
■本文もなく、「続きは後ほど」なんてだけ書いて、写真だけアップしてしまいました。申し訳ありません。そのあいだに、iwakiさんからは、2つもコメントをいただいてしまいました。そうです。コメント欄のiwakiさんとのやり取りにもありますが、ここに写っている赤ん坊は、私です。まだ1歳です。つまり49年前の写真というわけです。実家のアルバムのなかにあったものです。で、なんでこんな写真をわざわざスキャニングしてまでアップしのかといいますと…。いくつかの理由があるように思います。
■ひとつは、建築家の秋山東一さんが、ご自身のブログ『
aki's STOCKTAKING』のなかで、自己紹介をおこなう[
ABOUT]というカテゴリーを用意され、ご自身の人生を振りかえっておられるのを拝見して(
たとえば、こちら)、今年の春に50歳になった私もちょっと真似して…という気持になったからです。ふたつめ。今年の夏、ある建築関係の雑誌から、「2DKに代表される団地暮らしについて」短文を書くことを依頼され(締め切りを大幅に過ぎてしまって、編集の方にはいろいろご迷惑をおかけしました…)、その短文を書くためには、両親のところに行き、昔、団地に暮らしていた頃のアルバムを借りてきたということも、理由のひとつかもしれません。しかし、なんといっても一番の理由は、次のことかなと思います。先月、母の入退院があり、今月は、こんどは父が入院するという出来事が、背景として一番おおきなものかなと思うのです。
■私よりも年上の皆さんからすれば、私なんぞは、まだ洟垂れの類でしかないのですが、そんな洟垂れオジンでも、50歳になってみると「自分の人生が歴史化していっているよな〜」と思ってしまうわけです。人間的に成熟していればよいのですが、成熟のないまま、時間だけが経過し歴史化が進行している…まあ、そんな感じでしょうか。そんな50歳の私にとって、高齢の両親があいついで体の調子を崩すということは、ちょっとした“衝撃”でした。入退院の具体的な対応でバタバタしたということもありましたが、なにか、自分の人生を振り返り、残りの人生を考える、いや、正確には考えさせられる、そんな重みのある出来事であるように思ったわけです。また、一組の男女(父と母)とその子供たち(私と妹)による「家族」という社会的ユニットが、最終ステージむかえている…、そういうことを実感しているわけなんです。