強迫性障害の方の話や、ネットサーフィンをしていて、
強迫性障害で苦しんでいる人の家族で、その接し方が、ほんとに優しいなぁ、うらやましいなぁと感じる場面が多々あります。(私が育った家庭とは ほんと真逆なので)
でも、その優しさが、その人が良くなる方向からは、どんどん遠ざけているなぁって 思う事もたびたびです。
「○○(=強迫観念)も、いつのまにか気にならなくなった。だから今苦しんでいる○○(=強迫観念)も きっといつかはなくなるだろう(=強迫が良くなっていく)」
だから、家族は
「無理に出来ない事をさせる事ない、しんどいなって側にいて優しく接し続けてあげたら、いつかは、心も癒え良くなるだろう」
家族や本人さんの このような言葉を何回も見聞きした事あります。
でもこれ違うよ、こうやって時を過ごし続けたら、せっかく治していける病なのに、一生強迫性障害に冒された人生になっちゃうよ。って すごくもどかしい複雑な思いになるのです。
いや、全部間違っているとは言わないです。つらい心の部分に対して寄り添ってあげることは、決して悪い事ではないと思うからです。
だけど、その人がいくら ある事が苦手だからといって、一緒にそれを触らないで過してあげたり、代わりにやってあげ、家からそれを排除してしまったら、確かに表面上はホッとし穏やかに過ごしていけるかもしれないけど、その優しさは、本当の優しさではなく、苦しみのお手伝い以外の何ものでもないですよね。
行動療法ってあるけれど、これが本人の拒否でなく、親御さん等の 家族が
こんな事無理やりさせるのは、可哀想、させたくない そんなのは虐待だって、家族が率先して? 行動療法する道に導いてあげない事よくあるんです。
本人が断然拒否なら仕方ないけれど、せっかく治せるチャンスがあるのに 家族が拒否しちゃうなんて、何故って思います。
「○○も いつかはなくなる。」
ひどくなってしまっていたら、自然には なかなか良くならないと思うのです。
だって 強迫行為を 一緒になって繰り返し維持させてしまっているのだから、良くなりようがないですよね。
いや ○○は 自然になくなったと 反論されるかもしれないけど、それは気になる部分が変遷していっただけだと思うんです。
強迫観念は 所詮 蜃気楼の怖さだから、他に怖い物ができると、前の事は途端に気にならなくなり、どんどん移り変わっていく特徴があります。
だから それを待ち続けたら、苦しみを繰り返す人生になるだけです。
せっかく優しさがある家族なのだから、治していく上では、厳しさのある家族でいて欲しいなって思います。
治していく事から遠ざける 優しさなら、理解がない方がいいかなって思う事さえあるくらいです。
一時的な 苦しさは仕方ない、後の人生は何十年って続き続けます。
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