(とっても長い投稿です、ごめんさない。)
■昨晩、彦根市の農村に行ってきました。もちろん、農村とはいっても、専業農家はほとんどいません。滋賀県の農村の特徴は、水稲栽培の率が非常に高く、第二種兼業農家が突出しており、農家所得と大型農機具の普及率は全国トップクラスですが、農業所得は全国最低クラスというものです。つまり、農家所得とはいっても、サラリーマン等で働いてえる給与所得がそのほとんどで、農業から得られる利益はほとんどなく、それにもかかわらず高価な農機具には投資をする、ということでしょうか。韓国から来た研究者に、この滋賀県の農業のこの事実を伝えたところ「趣味で農業をやっているのですか?」と真顔で聞かれました。しかし、趣味ではないのです。
■私が以前、滋賀県庁の職員として勤務していた当時、長男は地元に就職して、家屋敷・田畑(それから墓)を受け継ぎ、きちんと管理していくことが当然とされていました。「家産」に対する責任、家産意識が強く存在していました。ところが、あの頃から15年ほど経過して、現在、滋賀の農村でよく聞かれることは、「農業の後継者がいない」、20〜30歳代の「息子たちが帰ってこない」、ということです。
■ある土地改良区(土地改良法の改正以降、水土里ネット=みどりねっと、と呼んでいます)に聞き取り調査にいったとき、逆に、「なあ、あんたら専門家やろ。この地域の農業、20年後、30年後、どうなっていると思う?」と質問されてしまいました。WTO体制下で米価は低下し、農業の将来は暗く、後継者はいない・・・。土地改良区の窓のそとにひろがる、土地改良や圃場整備をすませた農地をみながら、職員の方の質問に困ってしまいました。
■なんだか、気持ちが暗くなってきますね・・・。でも、そのような厳しい状況のなかでも、なんとか自分たちの地域の暮らしをよくしていきたいと願ってがんばっている人たちがいます。昨晩、訪れた農村のばあいもそうです。私が公民館にいくと7人の自治会の役員さんたちが待っていてくれました。
■いろいろ抱えていらっしゃるこの地域の問題についてお話しを伺うことができました。もちろん、いま書いたような農業の問題もそうなのですが、環境面でいえば、集落のなかを流れる水路の水量が減ってこまっている、というのが大きな問題点になっているようでした。近くを流れる一級河川で大規模な治水事業が行なわれ、河床を掘り下げたため、堤防から湧き出て集落のなかを流れる伏流水の水量が減ってしまったのではないか、役員さんちはそのように考えていました。もうひとつ。このあたりはもともと地下水も豊富な地域だったのですが、地域に隣接する工場や、養殖場などが地下水を吸い上げてしまうため、ほとんど出なくなっているともいいます。水量がへると、水質も悪化してきます。水路の底に泥がたまりやすくなり、底質の状況も悪くなります(酸素不足)。魚などの生物にも悪影響を与えてしまいます。
■このような状況のなかで、自治会の役員さんたちも、水路の管理についてご苦労されているようでした。ただ、こちらの村のばあい、興味深いのは、集落のなかの水路はもちろん、農地の用排水路にいたるまで、すべての水路を、農家と非農家(農地は所有していても他の農家に貸している世帯)に関係なく、村ぐるみで作業を行なっているということです。近隣にあるいくつか村では、「農地の水路は農家だけでやるべきだ」と非農家の協力が得られなくなっているという話しも聞かれます。よく理解できる話しではあります。
■では、こちらの村のばあい、どうして村ぐるみの水路の管理が可能になっているのでしょうか。自治会の役員さんたちも、少し首をかしげながら、「なんでやろな〜。みんな、これはきちんとやらんといかんと、行事やでやらんといかんと、思ってはるみたいやね。不参料(水路掃除に参加しない場合、かわりに支払うお金)もたいして高くないのにね。みんな、きちんと出てはりますな」と、おっしゃいました。これを義務感という言葉でとらえることもできるのでしょうが、どうもそれだけではないようです。いや、むしろ、義務感という言葉でとらえることのできないことにこそ、重要なポイントがあるのではないでしょうか。
