朝から、うちのベランダにヒヨドリ(鳥)さんが、来まくりです。
お目当ては、以前このブログのどこかで書いた 観賞用の辛子の木。
最近時々やってきてて、可愛いなぁと思って見ていたのですが、今日は実が熟れて?取りやすくなったらしく、ついに、全部ついばんでしまうみたいです(実のなる木が、ただの枝になりつつある・・・・)
辛子なんだけど、これは辛くないのかな?
しかし鳥さんがベランダに長居すると、置き土産(う〇ち)は、つきものですね。
ヒヨドリさんが、全身の力を使って実を引きちぎりついばむ様子は、大変微笑ましいのだけど、¨う〇ち¨は、はっきり言って嫌です(^^;
ベランダの柵と竿に、ご丁寧に、いくつも置いて帰って下さったので、ティッシュで取っておきました。
少し¨う〇ち¨が乾燥した所をティッシュで取るのが私のやり方(^^;
これだと、なんか見た目、跡がつかないので?? 乾いたティッシュで取るだけで済む??から、私は、いつもそうしてます。
いや、濡れ拭きとかして、余計な用事を増やす方が、私は嫌なので、これでOKと言う事にしてます。
話は飛びますが、
例えば、こういった鳥の¨う〇ち¨の話を、強迫性障害の方としたとします。
そうすると、
「うんちは、やっぱりみんな汚くて嫌な物で、対処しなきゃいけないものなんですね」とまず認識されてしまいます。
まぁ、そうなんだけど・・・・・
でもこういった会話では、言葉の音声としては、一緒なのだけど、強迫がある人と、ない人では、この認識の仕方には、かなりの温度差があると思うんです。
たぶん 鳥の¨う〇ち¨が得意で大好きな人なんて、まずいらっしゃらないですよね。
やっぱり誰だって、嫌だと感じると思います。
だけど、その汚いは、
「あーあ うんちされてしまった。やだなぁ」で
う〇ちの場所を掃除し、終わり。って そこで完結するのですが、
これが強迫だと、色んな想像から、不安がどんどん広がり、
最終的には、この不安を無くすためには、ベランダを使わなかったらいい!と考えだし、→気がついたら「ベランダが使えない」になっていっちゃうんですね。
この掃除にしても、「みんな掃除するものなんですね」と認識し、「ここもあそこも・・・」と徹底的な掃除になり、しまいには、「かもしれない」で 掃除しだしてしまう・・・
掃除といった響は一緒でも、
掃除に対する意味合いが、まったく違っている感じかな。
強迫性障害の時は、不安で安心が欲しいあまり、つい人に
「あなたは気になりますか?どのようにしてますか?」
と尋ねがちになるのですが、聞いても、上記のような受け取り方になってしまい、結局強迫観念が高まる事にしかならないので、聞かない方がいいのです。
あっそうだ。今日は、2,3匹のヒヨドリさんが、入れ代わり立ち代わり飛んできて、そのたびに¨う〇ち¨をお土産に置いていくので(-"-)
通り道付近には、洗濯物を干さずに、少し場所をずらしました。
この話にしても
「やっぱ洗濯物も、みんな守るものなんですね。¨う〇ち¨から守るって普通ですねよ?」
と、理解されてしまい、鳥さんが来るかどうか分からない時にも、゛う〇ちされる確率は0じゃないんだからと、洗濯物をずらしだし、
そのうちそこには、一切干せなくなって行くって事ですよね。
強迫観念を理論づくめで、議論されちゃうと、私負けそうになります。(^^; 強迫観念の議論って強力ですものね。
そういえば、以前ベランダでの鳩との攻防の記事を、このブログのどこかで書きました。
鳩に対しては、毎回毎回来ないでよ!!と、怒ってるのに、ヒヨドリは微笑ましく見ている私って・・・・。(^^;
同じ鳥なのにね〜 しつこさや、珍しさが違うからかな??
小さくてなんか可愛いかったのよ(#^^#)
¨う〇ち¨という置き土産は同じなのにね(^◇^)
人間って勝手な生き物('ω')
私が不潔恐怖の頃だったら、どうなってたかなぁ。
う〇ちという響に対するイメージで、濡れ拭きは少なくともしただろうなぁ・・・
う〇ち があった周辺も少し掃除したなぁ。
でもそれ以上は、やらないというか、出来なかったと思います。
家族の前では、私はあくまで、
「強迫なんて持ってません」という人を演じきらなければ、ならなかったから。
家庭環境で発症したと思うけど、家庭環境が悪化を防いでくれました。
★現在はカウンセラーとして活動しています。
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