2006/2/28
当時首相だったOlof Palmeがストックホルムの中心街の路上で射殺されてから20年が経った。

(これは1986年3月1日午前1時10分、パルメ死亡1時間50分後のラジオ放送の記事を採録したもの。Sydsvenskan新聞 06年2月26日付)
容疑者が数人浮かんだものの決定的な証拠が無く、犯人は逮捕されていない。
Palmeは政治的に敵が多かったらしい。アパルトヘイトを激しく糾弾し、ベトナム北爆反対のデモに参加し、75年にキューバを訪問するような首相だったから国外にも敵が多かったにちがいないと思う。
犯人については諸説があるのだが、そのうちの一つが「人違い説」で、この日曜日にその人違いの可能性を信じている作家の作ったドキュメンタリーを見た。
この作家はパルメが麻薬取引の大物と間違えられて殺害されたのでは、と疑っており、何人かのやくざにインタビューを行なった。なぜかというと、一度は逮捕されたものの「証拠不十分、動機もない」という理由で無罪放免になった男性がそういう世界の人だったからだ。その男性(私は彼が亡くなる前にテレビで見た覚えがあるが、目鼻立ちが派手で芝居がかった喋り方をする明らかにヘンな人だった。)は二年前に亡くなっているので、インタビューはその男性の仲間だった者たちに対して行なわれた。
このやくざたち(「暗黒街の人間」と言った方がいいのかな)20年前に働き盛りだったわけだから当然年季が入って(思わず「このひとたち年金もらえるんだろうか」などと考えてしまう。)かなりくたびれていたが、目つきが鋭く酷薄で神経質そうな感じのする人達だった。「俺はもう歳だから牢屋で死にたくない。(だから本当のことは言えない)」というようなことを言いながらも、問いをたたみかけられると思わず口からぽろっと言葉がこぼれてくる…多分このひとたちも何か喋ってしまいたいことがあるのだろう、という感じがした。
本当のことはわからない。もし本当にやくざの抗争だったとしたら、それをずっとその地域一帯で張っていたはずの警察はその日その時間に何をしていたのか、という謎が残る。そういえば警察関与説というのも根強いのだった。

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2006/2/27
昨日は冬季オリンピックの最終日で、まさかと思っていたスウェーデンの男子アイスホッケーチームTre Kronorが決勝戦まで勝ち進み、フィンランドを破って金をとった。相当興奮した人達が多かったようで夕べは遠くから爆竹みたいな物が鳴る音が響いていた。
今日の朝刊。

今日、家に帰ってきてテレビをつけたらフィンランド語のニュースがちょうど始まったところだった。スウェーデンのNHKのようなテレビ局SVTでは平日は毎日サーミ語とフィンランド語のニュースの時間がある。サーミ語はフィンランド、ノルウェー、スウェーデンの放送局が一緒に作っているもので、時々字幕が突然ノルウェー語になってしまったりすることがある。フィンランド語ニュースuutisetはスウェーデンに住んでいるフィンランド系の人達向けにストックホルムで制作されている。
このフィンランド語ニュースでは冬季五輪はどのように報道されるのかなと思いながら見たが、「今回の五輪では金が一つもとれなかった」で始まり、ヘルシンキに戻ったアイスホッケーチームが熱狂的に迎えられている様子など、まるで普通のフィンランドのテレビみたいだった。普段はもう少しスウェーデン発の地域性のあるニュースが多いのにスウェーデンのことはほとんど黙殺。そういうものかなあ。
このニュースを見ているフィンランド系スウェーデン人は、そして国境の向こうにいるスウェーデン系フィンランド人(例えば「ムーミン」の作者Tove Janssonもその一人)は昨日はどっちを応援していたのだろう。

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2006/2/24
今週はスポーツ休暇の週なので、普段は満員のバスから子供たちの姿が消えていた。
そして、職場でも人々は休暇をとって家族旅行に消え、木曜日に本の安売りが始まると本屋に消え、そして金曜日の今日は…冬季五輪の女子大回転と男子ホッケーの準決勝を見るためにテレビがある所に消えて行った…平和な国だー。

