2006/3/31
1月に行った装丁の工房の近くにあるお菓子やさんにまた行った。
日本では珍しくも何ともないエクレアですが…ここでは貴重なんです。


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2006/3/31
今週のできごと。
日曜日 夏時間始まる。毎朝やってきて餌をねだるねこが来なくなり本気で心配する。
月曜日 曇り。職場の近くで鶴の声を聞く。
火曜日 晴れ。職場で鶴の群れ が頭上かなた上を飛んで行くのを見る。
水曜日 相棒が庭を見下ろして「あっ」というので見ると、うちの猫(本当は違うけど)が近所の黒猫とべたべたしている姿を発見。ああやっぱり相棒の言うとおりだった!ウチの子に何をするのっ!とはらはらしている私をよそに彼女はまんざらでもない風情。
春が来た、ということらしい。
昨日の新聞にのっていた「Vintergäck前線図」。ストックホルムを越えて北上中。


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2006/3/27
夏時間が始まった…でも雪が降っている。
私達が庭で餌付け作戦を展開しているのは猫だけではない。

うち(マルメのほう)と隣の境界になっている塀の下に穴を掘って住み付いているうさぎにも人参をやって手なづけようとしているのだが、まるで効果がない。近寄るとぱっと逃げてしまう。イナカの野うさぎは人を見ると一目散に遠くまで跳ねて行ってしまうが、このうさぎは2メートルぐらいだけ飛びのくとその場で止まって涼しい顔をするのが常だ。また近寄ってみるとさらにぱっと奥に2メートルぐらい引っ込んで静止している。「だるまさんがころんだ」の鬼をやっているみたいな気がしてくる。
雪が降って積もるようになってから、うさぎが夜になると穴から這い出してきてぼーっと空を眺めていることがわかった。いつもは毛皮が保護色になって夜に何をしているかなんてわからなかったのだけれど、雪と月あかりのおかげで物思いにふけっている風の姿がくっきり見える。何を考えているのかなあ。

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2006/3/26
もとハイジャックの女王だけでなく、今週辞任して話題の人となったもとスウェーデン外相もライラLailaという名前なのだが、パレスチナのライラ(英語表記はLeila)と違ってこのひとは見かけもつまらないおばさん、中身もプロの政治家としての判断力に欠ける情けないおばさんである。(Laila Freivaldsが首相と並んで記者会見をしている新聞記事の写真はこちら。)
2000年に法務大臣だった時、自分の住んでいた賃貸アパートが分譲化するにあたってそれを安く購入してスキャンダルになり辞任(彼女が普通の人だったらまったく問題は無いのだろうが賃貸住宅の分譲化は彼女の所属する社会民主党が力を入れて反対していたことだった。党員としての党の方針を自覚するよりお金のほうが大切だったということか。)
三年前アンナ・リンド外相がデパートで刺殺された後に外相としてカムバックしたものの、おととし暮れの津波の際は彼女には当日早朝から連絡が入っていたにもかかわらず予定していた観劇だか何かにでかけてのんびりクリスマス休暇を過ごしていたらしい。他国と比べてスウェーデンは救援対策が大幅に遅れ、外務省全体が批判されたが彼女は責任を認めようとはしなかった。
そして先月に起こったモハメッド「風刺」漫画がらみスキャンダル…スウェーデンの外務省は例のイラストやその他「民族差別的な」テキストや画像をのせていたスウェーデン右よりの団体のホームページをそのプロバイダーに圧力をかけて閉鎖させた。人種差別的発言を禁止する法律にかんがみたのではなく、問答無用的にばっさりと口を閉ざさせたのである。当然疑問の声が上がり、「誰が責任者か」という話になった時、ライラは「私はこんな話は全然知らなかった。外務省の一部の人間が勝手にやったことだ。」と言っていたが、内部告発によりそれが大嘘だったことがあっさりとばれてしまった。
…同情の余地ありません。今度こそもう返り咲いたりしないでください。

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2006/3/25
寒い国の人々の特徴…ちょっと気温があがるとすぐカフェに出かけて外の席に座りたがること。
よく見るとみんな実は寒そうにしているのだけれど、ともかく早く春の気分を味わいたいのだろう。考えてみるとこの週末に夏時間になるのだった。ちなみに今はまた零下…


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2006/3/24
つぼみを発見したのは何週間も前だったが、その後雪が降り続いて花が開くまでこんなに時間がかかった。
我が家の庭のキバナセツブンソウvintergäck

おとといのニュースで今年はじめての鶴が大陸から渡って来たと言っていたからもうすぐ春なのだろう。(と今まで何度かだまされたけれど今度こそ…)

