一つ前の 記事で下記本↓の 全体的な感想を書いたのですが、その事から、自分自身の事で 思い浮かんだ事をつらつら書いてみました。(最近の私には珍しく、長文になりました)
強迫 くもりのち晴れ ときどき雨 梨本恵里子 (著)
強迫性障害になった時、兄の家庭内暴力もあったのですが、進学で兄が下宿する事となり、学期の間は なんとか 一秒毎??に 感じていた恐怖から 逃れられるかも・・・とホッとした矢先の 発病でした。
だから、 どうして・・・なんでと思ったし、・・・何年も怯え続けて やっとやっとだよ(暴力の恐怖から少し逃れられると言う意味)と 思っていた時だったので入れ替わるように強迫が酷くなった、自分の境遇を恨みました。
そして、(もともと神なんて信じてませんでしたが) 神様はひどすぎるとも思いました。
「これじゃぁ わたしに ホッと出来る瞬間なんかないじゃないって・・・。」
絶対この多大なストレス(暴力の恐怖)が発病に影響を与えてないわけがないと、思っていましたが、 ほんと入れ替わるようにだったので、
こんな風になったのは、
「きっと私が変だからだろう、完璧主義な自分が悪いからだろう」
と この思いに苦しみ続けました。 影響の証明なんて誰にもできないものね(>_<)。そのできない事が、 やるせなさを生み、自分を責める思いに どんどん転嫁されていった感じです。
強迫性障害って 嫌な病気ですよね。 周りからは、生き方や性格の問題だと 責められ、強迫症状だけでも地獄な状態にも関わらず、さらに、 自分自身が何らかの罪悪感を背負わされてしまうのですから・・・・。
体の病気だったら どんなにいいだろうと数えきれないくらい思いました。別に同情して欲しいわけではありませんでしたが、
´大丈夫?しんどそうだね?´ そんな言葉の一つだってもらえたかもしれませんものね・・・。
なんで 病気で どうにもならない絶望感の上に、それを踏みつぶされるような目にも会わねばならないのか・・・つらくてたまらなかったです。
私自身は、子供の頃から、勉強・習い事ばかりで、物心ついてから それまでの生活すべてが、エリートコースを歩むためだけに 存在していたような物だったので、
この病気の為、それが叶わなくなってしまった時、人生の終わりを意味しているのと、半ば同じでした。もともと どんないい成績をとろうと、劣等感からは 逃れられない生活でしたが、(※ 母が望む 完璧は無理な話しなので、けなされ続ける事が 自信を失っていった、と言う意味です)、エリートコースを完全に外れる事で、さらにその劣等感は強まりました。
しかしね このエリートコースを歩む事も、私自身の本来の希望ではない、あくまで小さい頃からの 母の教育で植えつけられた心だったので、
この「ねばならない」思考は、強迫性障害を招いた一因ではあるんだろうなとは 何度も思いました。
強迫性障害の体験は このブログや コラム等 あちこちでは 書きましたが、それってほんと、ほんの一部なんですよね。
自分で 言うのもなんなんですが、 かなり悲惨な思いはしています。
何が一番悲惨だったかなぁ??? 何というか、(みんなそうだと思いますが)生活すべてが悲惨ですよね。 ほんの少しだけ書いてみたいと思います・・・
当時二十歳すぎの私が 道端で 洋式トイレを使えず、う○○の お漏らしをしたり、
やっと家族に伝え 罹患後三年目にやっと たどり着いた病院で、もらった薬は ものすごい副作用を生みだし それが 副作用だとも気づけず(訴えた医者も教えてくれませんでした) 病気が酷くなっているからだと(医者にも家族にも)とられ、入院させられたことがありました。
でもわずかに残っていた思考で、私はこの中にいると 薬漬けになると、一日だけそこで過ごし、早朝に飛び出しているんですね。
財布だけ握り締め、駅に向かって走り続けました。パジャマに毛が生えたような格好をしていて 恥ずかしかったですが、それで電車に飛び乗りました。