■この村には、2つのボランティアグループがあります。そのうちのひとつの団体に参加しているある女性が、暑い夏の昼間(熱中症になりそうな暑い日)であるにもかかわらず、一生懸命に長く続く道の草刈作業をしていたときのことです。この草刈も村ぐるみの作業なのでしょうが、この女性が、作業を終えたとき、笑みを浮かべながら、「きもちいいね〜」と言ったときのことを、自治会長さんが話してくれました。よほど、強く印象に残ったのでしょう。嫌々・渋々ではなく、また無理をしているのでもなく、心の底から嬉しそうな表情だったといいます。自治会長さんは、この話しをぜひ町内会便りに書きたいとおっしゃっていました。彼自身、うまく説明できないのですが、むらづくりに必要なポイントが、このエピソードのなかにあると考えているからです。
■おそらく、近隣の村で「農地の水路は農家だけでやるべきだ」と主張する人と、「きもちいいね〜」といった女性とでは、地域の環境に対する「ものさし」(尺度)が違うのだと思うのです。「農地の水路は農家だけでやるべきだ」というのは、ある意味、たいへんわかりやすい話しです。自分の損得、そのような功利主義的な「ものさし」(尺度)が存在していると考えられるからです。しかし、「きもちいいね〜」といった女性の満足感は、このような功利主義的な「ものさし」(尺度)ではとらえることができません(
関連する投稿・7/31東北社会学会の記事)。
■このような水環境に関する問題以外にも、自治会の運営上の問題についてもお話しを伺うことができました。通常、役員の任期は1年です。むらづくりをするのには、任期が短すぎて、通常の行事をこなすだけで、長期的な視点にたったむらづくりの運営がなかなかしにくいというものです。むらづくりのビジョンをつくりにくいということです。なるほど。では、1年以上に任期を延ばせばよいではないか、という話しになりそうですが、そういうわけにもいきません。個々の仕事等でたいへん忙しいなか、村の自治会の仕事をこなしていくのは、せいぜい1年が限界というわけです。自治会の力だけでむらづくりを行なうには、少し無理があるというわけです。
■そういう状況のなかで、自治会長さんが注目し期待している(彼の言葉では「芽が出てきている」)のは、さきほど述べた2つのボランティアグループです。ひとつは、集落内の花壇や草刈を管理する団体(ちょっと、説明が適切でないかも・・・)。もうひとつは、近くを流れる一級河川や河畔林を利用しながら、もっと地域の環境を楽しんで遊ぼうという団体です。楽しんで遊びながら、地域の環境や暮らしに関心を深めて、愛着をもつような人、「共感」する人を増やしていこう、そのようなねらいがあるようです。もちろん、どちらも、村の状況をみながら自主的に始められた活動です。自治会長さんが注目し期待しているのは、さきほどの功利主義的な「ものさし」(尺度)とは異なる別の「ものさし」を、この団体の人たちがもっており、そのような「ものさし」を共有する人びとが増えていくことが、むらづくりの基盤として重要だということに気がついているからです。じつは、このような活動の仲間に私も入れてもらうことになりました。楽しみにしています。
■それからもうひとつ。このようなむらづくりは、時間がかかるということです。近年、地域社会の環境活動に対して、行政が積極的に支援しようという動きが出てきています。それは、良いことなのですが、注意しないといけないことは、行政や外部の専門家の関与が、結果としてでしょうが、しばしば、支援と称しながら、地域のなかで芽生えつつある動きをつぶしてしまうことがあるということです。支援事業を行なうばあい、行政や外部の専門家が、安易な形でその結果や成果を求めてしまうからです。この点には、十分に注意する必要があります。酒樽のなかで美味しい日本酒が生まれていくように、むらづくりも、丁寧に時間をかけておこなう必要があります。今日も電話で、こちらの村の方と、「まあ、ゆっくり気長にやっていこうや」と話したところです。また、彦根のむらづくり活動ついて報告することにしましょう。
(むらづくりの話しではありませんが、ホームページのほうに
少し関連する記事をのせています。時間があれば、ご覧ください。)