
■仙台では、もうじき七夕祭りが開催されるようです。全国的にも有名な祭りですね。仙台駅には、企業の広告も兼ねたこのような七夕飾りがあちらこちらにぶらさがっています。
■さてさて、本題です。7月30・31日の両日、東北社会学会が、宮城県仙台市にある宮城教育大学を会場に開催されしまた。

■すでにこのブログでお知らせしたように、今回の課題報告は「若年労働と階層社会の未来」です。最近問題になっている「ニート(NEET=無業者)」も関係していますね。東北大学大学院文学研究科の21世紀プログラム「社会階層と不平等研究拠点」(代表:佐藤嘉倫氏)との共催です。どの学問分野でも、このようなシンポジウム形式のばあい、論点がはっきりせず、結果として何だったのかよくわからないものが多いのですが、今回は良いシンポジウムになったように思います。

■30日は、シンポジウム終了後、懇親会がありました。宮城の地酒をいただきたながら、ひさしぶりにお会いした皆さんとの会話を楽しみました。懇親会では、私が以前勤務していた岩手県立大学のAさんが挨拶をされました。来年の東北社会学会の会場が、岩手県立大学だからです。
■学会への入会に居住条件はないのですが、東北社会学会には、主に、東北6県と新潟県に在住の社会学者が参加しています。そして、年1回開催される大会の会場も、1年おきに仙台を間に挟み、東北6県+新潟県を時計回り(右回り)に交代していきます。私がこの学会に入会したのは、1998年、岩手県立大学の開学して岩手に赴任した年でした。そのときの会場は、新潟大学。「岩手にまで順番がまわってくるのは、ずいぶん先のことだなあ〜」と考えていたのですが、もう来年になってしまいました。

■まんなかの大きな若い男性、岩手県立大学に勤務していたときに、私が担当した地域調査実習に参加したK君です。現在は、東北大学大学院に在籍しています。その右は、彼のゼミの指導教員であったA先生。記念写真です。翌日の31日には、指導教員の先生といっしょに発表しました。「社会的ジレンマは社会的ジレンマか」という題目です。K君の指導教員であるN先生は、かつて私の母校で勤務されていました。そういうこともあり、親しくさせていただいています。今回、N先生は、「現在の合理的選択理論を突破したい」とおっしゃっていました。
■少し話しが難しくなりますが・・・。
従来、社会的ジレンマとは、個々人が「自分の効用最適化を目指して選択した結果として生じるている」と捉えられてきましたが、N先生たちがおこなったゴミ問題に関する統計調査の結果からすれば、そのような「効用最適化を目指す」のとは異なる、すなわち「社会的ジレンマ」とは異なる認知をしている人が少なくないことが明らかになりました。有害家庭廃棄物の排出をテーマにした海外の研究においても、人々の選択が社会的ジレンマの理論どおりにはなっていないことを明らかになっているといいます。そして「以上二つの調査結果から、人々はSD(社会的ジレンマ)の利得関数から予想される通りの行動を選択しているのではない、ということが明らかになった。では、人々は状況をどのように判断し、どのような基準で選択を行っているのだろうか。この問に答えることが次の課題である」とされています。(引用:「社会的ジレンマとは社会的ジレンマか」『第52回東北社会学会大会報告要旨集』,25-26頁.)
■環境問題における「公共性」「私益の公益への転化」「コミュニケーション」といったキーワードに関心をもちながら研究をすすめている、私のような者の立場からすれば、社会的ジレンマの議論は、たいへんパワフルなものではありますが、その根底にある人間観と社会観が大きく異なっているため、なかなか理論的なコミュニケーションやディスカッションが難しかったわけです。しかし、今回のN先生たちによる発表内容には、異質性ばかりが際立っていたこれまでとは違い、なんらかのディスカッションを展開していく契機になるのではないかと期待させるものがあります。N先生のグループは、この学会のあと、岩手・花巻で合宿をするとのこと。さらに議論が展開していくことを期待しています。