副作用で 休学したのですが、 この病院の飛び出しをしていなかったら、多分翌年の復学は無かったと思います。
大学で お友達だって 出来そうだったのに、手洗いを見られ、頭がおかしいと思われるのが嫌だったから、 いつも誰にも話しかけられないよう、振る舞い続け、
´本来の自分は こうじゃないのに・・・、 他の人の目には、変わった人と映っているんだうか・・・´
とつらかったです。 うーん書ききれない
強迫性障害になり、
「私がいったい何をしたって言うの?」(何も悪い事はしていない)という怒りもあったし、
家庭環境だけでも、生き地獄のような状態に、どうして さらにこんな目に合せるのか・・・って世の中を??恨みました。
「この病気にさえならなかったら」
「この病気さえ 良くなれば」
これは よく思っていた事です。
何かしたくても、すべて 強迫観念に阻まれ、あきらめざるを得ず、悔しさでもいっぱいでした。
もう20年以上前の事ですから、 当時はなんの情報もなく、インターネットのような 交流の場もなく、私は孤独でした。
あーそうですね。一番つらかった事は、 母から気違いと言い続けられた事かなぁ、というか、言い続けられるのも つらかったのですが、
これだけ 苦しんでいる娘を前に、一生懸命病気の説明が書いた資料を渡しても、ビリビリにやぶいたりされるし、
「どうして ほんの少しも、一緒になって 考えてくれようとしないの? 」
「どんな病気なのか ほんの少しも理解してくれようとしないの?」
「私あなたの 娘だよ。かわいくないの?治ってほしくないの?」
という(母の態度を通して感じざるを得なかった) 思いの方が 私はつらかったかもしれません。
今から考えると、私は 一切 家族の巻き込みをしない人で、家族は (私が病気の間も) なんら変わりなく 暮らせていたと思うので、この思いは余計強かったんだと思います。
つらくて泣く事も、一瞬の つらいと言う 表情も出来ない生活になっていきました。
うーん、一生このままだ・・・・・そんな絶望感もつらかったなぁ。
強迫性障害を抱えざるを得なかった事は、繰り返しになりますが なんで私が・・・・で、強迫性障害は、自分にとって悪い事で、人生を狂わせた事項でもありました。
症状がすごく 酷かったのは、19歳から 24歳までですね。
25歳からは、観念や過敏性腸症候群があっても、意外に 普通に過ごせる面が増え、
29歳を目の前に結婚し、 普通に主婦をする分には あまり 困った事もなかったのです。
(頭の中では 汚い観念で 何か所かの場面場面では、苦しみ、このせいで疲れやすく、それが旦那に理解されず、悲しかったですけどね(>_<))
私は 娘に悪いですが、一生子どもを持つつもりが ありませんでした。しかし 旦那に悪いなぁと 思って、 大丈夫だろうと 思ってしたのが(したって^^ 恥ずかしいわ)) 妊娠してしまいました('_')
主婦では 結構普通だったのですが、 子どものオムツは 嫌だし、これはつらかったです。
でもね 実は思った程つらくなかったんですよね。 たぶん 強迫性障害の人は、想像ではものすごく 嫌になっている事も、 やれば それ程でもない・・・・と言うのはいっぱいあります。
もう 子どもはね、(うちの子は ものすごく大人しくて助かりましたが、) 大人の許容範囲を超えるような 事をしてくれますから、なんか 私は どうでもよくなりました。
私は、子供のおむつ その他 汚してくる事も嫌だったのですが、一番子育てで大変だったのは、 ものすごくもともとが神経質で、 時間時間で 動く癖が 私にはあり、ここまで 頑張れば、次は 休憩〜睡眠〜 そんな生活が 娘の赤ちゃん時代には 崩れ去り(授乳、おむつなんて 泣いたらって感じですからね)、
心や体の休息の取り方が うまくいかなくなってしまった事なのです。
洗濯物だって 少々何時間か後に取り入れる事になっても、とりいれた物をすぐにたたまず 山積みにしていても、いいわけじゃないですか?