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2006/2/23
この秋に相棒がオークションで分厚い古本を買って来た。古本と言っても骨董的価値のあるものでは勿論なく昔の南スウェーデンの農家の記録簿みたいなもので、一軒一軒の持ち主と屋号、土地の広さ、飼っている牛や馬の有無などの記録が写真と共にのっている。なぜそんなものを買って来たのかというと、わがイナカの家の記録がその本に写真入りで載っていたからである。今はそびえ立っている白樺や樫がまだ若木だった時代の写真はほかには見つからないだろう。
本の印刷はそれほど薄れておらずちゃんと読めたのだが本を綴じる部分がゆるんでばらばらしていてページを繰るのがちょっと恐かった。
「こういう本を綴じ直してくれる業者があるはずだ」と相棒が電話帳をくって調べたところ、マルメ市内に一軒そのようなサービスをしてくれそうなところを発見。さっそく行って本を預けたら、本は2週間で無事綴じなおされきれいに生まれ変わった。
これがその装丁の工房。

近寄って見たらぶらさがっているのは本だった。

ちょっと「もしかして私はヨーロッパにいるのかな」という気分になる。それだけではなくて実はそのあと同じ敷地内にエクレアやサバランを出すしゃれたお菓子屋さん(スウェーデンとしては非常に珍しい)を見つけてお茶をするというおまけまでついた。残念ながらカメラの電池が切れてしまって写真をとりそこなう。

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2006/2/19
スウェーデンに来た翌年だったか、アジア食材店で大粒のタピオカを見つけた。
タピオカはタイ語でサークー、マレー語でサゴといい、もともとはサゴ椰子という椰子からとったでんぷんを丸めて作っていたが今ではキャッサバからとれたでんぷんで作っているらしい。
とても食べたくなり、買ってきて家で煮て、ココナツミルクと黒砂糖のソースをかけたマレーシア風のデザートを作った。ちょうどお客が来たので「この人達がタピオカを食べたことはまずないだろう。」と思いつつ出してみた。ところが…
ひとくち食べた彼らは「ああ、これサゴだね。」「本当。なつかしいなあサゴ」
私は唖然。
彼らは「子供の時によく食べた」「果物のスープに入っていた」と言う。「そういえばさいきんは食べないかなあ。でもスーパーに行けばサゴは売ってるよ。」(確かにあとで普通のスーパーに行ったら本当に袋入りタピオカがあった。デンマーク製だったからデンマーク人もタピオカを食べるのかもしれない。)
スウェーデン人がタピオカを食べるということにも驚いたが、「sago」というマレー語を知っていることにも驚いた。
「そのサゴっていうのはマレー語なんだよ。知ってた?」と私が言うと、みんな真顔で「まさか。サゴはスウェーデン語だ」と言う。「えっ何言ってるの?」と私がうろたえると彼らは大真面目で「サゴsagoっていうのはきっとサーガsagaと同じ語源だと思う」などととんでもないことを言う。そのぐらい彼らにとって「sago」は身近な食べ物だったということなのだろうか…とにかく真実は究明しなければ、ということで私はスウェーデン語の辞書をひっぱり出してきて「sagogryn サゴ椰子からとれたでんぷんを粒にしたもの 語源 マレー語」と書いているのを見せた。みんなは「えーっマレー語??」と驚いていた。
そして先日…何となく寒天のデザートが食べたくなり、収穫後冷凍しておいたラズベリーといちごを煮てココナツミルクと層になったデザートを作った。マレーシアではこのたぐいのデザートをアガ・アガagar-agarという。agarというのは寒天のようなものの名前である。
それをスウェーデン人に出したところ、「ああ、アガ・アガね。」と彼女が言う。「えっどうして知っているの?」「フランスで食べたのよ。agar-agarってフランス語でしょ?」「…」


