
■先日のエントリー「
2011鹿児島旅行(その3)-上西園のモイドン-」では、鹿児島の巨木「モイドン」について紹介しました。その「巨木」に関連することもあり、かつて書いたものを修正した上で、このブログにも転載しておこうと思います。どこに書いたか…。今や、「永久凍土」のなかに埋もれているかのように、一切更新がなされていないホームページ、そこにアップした記事です。2003年のものですから、もう8年前になります。まだ、前の職場、岩手県立大学に勤務していた頃のものです。内容は、『景観の創造―民俗学からのアプローチ (講座 人間と環境) 』の伊藤廣之さんの論文「まちの景観―大阪の都市開発と巨木」をもとに、大阪の街中の巨木を訪ねて歩いたときのことをもとにしています。
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■私は、以前、自宅のある奈良市から、毎日、滋賀県草津市にある滋賀県立琵琶湖博物館に通勤していました。当時、私はその博物館の主任学芸員でした。片道2時間かかる、辛い通勤でした。ところで、奈良から京都までは、近鉄(近畿日本鉄道)に乗っていたのですが、いつも不思議な光景を目にしていました。近鉄と並行して走っているJR学研都市線の線路のすぐ真横に、大きな樹がドンとはえていたからです。立派な枝が、列車の電線に触れそうでした。そこで、近鉄・木津川台駅から車で少し北(京都方面)にいったところにある、この巨木を訪ねてみることにしました。普通、常識的に考えれば、線路の真横にあって、列車の電線に枝が触れそうな樹は、伐採されてもおかしくありません。「危険」(あるいは公共交通にとって邪魔!)と考えられるからです。よく見ると、太い幹には、赤い鳥居が注連縄で結ばれています。どうも、地域の人々によって大切な御神木として祀られているようです。もちろん、電線に触れないように丁寧に手入れがされていると思います。

■地域の人々の信仰という行為、信仰を通したこの樹と地域住民の皆さんとの関係、そして樹を祀る人々の相互の関係、この二つの関係がこの線路の敷地内にある木を伐採させない、いわば「抑止力」になっているのではないのか、そのようなことが頭にうかんできます。このような地域社会に残る巨木について、きちんと研究をされている方がおられます。大阪歴史博物館の学芸員をされている伊藤廣之さんです。伊藤さんは、大阪という大都市のなかに残る巨木に関して調査をされました。その成果を、【論文(伊藤廣之:1999)】で読むことができます。今回、その論文をたよりに、大阪の街を歩いてみることにしました。

■イチョウの巨木がたっています。巨木というには、少し小ぶりですね。しかし注目すべきことは、道路の真ん中にはえているということです。ここは、大阪市中央区上汐1丁目です。横には、ガソリンスタンドがあります。伊藤さんの論文によれば、ここはもともとT家の坪庭で、古くからイチョウの巨木があり、そのイチョウには稲荷が祀られていました。1936年ごろまでは、近所の子ども達もこの稲荷の祭りに参加していたようです。そして、このイチョウの巨木には、「枝を折ったりすると、その人に不幸が起こるという言い伝えがあった」といいます。1948年頃、市街地の整備計画によって、このイチョウがある坪庭は道路にとられることになりました。ところが、このイチョウと祠だけは、そのまま残ることになっのだそうです。このイチョウ、現在でも近所の人々から信仰されており、お供えがあるようです。