忙しかったら、完全に 底値じゃない商品を その時だけは 近くのスーパーで買ってもいいわけじゃないですか?
それが、きっちり きっちり で凝り固まっていた 私には 出来ず、(赤ちゃんの世話で)たった一時間の睡眠しかとれず、フラフラなのに、
後回しにしても 全然大丈夫なはずの 用事をし、 そこで さらに睡眠がとれず、(その時、赤ちゃんが寝てるなら、一緒寝ればいいのにね^^)
ものすごく つらい育児になってしまったのです。
あーそうだ、私は、 夫の食事に関してもね、仕事を終えて帰ってきたら、即用意してあげんきゃと思っていて(今でも結構思っている~~)・・・・でも 赤ちゃんは そんな事お構いなしですから、夫が帰ってくるころに、赤ちゃんの世話があると、焦りで キャーってなんか なっていました。
夫は、何も言わないんですよ。仮に用意が出来てなくても そう何も言う人ではないのに、
勝手に、 ´ちゃんと´なんて思って、自分の育児を追い詰めていました。
こんな事していると、ほんと、横になる時間が うまくとれず、 次の赤ちゃんの 泣きが 始まるんですよね。体がもたないよ〜と 毎日泣いていました('_')。
私は 結婚してから 今も 毎日 夫のお弁当作っているのですが、この時は さすがに一年間 それが出来なくなっています。
なんか ´ねばならない´で 苦しんでいるんですよね。
でなんの話しを書いていたんでしたったけ・・・・ (;一_一)
あー強迫性障害に なった事は、私にとって悪い事だったし、ずっと ならなかった方が良かったと 思っていた事でした。
でもね、子どもが5歳くらいまでは そうだったのでしょうが、その後は 私にとっては、
(過去の時点の私にとっては、強迫は ならなかった方が良かったに決まっている事なのですが、)
ちがった 位置づけに変わっていきました。
今の時点でも、 強迫性障害は、ならなかった方がもちろん良かったけど、 なって良かった事でもあるんですよね。
変な話しですが、強迫性障害に感謝しています。強迫性障害になってなかったら、いまの私はどうなっていた事か・・・考えるだけでも 恐ろしいです。
失ったものは はかり知れないけど、 得たものの方が多い感じ・・・・。
こんな事を書くと、誤解されそうだし、苦しんでいる人に 失礼になっちゃうかもしれないけど、ほんとに そう思っています
強迫性障害になってなかったら、ずっと 本当の自分ではなかった・・・。
強迫性障害になった お陰で今の生活があります。
その事は、この本の著者の方が 私の体験部分の後半でも 書いてくださっていますが、これは著者さんの感じられた事ですが、 ´あーそうだよなぁ´と 思えたので、 途中で 削除の対象にもなりましたが、そのまま 載せてもらいました。
ちょっと ひるがえりますが、
「強迫性障害さえなかったら」「これさえなかったら、何でもできる」
これ 私も思ったし、みなさんもよく思う事だと思います。
でもね、良くなっても、 当時の私は 何もできませんでした。いや、何も出来ない事はなく、とらわれのない自由な生活にはなっていきましたが、
これさえなったら・・
では、全然なく、なくなったからって、バラ色ではなかったのです。
強迫観念があろうがなかろうが 出来ないものは 出来なかったのです。(頑張れば、出来る事はできます。)
これ言いかえると、
強迫性障害でも出来る事は いっぱいあるんですよね。
いろんな 観念があり かなり阻まれますから 努力が かなり必要な面もありますが、
やったら出来る事がいっぱいあるんですよね。
本が 問いかける 自分なりの治るですが
「症状がなくなったら それでOKでは、なかった 」というのは、私の経験からの感想かな?
なんか もっと書こうと思っていた気がするのですが、色々書いていると忘れてしまいました。
思いだしたら次回の記事にでも書くね。
まゆまゆのカウンセリングルーム/相談室
まゆまゆのメインブログ
ブログランキングに参加しています。↓クリックしてね〜
良かったらポチッて押してね。

11