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2006/2/18
モハメッド「風刺画」騒ぎで、ついに死者がでてしまった。それもリビアにあるイタリア領事館に集まったデモ隊が警官隊と衝突して最低9人が死亡、と今日の朝刊に記事が載っていた。
前も書いたけれど、イスラム圏にいた私にはモハメッドの顔のついたTシャツを見たムスリムがどのような反応をするかは想像ができる。しかもその絵が暴力と結び付いたお定まりのイスラム教のイメージに基づいたものだったら尚更のこと。テレビでもこのTシャツを着ていたというイタリアの大臣のことを「挑発的」と形容していたが、まさにその通りだと思う。そうやって挑発して、まんまと成功したということだろうか。
さらに新聞を読んでいたら、「2月9日より無期限の休暇中」のJyllands-Posten文化面編集担当者が金曜日に米国ワシントンでパネルディスカッションに参加した際の発言が書いてあった。このFlemming Roseというひとはモハメッド「風刺画」の責任者ともいえる立場の人間である。
問「あなたはあのモハメッドのイラストを掲載したことを後悔していますか。」
答「いいえ。その質問は暴行された女性に『自分が短すぎるスカートを穿いていたことを後悔していますか』と問うのと同じようなものです。」
…もうちょっと品のある表現を使って話せないものだろうか。

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2006/2/18
最近、いろいろな国(キリスト教国)発のホームページやブログにそれぞれの国の四旬節前のカーニバルに関連した記事がちらほらと投稿されるようになった。今年の復活祭は去年より遅くて4月16日。従って灰水曜日が3月1日、懺悔火曜日fettisdagが2月の28日になる。で、そのfettisdag(直訳すると「脂(または太った)火曜日」にセムラ このあたりの方言ではfastlagsbulleを食べる、というのがスウェーデンのならわしだったという。確かにこれでもかっという感じに入っている生クリームはfet火曜日にふさわしいかんじがする。
しかし、fettisdagにカーニバルを祝う行事も特にないためか(デンマークにはある由。またデンマーク風のセムラは生地がデニッシュ生地なので私でもおいしく食べられる。)セムラは売り出しの時期がじりじりと早まっており、今では12月から売る店もでてきたので、一年のうちで4ヶ月以上セムラを買うことができるようになった。勤め先でもお茶の時間に出てくる回数が年々増えているような気がする。もちろん、私は全然嬉しくない。
(追記)ここ南スウェーデンではfettisdagではなくその前日の月曜日に食べる習慣だったと新聞に書いてあった。また、私がデンマークのセムラだと思っている層になった生地のものは実はデンマーク人が今度の火曜日に食べるものとは違うのではないかという疑問がおこってきた。火曜日になったらどこかのホームページに写真が載るだろうから真実があきらかにされるものと期待しております(他力本願ですみません)→デンマークのあちこさんにいただいたコメントによるとデンマークのものはやはりデニッシュ生地である由。カラフルなアイシングがかかっているものが多いもよう。


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2006/2/17
ここのところ頭の中でずっとドナ・サマーが鳴っている。ほかにもChicやビー・ジーズの歌がどこかから聞こえてきたりする。冬季オリンピックの開会式の選手団入場の間中ずっと流れていた70-80年代ディスコ音楽のせいだ。若い人は「何だこの音楽」と思っただろうけれど私はかなり懐かしかった。そんなに好きだったわけではないのだけれど…。
そうやって主にアメリカのディスコ音楽で始まった開会式だったが主催国の紹介パフォーマンスでは「神曲」の朗読、「ヴィーナスの誕生」の再現、貴族達が華美な衣装をまとい飽食にあけくれながら能天気っぽく微笑み合っている宴、かと思うと会場に突然爆音と煙をまきちらしながら真っ赤なフェラーリが突っ込んできて見る人をあっと言わせたり、まあ凝っていること。
イタリアのことをろくに知らない私にもわかりやすく、ユーモアにあふれて楽しく、美しく、誇りに満ちたものだった。そう、「風刺とユーモアは我々の伝統」という言葉はこういうパフォーマンスを作る人達に似合う台詞なんじゃないだろうか。
<追記>こんなこと言ってイタリア人をほめた矢先にイタリアの大臣が例のマホメッドイラストをプリントしたTシャツを着てテレビ出演していたニュースを聞いた…(2月18日)
関係のない写真ですが、これは南スウェーデンの名物といわれる垂れ下がらない柳の並木。


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