■昨日の夕方、17時半から20時まで大阪の国際会議場・グランキューブ大阪で日本生態学会の自由集会がありました。前にも書きましたが、この自由集会とは、その大会に参加した学会員が、学会から場所だけを借りて責任をもっておこなう企画です。毎日、いくつもの自由集会がおこなれわているようです。面白いですね。生態学会・最終日におこなわれた私たちの自由集会のタイトルは、「生態学と人文社会科学のコラボレーションの可能性と課題−地球研の場合−」というものです。
■はじめて生態学会にいくので、どんな雰囲気の学会だかわからず、きちんとネクタイとジャケットでいきましたが、「な〜んだ」と拍子抜けする雰囲気でした。みんな気楽な普段着の感じでした(特に若い年代の人は)。だったら、いつもの格好でいけばよかったよ〜
■自由集会は、総合地球環境学研究所から4人の生態学者が報告し、それに対して、地球研の考古学をバックグランド(地球研では、専攻とはいわずにこのように言います)にするUさん、そして外部から地球研のプロジェクトに参加し社会学をバックグランドにしている龍谷大学の私がコメンテーターになりました。
■私のコメントの要旨は、以下のものです。
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・地球研のように、文理融合(文理連携)、生態学と人文社会科学のコラボレートをもとにプロジェクトを進めるばあい、やはり
「共通のフィールド」が必要である。同じフィールドを観察していても、見ているものがぜんぜん違う、関心の持ち方もぜんぜん違うということを、まずは相互に知ることが大切だ。互いの学問の
「切れ味の鋭さ」と「鈍さ」を相互に承認することが重要だ。
・そのような相補的な関係の構築があって、はじめてフィールドのなかから具体的な問題発見、そしてその具体的な問題の解決にむけたプロジェクトを進めることができる。プロジェクトは、
「問題解決志向」であることが求められるのではないか。
・ただし、
「文理連携」「相補的関係構築」「問題解決志向」のプロジェクトであればあるほど、個々の研究者の研究をうまく位置づけ、研究者相互の関係を認知できる
「共通の全体フレームワーク」を明確にしておく必要がある。もちろん、はじめからフレームワークが明確に存在するわけではない。「共通のフィールド」からたちあげていくことが望ましい。そのさい、「自分は文型だから/理科系だから、○○○しかしません/できません(それ以外は自分の参加している学会では評価されないから・・・本音)」という態度が一番まずい。
・そしてこのような
「個々のプロジェクトをきちんと支える体制」がなんとしても必要だ。それは、研究所の組織のあり方だ。プロジェクトの上位には、個々のプロジェクトを統括するプログラムが存在する。この地球研のばあいには、それは研究軸にあたる。そしてさらに上位には、研究所のポリシーが明確に存在していなければならない。外部から参加していて、イライラするのは、ポリシーが曖昧で、
ポリシ[⇔プログラム⇔プロジェクトの関係がはっきりしないことだ。本来、これが明確でないと、個々のプロジェクトの評価を評価委員はきちんとできないはずだ。そのときの雰囲気や状況に流されながら、様々な評価や決定がなされることになってしまう。それは、公の組織としては大変まずいことだ。ぜひとも、組織体制をもっと明確にしてほしい。
(あくまで一般論ですが・・・このような問題は、個々のプロジェクトの優秀さやユニークさとは別の次元の話しです。いくら個別のプロジェクトが優れていても、ポリシーやプログラムと齟齬があったり、関係がなければ、「あなたのプロジェクトは、別の研究機関でおやりなさい」ということになります。また、逆に、個々のプロジェクトがユニークな成果を生み出しても、それらをプロデュースし、それらを束ねて、組織力にしていくような、戦略的経営や戦略的情報発信がなければ、組織としてはだめだということになります。地球研にはもっと頑張ってもらいたいです。)
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■フロアからは、こんな質問が出ました。「地球研では、地球環境問題をどのように定義するのか」。なかなか難しい問題です。この方の質問は、さきほど私がいった地球研のポリシーの問題や体制の問題にもかかわってきます。そのあたり、まだまだ曖昧です。

■とりあえず生態学会における地球研のお披露目的な当初の目的は無事達成して自由集会は終了しました。そのあとは、大阪梅田に出て、「慰労会」です。地球研の3つのプロジェクトに関係する人+筑波大の学部生が参加しておこなわれました。
■しかし学部生の段階から学会に参加するとは、なかなかがんばりますね。将来は、地球研でやっているのような研究をしたいのだとか。アトバイスとしては、最初から「文理融合(連携)」をめざしても無理ですというもの。まずは、なんらかのディシプリンをきちんと身につける。そのさいも、他の学問分野については関心を持ち続ける、耳学問的には勉強をしておく。そのうえで、このようなプロジェクトに参加する。まあ、そんなとこですか。
■ふと気がつくと23時。あわてて帰宅することになりました。筑波大学の学生さんは、今日は大阪で泊まり、なんとしても大阪名物のお好み焼きとたこ焼きを食べて帰るのだとか。自分の上の子どもとほぼ同い年の学生は、すでに私のまわりにはいるわけですが、それは「教育の場面」です。今回は「研究の場面」にも、こういう若い人たちがあらわれてきたわけで、なんとも複雑なおもいでした。おっちゃんになったな〜

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