
■おお、
ベンジャミン・フランクリンの肖像が。ということは…これは100ドル札です。でも、数字は1000ですよ…。漢字も書いてあります…。なんだか、「人生ゲーム」のお札みたい…。
■わざとらしい書き出しになって申し訳ありません。もちろん、お分かりのことと思いますが、これは本物のドル紙幣ではありません。アメリカの紙幣に漢字が書いてあるはずはありませんものね。これは、「冥銭」です。あの世、冥土で使うお金ですね〜。アキバ系のメイドではなくて、あの世の冥土です。葬送儀礼のさいに、中国で使用されています。厳密にいうと、墓前や遺影を飾った祭壇の前で、焚く(燃やす)のです。そうすることで、亡くなった方たちが、死後の世界=冥土にいってお金で困ることがないように、まとまったお金をもたせることができる、というわけなんですね。これだけ、高い金額の札束をもやすのですから、亡くなった方は、冥土では、さぞや豊かな暮らしができるに違いありません(どうなんだろう…(^^;;)。このような「冥銭」を葬送儀礼で焚くのは、通常は、子どもに代表される子孫たちです。すなわち、社会的意味としては、「それだけ親孝行をしているのだ」ということになります。しかし、冥土でも、国際通貨であるドル札が幅を利かせているのですね〜。う〜ん、これもグローバリゼーションのひとつの側面でしょうか。

■こちらも「冥銭」です。こんどは、ベンジャミン・フランクリンではなくて、日本でいうところの閻魔大王ですね。「天地銀行有限公司」と書いてあります(!!)。私としては、ベンジャミン・フランクリンよりも、閻魔大王のほうが「格」としては上だと思うのですが…。どういうわけか金額は、たった50元です。う〜ん、ドルと差がついていますね。「冥銭」の「1000ドル札」は、この世のレートでいえば、およそ10万1千円でしょうか。それに引き換え、「冥銭」の「50元」のほうは、たった約750円程度ですからね…。同じ札束とはいっても、かなり差があります。まあ、これは「冥銭」ですから。このあたりは、あまり関係ないのかもしれません。あくまで亡くなった方(親)に対する「気持ち」であって、数字そのものではありませんから。
■もし、これらのお札が「冥銭」ではなくて「この世銭」だったら、すぐにでも
新しい「MacBook」を購入するのですが…。

■こちらは、町のなかにある葬儀屋さんの店内を写したものです。右下のほうにテレビが見えます。その上にもテレビがありますが、こちらは紙製です。「冥銭」という言い方からするならば、こちらは「冥テレビ」です。葬儀屋によっては、「冥・電子レンジ」とか、「冥・洋風の豪邸」とか、「冥・携帯電話」とか、「冥・自家用車」とか…、まあ、いろいろ用意されているわけです。これらの「冥・○○…○」も、葬送儀礼の際に、特に、遺灰を墓に入れるさいに焚かれることになります。写真の棚の上に置かれているもの、赤っぽいビニール袋に入れられていますが、これは「布団」や「反物」です。こちらは、遺灰や亡くなった方が身に着けていた服などと共に、墓のなかに埋葬されます。棚には、爆竹もおかれていますね。もしよろしければ、現在の中国の葬儀に関しては、以下のエントリーをご覧いただければと思います。
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「中国出張報告(その1)−死生観と葬儀の調査−」(2006/11/10)

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