点とも類似するため、合わせて約2000字の本文を復元できる可能性が出てきた。
「夜の寝覚」は、貴族の女性「寝覚の上」の恋や波乱の生涯をたどる。作者は「更級日記」で名高い菅原孝標女たかすえのむすめとも言われる。内容的に4部構成とみられるが、末尾など2部を欠いたまま転写され、本文の復元が課題となってきた。(YOMIURI ONLINE)
「夜の寝覚」=よわのねざめ
5月27日は「百人一首の日」です。
文暦2/嘉禎元1235年5月27日に藤原定家によって小倉百人一首が完成されたとされています。
藤原定家の「明月記」の文暦2年5月27日の項に、定家が宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首が嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があり、この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられているからです。
その日のニュースにこれが流れるのも何かあるのでしょうか
菅原孝標女たかすえのむすめは、百人一首に撰ばれてませんが、「浜松中納言物語」、「夜はの寝覚め」などの作者として擬されています。裕子内親王に仕えていたこともあるので、百人一首には裕子内親王家紀伊62番「おとにきく」がいますから、大体60番代の時代のころの人ですね。