そういうわけで、私の心は病気の猫のことにとらわれていて、世の中の動きには影響を受ける余裕がなかった。武漢の様子を聞き、もしかするとこれは世界中に伝播する疫病かもしれないとは頭ではわかってはいたのだが、心はついて行っていなかった。
そうしているうちにふと気が付いたら隣国のデンマークが3月の14日から国境を閉め、学校も閉鎖するという宣言を出した。すぐ目と鼻の先にあり、入国審査もなくて隣町に行くように気軽に行けたデンマークが突然行くことができない国になってしまう??
「まさか」
と思ったのだが、本当にマルモの駅から3駅目の駅の地上にあるコペンハーゲン空港にも外国人は足を踏み入れることが許されず、3月14日にスウェーデンからコペンハーゲンに渡って空港から出発する予定だった人がさんざんな目にあった。スウェーデン人とデンマーク人がお互いの国に行き来できなくなったのは第二次世界大戦時にデンマークがナチスドイツに占領されていた時以来のことだ。
「隣国がするんだからスウェーデンも国の要請によって学校や商店を閉めるのだろうか」と思ったのだが、テレビでは首相がかなりはっきりと「スウェーデンはデンマークのような政策はとらない」と発言したのでちょっとあれっと思った。私がこれまで感じていたスウェーデンとデンマークの違いは、デンマークの方が個人の自由に対する希求が強いことだったからだ。「学校もレストランも閉めなさい」と言われておとなしく従うのはどちらかといえばスウェーデン人の方で、逆ではないのでは?
でもデンマーク人は国の決定を受け入れているようだった。13日に首相の
子供にむけた「オンライン記者会見」の動画を制作して発表し、この決定が子供を含めたすべての国民のための民主的なプロセスであるということをスマートに強調。素早く巧みな広報だ。
ふーん、で、スウェーデンはどうするのだろう、と思ったが、一部の規制は発表されたものの「家にとどまれ」という公式な勧告はされないままだった。まあイギリスだってロックダウンをせずに徐々に時間稼ぎをして感染者を増やすという戦略をもっているようだし、オランダも似たような感じだから別にスウェーデンだけが特別というわけじゃないよね。
…と思っていたところ、イギリスもオランダも感染者が増大して方針を転換し、スウェーデンは「ロックダウンをしない最後の国」として外国のニュースの話題に上るようになった。
二週間前にとった写真。暖かくなるとみんなカフェのテラス席にわっと集まるところも例年と同じ(とはいえ、実は換気や椅子の配置を気にして店内でのサーブをしない店もある)
私も日本やタイやヨーロッパに住んでいる友達から「どうしてそうなのか」と聞かれて返事に困っている。「感染して抗体ができたとしても免疫はつかないかもしれない」という説を聞くようになってからはますます返事に詰まる。既にお年寄りを中心に2500人以上の命が失われている。強制的な閉鎖や行動制限を実施したデンマークやノルウェーの死亡者数と比べたら(総人口との割合で見ても)突出した数字である。
それでも政府と疫学の専門家はロックダウンには懐疑的だし、国民の多くは政策を支持している。(それだけではなく、
こんなばかばかしいことをする人までいる。)経済の破綻を抑えるためにもロックダウンは避けたいという人も勿論いる。
学校(初等教育)と保育所を閉めないことに関する説明はわりとわかりやすい。子供は感染しにくい。子供が家にいなければならないと共稼ぎの親の負担が大きくなる。子供は友だちと会って遊んだほうがいい。環境によって学びに格差が出る。給食がないと困る子供もいる。家庭内暴力の犠牲になるおそれがある…などなど。ちなみにデンマークも学校の閉鎖を一か月で終了させた。
また、子供に限らず強制的に行動が規制され家にこもる経験をすると後々まで精神的なひずみを抱えることにつながる、という説明にも説得力を感じる。
テレビを見ていたら若手の映画監督がインタビューに答えて「誰もおらず、警察が巡回しているイタリアやフランスの街のようすをテレビで見ると、自分の子供の時のことを思い出して恐怖を覚える」と話していた。彼はバルカン半島の出身で、廃墟のようにになった町を脱出してスウェーデンにやってきた。ひとけのない街を軍人が巡回する光景は私にとってはまるで映画のシーンようなものだが、彼にとっては恐ろしいフラッシュバックなのだ。そして、この国には彼のような移民がどっさりいる。
上に市民の多くが国の政策に賛同していると書いたが、「政府に緊急事態における権限をどのぐらい与えるか」というのはそれとはまた別な議論で、デリケートな問題だと思う。スウェーデンでは右翼の移民嫌いの政党が地方、国政レベル共に力をつけており、支持率はかなり高い。今は国政を決定する力は弱いけれど、もしもこのひとたちが政権について権限を与えたらこの国がどうなるのかわかったものではないので私は政府の「要請」や「勧告」がそれ以上の強制力を持ってほしくないと思っている。「この緊急時にそんなことを」という説教は聞きたくない。
政府の説明はあらかた私にも理解できる。今や短期決戦でコロナを収束させることは不可能で、数か月、いや数年かかるかもしれないのだから、その長い時間をどう生活していくかは私たち一人一人の選択にかかっている部分が大きい。国は国でできることをし、一人一人が自分で選択しながら全ての人が一緒にこの時期を乗り切ろう、というのがスウェーデンの政策なのだろうと思う。そうあるべきだと思うし、そうあってほしい。

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