どういう書き出しで書こうかなぁと思ったのですが、
強迫性障害に苦しんでいる当事者と、家族
同じ家の中で、同じ状態を経験していても、本人と家族ではその体験はまったく違うものですよね。
本人が最大限努力しているつもりでも、家族からみたら、甘えて まったく努力していないと 正反対に取られる事は 日常茶飯事だと思うんです。
まぁ、そこまで 両極端な物ではないにしても、本人の恐怖や不安な状態は周りにはなかなか伝わりませんから(心は見えませんから)、 その普段の様子を 言い表し説明した場合、全然違った解釈・見方をされているもんだと思うんです。
でも ここで一番大事なのは やっぱり本人が感じている主観的な物だと思うんです。
家族を始め周りの人が その症状について口にした時、本人自身の主観とあまりにもずれがある場合、本人が感じる傷つき、ショック、孤独感、怒りそして悲しみは 相当な物だと思うんですよ。
私自身は、母を始め家族の理解が全くない環境に当時いましたから、 (顔を見るたび、けなされ、気違い扱いされ、)つらい経験は いっばいしてきたと思うのですが、 たった一度だけ 今考えると、強迫行為が何故おこっているかに すごく合致するような発言を たまたま母がした事があったんです。(母の機嫌が すごく良かった時だと思います)
でもね 当時の私の主観からは かなりズレを感じ やはり理解されていないと 絶望を感じ孤独感や違和感いっぱいになったのを覚えています。(まぁ この時だけは ほんの少し優しい雰囲気だったので 嬉しかったですどね)
具体的に どんな事を言われたかというと、
「強迫神経症が、手を洗え、手を洗えって、洗わしよんねんなぁ(関西弁で分かりにくいとおもいますが、 強迫神経症が、手を洗う事を強制するんだなぁと言う意味)
」と・・・。
でも 20数年以上前で 何の強迫の情報もない中で生きてきた私には、
「????」「違うよ 何言ってるの」
としか思えない言葉で、
「え???いや、違うの、 汚いんだよ、とにかく汚いんだよ。 理屈抜きに汚いんだよ、洗わされているんではなくて、 どうしたって汚く感じ どうにもならないから洗っているんだよ。 洗わないと生きられないの。洗わないと気が狂いそうになるの。洗わされているじゃなくて、汚いから洗ってるんだよ」
そんな気持ちが 頭と 心を共鳴し続けていました。
この言葉を思い出し、今書いてみると、(母が使ったのは、たまたまで 決して強迫を理解していたわけではありませんが) 今ならあながち間違ってないと思え、そう悪い言葉でないと思えるのですが、当時はただただ
「ああ 伝わらない、そうじゃないの」
と 悲しかったのです。
理解するのって 大変な事なのだけど、それが正しい知識であったとしても、主観からかなりズレがある場合、本人は 相当孤独感を感じているかもしれないんですよね。
言葉って難しいですよね(>_<)。
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