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2006/3/24
ちょっと前になるが、夜テレビをつけたらレバノンで行なわれたパレスチナ解放運動家たちのデモの様子が映っていた。といってもデモの規模はさほど大きくなく、カメラはデモ隊の一人の体格のいい肝っ玉母さん風の女性を追っている。どうやら彼女はパレスチナ解放運動の大物らしく、このテレビ番組はスウェーデンで育った若いパレスチナ女性がその人を取材したドキュメンタリーだった。
彼女はレバノンではなくてヨルダンから来たようだったが、レバノンのパレスチナ人たちに英雄のように称えられていた。「レイラ、あなたはいつでも我々の誇りだ」と人々が言うのを聞いて、「もしかしてこの人は…?」と気がつく。
ハイジャックの女王ライラ・ハリド。(写真は70年のもの。聞いていると彼女の名前はライラというよりレイラに近い発音だった。)69年にローマ発アテネ、テルアビブ行きのTWAを、翌70年にアムステルダム発ニューヨーク行きのエルアル機を乗っ取った。二度目は失敗で英国で投獄されたが、乗客には一人も犠牲者を出さず鮮やかな仕事ぶりだったという。私がこのひとの名前を知っているのはあさま山荘事件の後にぞろぞろと発覚した内ゲバで「総括」されてしまっていた若い夫婦が、その子供に「頼良(ライラ)」という名前をつけていたこと、それはこの美しいパレスチナゲリラ(あの頃テロリストという言葉が使われていなかったのはなぜだろう?)の名前にちなんだものであることをテレビで見た記憶があるからだ。
子供心に「きれいでこわい人」だ、と思ったおぼえがあるその彼女は今ではかなりの貫禄のおばさんとなっており、カメラは彼女が昼間仕事場(パレスチナ女性の団体のようだった)でオフィスワークをしている姿や自宅でパジャマを着たままじゅうたんに掃除機をがーっとかけている姿を収めていた。結婚もしていたらしくて成人した子供もいる。「あんたも結婚してかわいい子供をいっぱい産まなくちゃ!」などということをスウェーデンからやってきたこのジャーナリストの女性Lina Makboulに言ったりするので私の持っていた冷酷なハイジャッカーのイメージはがらがらと崩れた。
はじめからこのドキュメンタリーを見ていたわけではないからはっきりはわからないが、このインタビューを行なったリナはレイラが9.11後の現在、自分が行なったこと(ハイジャック)を後悔しているのではないかという推測と言うか期待のようなものを抱いていたようだ。アラビア語が話せパレスチナ人としてのアイデンティティーがあるとはいってもスウェーデンで育ち教育を受けてきたリナとしてはハイジャックという手段を認めることは難しいのだろう。
しかしインタビューの結果それはまったくの間違いだったことがわかった。レイラはまったく後悔していない。そうするほかなかったのだと言う。彼女はそして、「いつの日かパレスチナが自分たちのもとに戻った時、大きい木の下でぐっすりと眠ることが夢だ」と言った。
ドキュメンタリーはリナがスウェーデンに帰ってから思いきってアンマンではできなかった質問を国際電話でするところで終わった。質問は「あなたはハイジャックをする時、それがパレスチナ人全体のイメージを地に落とすことになるという危惧を抱かなかったのですか。」というものだった。電話のむこうのレイラの返事はなく、無言のままドキュメンタリーは終わってしまった。

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2006/3/20
ベルリンの居候先で朝食に出されたパン4種。
ドイツの代表的な丸パン、ギリシャ食材店で購入したというごまパン(私の好きなイランのごまパンに似ていた)、イタリア風小麦パン、かぼちゃの種のパン。

本当はそれに加えてクミンの香り高いトルコのソーセージ、ギリシャの干しトマトのオリーブ油漬けと松の実をベースにしたディップ、フェタチーズ、モッツアレラチーズのサラダ、朝市で買ったという白っぽいはちみつ等が並んでいて至福の朝食だったのだが、カメラの電池が切れて写真がとれませんでした。ざんねん…

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2006/3/19
(ベルリンの話は中断)
スウェーデンは今年は本当にどうかしているのではないかと思うぐらい寒く、雪も多い。
雪に埋もれたイナカの家を見にゆく。
このあいだ何箇所かに吊るしておいた鳥の餌だんごは完売。(ほっ)

お隣のFさんの家。手前はわがやのにわとこの木。表面についた霜が凍りついてきれい。


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2006/3/19
滞在中お世話になった方にベルリンの話を聞いていると、よく「あちら側」とか「こっち」という表現が無意識に使われていることに気がついた。壁はなくなり、旧東側も豊かにおしゃれになってきたとは言うけれど、長く住んでいる人の中には壁は厳然として存在するらしい。
DDRの遺産、Ampelmännchen信号機。

保存運動が起こり生き延びたという話だが、「西側」の信号機よりこれのほうが絶対にかわいい!


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